題詠百首選歌集・その70(最終)

 皆様お疲れさまでした。特に、ラストスパートを掛けて完走された方々、本当にお疲れさまでした。私の至って勝手・気ままな選歌集も、これで最後です。結構慌ただしい思いも致しましたが、いろいろ楽しませて頂いたのも事実です。これより、最終目的の百人一首の選歌に掛かる積りです。ちょっと恰好を付けて、昨年同様11月3日の文化の日を一応の目標にしております。
 今日の選歌は、残ったものの「総ざらい」ということに致しました。半日くらいで終わるかなと思っていたのですが、走者の方々のラストスパート物凄く、結局一日仕事になってしまいました。結構なボリュームですので、お読みになる方も辟易されるかも知れませんが、分けてみてもあまり意味がないと思いますので、全部一括して「選歌集70」ということに致しました。
「総ざらい」の結果、25首以上在庫のある題もあれば、数首だけという題もあります。これまでは25首以上を区切りとしていましたので、1題につき少なくとも1首は選ぶようにしていたのですが、今日は数の少ないものもありますので、選ばない題も出て参ります。なお、何度か注記しましたように、題毎の数字は、主宰者のブログにあるトラックバックの数字を拝借しております。二重投歌や誤投歌もありますので、必ずしも歌の数と一致するとは限りません。

 
 皆様、至って勝手な選歌にお付き合い下さいましてありがとうございました。


       選歌集・その70


001:風(307〜325) 
(minto) 故郷は風待ち港風の音と共に漕ぎ出す広き海原
(大辻隆弘)風のなかに風あることの不思議さを橋上なかばを過ぎて思ひつ
(nine) 大風に吹きさらわれた歌声が樹海で巫女の神託になる
(青山みのり) 風向きのやや木犀となるあした 子は長袖のシャツを選びぬ
(久野はすみ)思い出は耳のうしろにすべりこむ 風をふくんで鳴る手風琴
002:指(318〜331)
(大辻隆弘)ひとすぢの指として陽は濡れながらわたしの頬をなぞつて行つた
(平岡ゆめ) 指だけは知っているから理由など捨てていいのだ夏の真ん中
004:キッチン(304〜316)
 (nine)潔いほどにカップがまっぷたつ二人で笑う夜のキッチン
005:並(300〜305)
(千)キャンパスの銀杏並木にさよならを告げて季節は芽吹きへ向かう
(久野はすみ)スーパーの棚に並んだSPAM缶ひとにいえないことを思えり
006:自転車(293〜302)
(林本ひろみ) 自転車のカゴに雨雲押し込んで泣き出す前に駆け抜ける街
007:揺(278〜294)
(椎名時慈)ひっそりと斜めに伸びるススキの穂 何かが揺らす何かが通る
(大辻隆弘)揺れたのはあなたの息のせゐでなくただ中庭を過ぎ去つた風
(青山みのり)いくたびも同じ小言を子に言いて動けぬゆえに揺るる白萩
(中野玉子)ブランコの前と後ろに妻おんな揺れるどちらの顔もいらない
008:親(277〜294)
(佐藤紀子)哀しくて少しうるさく暖かき親になりたり 我の息子も
(平岡ゆめ) 親指のささくれ舐めつつ夕暮れに「待ち人来ぬ」の辻占を買う
009:椅子(285〜295)
(春村蓬)食卓の揃ひの椅子はそれぞれに不在をのせて存在してをり
(久野はすみ)わたくしをひとりぼっちにするためにカミツレの野に椅子を置きたり
014:刻(246〜266)
(ゆづ)時刻はもう真夜中テレビは砂嵐とにかくあなたの声が聞きたい
(平岡ゆめ) かけすぎた刻みパセリの味ばかり際立つスープを一人飲み干す
(春村蓬)秒針を持たねど時を刻むごとことことと鳴る夜のキーボード
015:秘密(254〜270) 
(香山凛志)小さめの秘密のように抱いているもはや擦りむくこともない膝
(近藤かすみ) 『小説の秘密をめぐる十二章』華ある一冊身めぐりに置く
(久野はすみ)黒蜜の匙をふくめば秘密めく彼と彼女とわたくしの午後
025:とんぼ(243〜247)
(春村蓬)透明な音だけ食べて飛ぶやうなとんぼよ空はさびしくないか
(久野はすみ)末っ子を「おとんぼさん」と呼ぶ母の毛布につける紅いビロード
027:嘘(217〜238)
 (nine) ついた嘘全部信じてくれていたウサギになると言ってた少女
(青山みのり)短めの嘘と二度目の二十五時 どこかで雨の音がしている
(近藤かすみ)『第三の嘘』まで到る道すがら悪童たちは老いはじめたり
(文月万里) 嘘だろう!叫んだ口の真ん中に虚ろにあいたブラックホール
029:草(208〜230)
(ベティ)そばにいる人のない日もまた佳しと宵待草に一献の酒
(浅葱)草むらでつたなき指が紡ぎだすシロツメ草の冠もどき
(杉山理紀)テーブルクロスが風にゆたかにふくらんでまだ見た事のない草原がある
(近藤かすみ)ひつそりと娘子軍花の咲いてゐる『草の庭』まで猫もどり来つ
(千) 草笛を吹きし林にアパートの建ちて子どもら三輪車に乗る
(瀧村小奈生)草色のTシャツに顔うずめたら泣きそうになる陽射しの匂い...
