東京五輪中止の決断を

 

 先週の日曜日(11日)に、朝日新聞の「声」に投稿したのだが、何の反応もなくボツになったようなので、このブログに載せることにした。なお、自民党の二階幹事長の発言は、この投稿の数日後のものである。

 

 

東京五輪中止の決断を

 

 東京五輪の期日が迫って来たが、世界的なコロナ禍の現状を見るにつけ、円滑に実施するにはあまりにも問題が多過ぎる。現状では、外国からの選手や関係者を素直に歓迎して迎え入れる気持にはなりにくいし、彼らもまた大きな不安を抱きつつ来日するということになるだろう。その他の要素を考えてみても、また世界に平等に開かれたオリンピックの精神からしても、東京五輪を無理に開催すべきものではないと思う。

 政府その他関係者の立場からすれば、既に多くの既成事実の積重ねがあり、いまさら開催を諦める決断することは容易ではないだろうが、決断を先送りしてさまざまな無理を重ね、その結果コロナ禍を拡大させるというのが最も好ましくない結果であり、中止の決断の時期は既にギリギリのところまで来ているのではないか。

 五輪中止を声高に叫ぶことは、政府その他の関係者の努力を無にし、その足を引っ張ることのように聞こるかも知れないが、私はそうは思わない。中止の「英断」をしやすくするためには、世論によるバックアップは好ましいものであり、むしろ関係者の決断のための環境作りだとすら言えるものだと思う。なお、以上の私見は、パラリンピックに関しても同様である。