031:寂(214〜234)
(ベティ)寂々と木立は闇に吸い込まれただ彼方から犬の遠吠え
(香山凛志)からみつく風を蹴飛ばしつつ歩く寂しさだけは言わないつもり
(青山みのり)雨音の寂しさよりもみずからを空に吸わるる雲のはかなさ
(杉山理紀) 左手で風の抜け道ふさぎつつ寂しさだけを連れてくる場所
(近藤かすみ)人生はほんま、いろいろありまして『寂聴あおぞら説法』を聴く
(千)平穏の中に潜みし寂しさを贅沢としてかみ殺しゆく
(のんちゃん)寂しさは不意に肩から圧し掛かり蛍火程のため息つかす
(久野はすみ)うまい棒ぼろぼろこぼれ寂しいか 真夜のデスクに片肘をつく
032:上海(212〜236)
(赤い椅子)上海の現地ガイドはピンヒールのサンダルの音けたたましく来る
(ベティ)食後には会話もないと気付かされ上海蟹の甲羅をつつく
033:鍵(217〜234)
(保井香)自転車の鍵を忘れたふりをして校舎の隅で待ち伏せる午後
(久野はすみ) どのドアも朽ちてしまってアンティークショップに並ぶ真鍮の鍵
034:シャンプー(213〜229)
(近藤かすみ) 『シャンプー』は別れた人のわすれもの使ひ切るときまた泣くだらう
(平岡ゆめ) シャンプーを変えた木曜準急に乗り遅れたりひしひしと冬
(文月万里)見も知らぬ男に咽喉をさらしおりシャンプー台に無防備に寝て
035:株(212〜228)
(久野はすみ)着ぶくれて重たい心さっくりと白菜ひと株切り分けており
(文月万里)木の株の年輪の向きで方角が分かる男と林に入りぬ
036:組(197〜225)
(浅葱) 腕組みをして考える横顔の凛々しさゆえに恋がはじまる
(ベティ)一組のピアスを選ぶ午後8時裸身に似合うこと思いつつ
(久野はすみ)紋白蝶迷いこみたり午後四時の経営組織論の教室
037:花びら(219〜228) 
(香山凛志)夕焼けを語り尽くせる語彙もなくコスモスの花びら千切り続けぬ
(文月万里) 春風に舞う花びらをひざの上で開げたノートに閉じ込めて立つ
038:灯(219〜223)
(いたずらっこ) 寄せ返す灯りの波に月の船打ち上げられている秋の夜
039 乙女(223〜227) 
(文月万里)乙女座と照れたように言う青年のやわらかき髪星よりの風
041:こだま(188〜213)
(ベティ)こだまする犬の遠吠え満月はまだ先のこときょうはお帰り
(近藤かすみ)『ねこだまし』手にとりふらりレジへ行く表紙に住まふ猫にだまされ
042:豆(185〜212)
(橋都まこと) 生きるのに疲れた日には黒豆を皺を寄せずに煮含めてみる
(星川郁乃)やさしさはむずかしいから 今日もまた煮立たせすぎた豆乳スープ
043:曲線(187〜214)
(大辻隆弘) 橋の半ばは霧たちこめてこんなにも夜を苦しむ曲線がある
(ベティ)薔薇の花いち輪ぶんの曲線をひきのばしてるくちびるのいろ
(杉山理紀)とおいあかい星を見上げてささやきがどちらともなく曲線になる
044:飛(187〜214)
(けこ)飛行機は見送らないと 約束もしないと決めた 背を伸ばし立つ
045:コピー(187〜211)
(春村蓬) 晩秋のセブンイレブン コピー機のひかりの傍にたたずみてをり
046:凍(183〜207)
(千)戻し方も煮方も知らず凍み豆腐味わうのみの日々は終わりぬ
(久野はすみ)濃く甘い凍結果汁のカクテルをもう恋人でない人と飲む
047:辞書(185〜207)
(近藤かすみ) 『辞書を読む愉楽』を語る本のうへ猫は優雅に跨ぎてゆけり
(瀧村小奈生) はれやかに山積みされた辞書たちの季節は過ぎて待つだけの秋...
(長岡秋生)恋人が辞書を貸し合う図書室に秋の光がひろがってゆく
048:アイドル(190〜212)
(杉山理紀)気の強いひとみかがやくアイドルが関西地区にこぼすカフェオレ
 (nine)ポスターを剥がした白にまだ君を想うさよなら僕のアイドル
(星川郁乃)アイドルがアイドリングでこなしてるトーク聞きつつする長電話
(平岡ゆめ) アイドルの写真にヒゲを描き加え夢の続きを閉じ込めておく
049:戦争(185〜209)
(近藤かすみ) 『日本の、次の戦争』読む前に特上鰻蒲焼を食ふ
(内田かおり) 戦争という言葉すら知らぬ児等ヒーローごっこで敵を倒すも
(平岡ゆめ)戦争の様子が放映されている夕餉秋刀魚の苦さなど言う
050:萌(177〜203)
(究峰) ゆらゆらと萌ゆる想ひのときにあり眠れぬ夜の妄想に似て...
(ベティ)少年の父が遊んだ日々のまま留萌漁港は夕焼けの凪
(春村蓬)戦争を知らずに生きて春ごとに萌ゆる草見き散るさくら見き
051:しずく(185〜211)
(内田かおり)蛇口から落ちるしずくにどきどきの顔で人差し指を当てる児
(春村蓬)ひとの妻となりし日の雨ひとの母となりし日の露 しづく連なる
(星川郁乃)維持液のしずくは音もなく落ちて眠れない子が静けさに倦む
(平岡ゆめ)洗い髪のしずくが落ちて来る儘に欠け行く月の位置を語りぬ
052:舞(180〜201)
(近藤かすみ) 高校の現代国語のテキストの頁の折り跡『舞姫』あたり
(瀧村小奈生) 凧が舞う公園墓地の日曜は風の芯にもぬくみがやどる..
053:ブログ(181〜196)
(杉山理紀) 手短かに今日一日をまとめれば改行だらけの長めのブログ
(平岡ゆめ)知り人のブログの記述をちらちらと斜めに読みつつ渋茶をすする
055:頬(193〜203)
(星川郁乃)頬骨の位置の似てきた顔ふたつ並べばいつも静かな夕餉
(千) 冷たき頬紅潮させき 「おはよう」を言われるのみで満たされし冬
056:とおせんぼ(189〜204)
(近藤かすみ)『とおせんぼだあれ』もしない夕まぐれいつものファミリーマートに帰る
(春村蓬) とほせんぼ小径も今は広がりて犬を伴ひ坂をくだりぬ
(瀧村小奈生)とおせんぼ開いた腕にとびこんで来る子抱きしめお日さまを嗅ぐ...
(中野玉子)中央の大という字がとおせんぼしているような学祭ゲート
(平岡ゆめ)いつだって兄にとうせんぼされていただらだら坂を自転車で行く
057:鏡(165〜194)
(ことら)真昼間の鏡は虚(うつ)ろ 誰(たれ)も彼(か)も己の顔を知らず歩めり
(大辻隆弘)三面鏡のうちがはに無限級数のわたしがあつた、こはくて閉ぢた
(くろ)鞄にてストッキングの伝線を隠せり空の鏡のしたで
(けこ) 合わせ鏡 ぎらり瞳は闇に浮く 肉食獣に戻る片恋
(近藤かすみ) 遠くなる昭和の暮らし綯ひまぜに『思い出万華鏡』のきらめき
(内田かおり)ままごとのお家のための衝立に吊した鏡に家族が写る
(青山みのり)生まれてはこない子供に鏡文字「青山里央」の名を授けおり
(平岡ゆめ)妹の鏡には姉の顔をして映り続けるわたくしがいる
058:抵抗(165〜195)
(村本希理子) 抵抗といふより摂理 旧仮名に咲くあぢさゐのあをのむかうは
(寒竹茄子夫)ゲリラ戦の抵抗はかなき青き街隻眼の漢(をとこ)瓦礫をあゆむ
(けこ)そこにある空の抵抗抱きしめてスカイダイブで浮かぶ初夏
(minto) 横書きの歌に抵抗なくなりぬ三十一文字をパソコンで打つ
(内田かおり)3歳の「いやだ」は抵抗ではなくて試みらしいと思うときどき
(春村蓬)抵抗をせぬ飼ひ犬はせつなくも獣の白き牙をもちたり
(久野はすみ) 無抵抗無防備にして燃えやすきこころを抱く夜のしじまに
059:くちびる(167〜197)
(みにごん)赤すぎるくちびるばかり三十を過ぎてうんざりするクラス会
(ことら)くちびるで触れれば静か 柔らかき闇と君との継ぎ目をなぞる
 (nine)くちびるの色でわかった 君の想う人がわたしじゃないってことも
(近藤かすみ) 『くちびるに紅を』差すときこの仕草あと幾たびと母思ひしか
(内田かおり) ともだちに上手く思いが伝わらぬあの児はくちびる突き出して立つ
(春村蓬)くちびるの動き少なき言語もて成田を発ちぬ秋分の日に
(瀧村小奈生)「やあ」というただそれだけのくちびるの動きが深い残像となる..
(中野玉子) てのひらにくちびるを持ついきもののようにあなたをなでまわしている
(久野はすみ)くちびるに金魚の尾びれちらつかせ事の顛末話しましょうか
(文月万里)さくら咲き桜散りゆきくちびるに押し当てなぞる淡きくちづけ
(青山みのり) ほんとうは桃は苦手というきみのくちびるゆるむ日曜の午後
060:韓(191〜197)
(久野はすみ)わたくしに近くて遠い韓のくに片膝をたてチャンジャをつまむ
061:注射(185〜191)
(文月万里)腕を刺す銀色の細き注射針わが血の色は石榴の色す
062:竹(187〜193)
(くろ)身のうちに毒をいだきて立つ庭の夾竹桃の間(あひ)のあをぞら
063:オペラ(184〜191)
(久野はすみ)漆黒の幕を下ろして夜は来るソープオペラの哄笑のなか
(青山みのり)降りはじめの雨のテンポで歩きゆくオペラ序曲のごとき夕暮れ
064:百合(185〜191)
(みにごん) 百合ゆれて夕闇のなか友情と呼んではならぬスカートふたつ
066:ふたり(159〜188)
 (夜さり)約束は何も交はさず八つたびの季節移ろふふたりの二差路
 (佐田やよい) 錆びついたこの自転車をふたりのりしていた秋の夜へとかえす
(内田かおり)仲良しのふたりは今日も手を繋ぎ各々違うことを言い来る
(折口弘)ひとり去りふたり去りしていなくなり 夏のベンチの夢は醒めゆく
(春村蓬)ふたりから始まり四人の季(とき)は過ぎひとりひとりに生れしその空
(千)ふたりから増えていく家族たれと願う われらの夜に雨降りしきる
(文月万里)ふたりならしあわせだよと言うようにあふれる写真の笑顔が痛い
068:報(156〜186)
(ことら)仄白く夜が明ければ 冷えている肩抱き寄せて雪を報せる
(佐田やよい)君からのメールがきたと報せてる携帯電話を砂場に埋める
(浅葱)報告をすることも無く母と飲むお茶ほのぼのと緑の香り
(のんちゃん)ブログには報告ばかりの記事を書き合間に天気予報を見にいく
(星川郁乃)電報を文例通り打つ 昨日会ったことない従兄弟が逝った
(千) ビールでも飲みつつ聞いて耐えている テレビの報じる薄いニュースを
069:カフェ(179〜185)
(くろ)お祭りの丸提灯の店の名に「カフェバー青」を今年も探す
(魚虎)カフェラテをひとさし指でかきまぜて木漏れ陽のなか詩集を汚す
(千)雑踏を抜けて君待つ幸福を知りし十九の五月のカフェで
(久野はすみ)こまどりの止まり木として大正の香りを残すカフェの階段
070:章(182〜188)
(くろ)文章のやうなことばを口にするせいねんの口ばかり見てをり
(久野はすみ) 第二章 しばらくぶりに読み返すロマンスのため熱い紅茶を
071:老人(158〜189)
(象と空)老人の愚痴など聞いて日々過ごす浪人のいま秋の夜長い
 (佐田やよい)老人が座るベンチに降り積もる記憶のような雪 音もなく
(浅葱) ウィーンの街を眺めて老人が朝のカフェにて飲むカプチーノ
  (P)黄昏は沈み行く陽のきらめきと ひとり呟く痩せた老人
(春村蓬)老人の集へるカフェの風見鶏やや傾きてゆるゆるまはる
(くろ)おみくじにつきしちひさくかたどれる南極老人さいふに住まふ
072:箱(177〜184)
(ベティ)押し入れの奥ひっそりと玩具箱息づいている嫁入り前夜
(久野はすみ) あとあじのわるい言葉をつめこんで重箱にしておかえしします
073:トランプ(157〜185)
ひぐらしひなつ) トランプに飽きて投げ出す指先が床に転がる陽射しに触れる
(堀 はんな) もう誰も遊ばなくなったトランプが静かに眠る引き出しの中...
(近藤かすみ)いつか読んだやうな気もするまた読まう『思い出トランプ』裏むきのまま
(折口弘)トランプの最後の一枚隠し持ち 君に引かせるハートのエース
075:打(160〜184)
 (佐田やよい)打たされた外野フライがいつまでも浮かび続ける頭の中に
(けこ)うつせみの単(ひとえ)に惑う君なれば飾り言葉で終止符を打つ
(内田かおり)用務員のおじさんの手にくぎづけの三歳初めて釘打ちを見る
(近藤かすみ)『定年なし、打つ手なし』とふ主婦業のくれなゐのうつろ歌にて埋めむ
(春村蓬)打たれれば打たれた数のしづけさに鳴り響きたる冬の打楽器
(星川郁乃)ただしさで追い詰めている 相槌のかわりに「でも」という鋲を打つ
076:あくび(159〜186)
(浅葱)あくびするみどり児の頬のゆるやかなカーブに沿って時は流れり
 (佐田やよい)赤ちゃんのあくびのような秋の午後 風と落ち葉が騒ぎ始める
(ことら)エロースが小さきあくび噛み殺すイオニア式の石柱の陰
(小太郎)泣き止んでうつらうつらとする吾子の額を嗅いであくびする猫
(瀧村小奈生)教室にあくびの輪っかつらなって時計の針がぐにゃりと曲がる...
(春村蓬)日だまりにあくびを置きて去る猫は振り向きざまに「余韻」と鳴けり
(星川郁乃)声付きのあくびひとつに遮られ疑問符たちを引き連れ帰る
077:針(162〜190)
 (佐田やよい) ガリバーの大きな服を縫い合わすお針子になる日曜の午後
(ことら)仏蘭西の香水染むる針箱の銀の指貫盗みたき春
(内田かおり)ホチキスの使い勝手を知った児が針なくなったとまた言いに来る
(近藤かすみ)『秒針』の弛みを見せぬ働きを無視する族を世間と呼ばむ
(瀧村小奈生)水泡に針を当てればあふれだすわたしの水の部分に触れる...
078:予想(155〜183)
(大辻隆弘)わが生にもつとも遠きものとしてフェルマー予想最終解決
 (佐田やよい)予想屋が教えてくれたこの恋の行方を今はカバンにしまう
 (nine) 蒲公英の花をむしって予想するあなたがいない過去いる未来
079:芽(156〜183)
 (佐田やよい)ジャガイモの芽をとりながら歌いだすサビしか思いだせない歌を
ひぐらしひなつ)芽吹く音たててゆっくり麓から(あらあらかしこ)春が蝕む
(ことら)春の雨 花木蓮の白き芽はみな躊躇わず上を向きたり
(堀 はんな) 花よりも紅く萌え出ず若き芽の垣根に春の風吹きわたる...
(ゆづ) 春だから芽吹いてもいい恋心 そんな予感で電車に乗った
(内田かおり)花芽とは知らぬ児たちが秋の実と共に摘んでる園庭椿
080:響(158〜183)
(内田かおり)琴線に響く言葉の二つ三つ隠る絵本を今日も読み継ぐ
(小太郎)旅立ちの歌響かせてまっすぐに立つ君の背に突き抜ける空
(佐田やよい)制服のボタンをひとつはずされて水面に響くオーボエの音
(瀧村小奈生)残響に抱かれたまますわってるライブのはねたフロアのすみで...
081:硝子(159〜182)
(堀 はんな)台風がひとつ行き過ぎ硝子拭く背中に当たる風の涼しき...
(小太郎)ちゃんぼんを鳴らして帰る秋祭り硝子の鼓動が縮む膨らむ
(近藤かすみ)『硝子戸の中』に漱石全集が鎮座してゐる古書店の闇
(春村蓬) プードルの子犬の眠る昼下がり硝子越しなる冬の陽はのぶ
(瀧村小奈生)冬の陽が硝子障子をくぐりぬけばあちゃんの背を包む夕暮れ...
(星川郁乃)もしかして泣いてたでしょうテディ・ベア 硝子釦の瞳をぬぐう
(みにごん)和硝子に映る黒髪 忘れてはならない人を忘れて生きる
082:整(157〜184)
(堀 はんな) 整いし眉の描けたる鏡台に「いいことあり」と一人微笑む...
(内田かおり)保育室は整いすぎても遊びにくいことを学びぬ今年の児等に
(小太郎)整った舗道を埋めるはなびらに揺さぶられてる始まった恋
(近藤かすみ)そのうちに該当部分が自己主張はじめる気配か『整形美女』ら
(佐田やよい)整然とシャツが並んだひきだしに石のはずれた指輪がひとつ
(春村蓬) 誕生日前後にいつも思ふこと 整理整頓、美人薄命
(文月万里)整えし夕餉の卓をそのままに二人無言で背を向け眠る
(千)端整な阿修羅の祈りに会いたくて初秋の奈良で向かい合いおる
083:拝(166〜183)
(春村蓬)来年の春を思つて蒔く種の拝むかたちに双葉出揃ふ
084:世紀(164〜181)
(春村蓬) 半世紀生きたれば西に旅せむと友と始める郵便貯金
(文月万里)世紀末難なく過ぎてふと思うわが見ぬ次の世紀や如何に
085:富(162〜184) 
(佐田やよい) 私だけ負け続けてる大富豪やまない雨の音ばかりする
(春村蓬)新しき通帳もてばきのふより富みて師走を迎へむとせり
(星川郁乃)富むゆえの異臭の気配 ひだまりに『ローマ帝国衰亡史』置く
(ベティ) 曾祖母の富山訛りにほかほかと大根を煮る湯気たちのぼる
086:メイド(160〜182)
(小太郎) 優しさを気づかれないように詰め込んだハンドメイドの君のブランチ
(瀧村小奈生)なにもかもホームメイドが一番のちょっとぬるめの男と暮らす...
(ベティ)マーメイドラインのドレス華やいで友はきょうから別の名のひと
087:朗読(161〜182)
(小軌みつき)そぼ降れば雨がつつんだ教室のきみの朗読ひびく世界史 
(春村蓬)朗読の声すでに止み一泊で返せなかつたレンタルビデオ
(ベティ) 朗読をするようにしか愛せない機械仕掛けの恋人を抱く
088:銀(156〜177)
(近藤かすみ)ババロアを『銀の匙』にて掬ふひと若葉の憂ひ知ることもなく
 (佐田やよい)錆びのうく銀のスプーンを磨いてる老婆がつむぐ恋のお話
ひぐらしひなつ)あしたには湖底に沈む集落に大銀杏の黄そそいで止まぬ
(ベティ) もう冬の空かと気付く終電車 銀河のゆらぎに運ばれてゆく
(文月万里)誰からも電話の来ない一日の終わりに銀の三日月仰ぐ
089:無理(155〜177)
(内田かおり)無理矢理に押し込めている切なさがエプロンの裾引っ張っている
(小太郎)無理やりに忘れさせてた感情を届ける駅に落ちる初雪
 (佐田やよい)無理やりに荷物をつめてチケットを握れば誰も旅人になる
090:匂(156〜180)
(大辻隆弘)匂ひなき冷たい部屋に椅子を引きあなたは明日の予習をしてた
(近藤かすみ)日の暮れのあの『家の匂い町の音』路地でむかしの私が遊ぶ
(小太郎)お互いの匂いを確かめ合う夜の軋むベッドの外は粉雪
 (佐田やよい)くちづけを教わっているしんとした金木犀の匂う校舎で
ひぐらしひなつ)匂わせるような言いかた 引出しに鳥のかたちの消しゴムがある
(星川郁乃)茉莉花茶のかつては花でありましたみたいな匂いまみれの深夜
(瀧村小奈生)唐突に金木犀は匂いだす信号待ちで開けた窓から...
(ヒジリ)あいたいとくりかえされるその度に心がわりの景色が匂う
 (nine)病室でまた眠り落つ 窓辺には春の匂いの金の蒲公英
(魚虎) ためらいを匂いにこめて(くもりぞら)あなたの声を待つふりをする
091:砂糖(155〜178)
(近藤かすみ)戸だなには『すみれの花の砂糖づけ』たちまち少女に戻るその味
(小太郎)笑む人のおとぎ話に散歩する氷砂糖の星をみあげて
 (佐田やよい)色つきの砂糖菓子にはなれなくて もうあなたとは笑いあえない
(瀧村小奈生)氷砂糖口に含んでからころと鳴らして歩く夕暮れの道...
(みあ) 砂糖入りコーヒーばかり飲む父を叱る人なく冬の足音
(ベティ) あいまいに言葉を濁す甘いうそ氷砂糖の不透明さで
(魚虎)角砂糖を壁にぶつけてきらきらと記念日みたいな甘い平日
092:滑(156〜175)
 (佐田やよい)どこまでも直滑降ですべりきる後ろの君を見ないふりして
(文月万里)ロープつかみ滑っては登りを飽きもせず繰り返す子を飽かず見ており
093:落(151〜179)
(大辻隆弘)遠からぬ落魄の日よ、もしそこに添へうるものがあるなら茜
(小軌みつき) 落しモノ入れにはビー玉ひとつぶの泡よりもろいさけび声たち
(瀧村小奈生) 底のない闇に向かって落ちてゆく目覚めきれない明け方の夢...
(みあ)熟れすぎの柿は何かをあきらめてぐるんぐるんと空から落ちる
(まゆねこ)幼子の靴の片方落ちており若草の野に花咲くように
094:流行(157〜178)
(折口弘)流行を崇める風潮揶揄してた青年のまま老うる吾がいて
ひぐらしひなつ)流行歌大音量で流れつつ啜らされてる屋台ラーメン
(幸くみこ)ばあちゃんの娘時代の流行り歌 まんまる猫背が揺れる炊事場
(中野玉子)急行と各駅のあと流行が三番線を通過していく
(ベティ) 流行で括られている少女らの足首細く街を這いずる
096:器(172〜174)
(まゆねこ) 自転車のパンクを器用に直す夫つるべ落としの日に輝きて
097:告白(174〜177)
(みにごん)早朝の告白だっていいじゃない折り目正しいセーラー服で
098:テレビ(171〜174)
(まゆねこ)話し声欲しい夕暮れ見ていないテレビを付けてキッチンに立つ
(文月万里)パリローマ快晴と告げる真夜中のテレビを無視し魚をさばく
099:刺(175〜179)
(瀧村小奈生)スウェーデン刺繍のように繰りかえす日々は静かに過ぎていきます...
(まゆねこ)クッションの刺繍の蝶は未完成飛ぶこと出来ず十年を経ぬ
100:題(172〜177)
(小太郎) 題名を未だ持たない背表紙に刻める文字を探す歌人(うたびと)


〇選歌した作品のない題・・・・003:手紙(309) 010:桜(282〜285) 011:からっぽ(283〜285) 012:噛(283〜284) 013:クリーム(273〜274) 016:せせらぎ(260〜261) 020:信号(246〜262) 021:美(254) 023:結(251) 030:政治(234〜241) 040:道(222〜226) 054:虫(189〜199) 065:鳴(185〜191) 067:事務(182〜188) 074:水晶(184〜188) 095:誤(171〜176)
〇既に選歌済みの題(=在庫のない題)・・・017:医 018:スカート 019:雨 022:レントゲン 024:牛乳 026:垂 028:おたく