福田総理の退陣(スペース・マガジン10月号)

 例によってスペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。



  [愚想管見] 福田総理の退陣        西中眞二郎

 
安倍さんに続き、福田さんまでの突然の退陣には驚いた。福田さんがどのような心境で退陣の決意を固めたのか、その底にどのような深層海流が流れていたのか、もとより私には知る由もないし、素人の憶測をあまり書く積りはない。
 
 インターネットのニュースで、読者のコメントを書き込めるものがある。コメントだけでなく、感想として、受けた印象の選択肢を選べるようになっている。辞任表明当日、その欄を見てみたら、「怒っている」が圧倒的に多く、「呆れた」、「悲しい」がこれに次いでいた。「怒っている」人は、当然のことながらその無責任さに怒りを感じているのだろう。「悲しい」という人も結構多かった。コメントを見ると「小泉・安倍からの負の遺産を引き継いで、福田さんなりに頑張っていたのに、野党や公明党に足を引っ張られてお気の毒」という類のコメントがかなりあったのは、いわゆる国民感情としては少々意外だった。
 もちろん、インターネットに対する書込みだから、人数も限られているし、書き込んだ人々の年齢や信条にも相当の偏りがあるだろうから、これがそのまま世論であると見ることはできないだろう。しかし、読んでみて興味が湧いた点もいくつかあるので、もう少し触れてみたい。


 コメントの中で一番多かったのは、「自民党、あるいは日本の政治」に対する失望と反感だったが、これはニュースの内容から言って当然のことだろう。「民主党が反対のための反対をしたことに責任がある」という反応が結構あったのは、意外と言えば意外だった。麻生さんや小沢さんに期待するコメントも多少あったが、麻生さんや小沢さんは嫌いだというコメントの方がむしろ多いように見受けられた。ご両人とも、その個性の強さゆえに、好悪の落差が激しいということなのだろか。


 「二世議員のひ弱さを露呈した」という類の反応もいくつかあったが、私には多少の疑問がある。福田さんは、サラリーマンとしてかなりの苦労を重ねた人であり、政治家への転身もかなりの年齢になってからで、いわゆる「お坊ちゃん」とは少し違うというのが、その疑問の理由だ。ついでに言えば、三世議員は、二世議員よりもっと問題が大きいような気がする。二世議員の場合、人格形成期だった10代のころには、その父親はまだ大物ではなく、政治家でもなかった場合が多い。それだけに、「普通の市民」の子弟として成人した場合が多いと思うが、三世の場合はそうではない。少年期にオジイサマは既に政治家としてその地位を確立した存在であり、「大物政治家の孫」として、世間から特別視され、ある意味では純粋培養されたケースが多いような気がする。それだけに、庶民感覚を欠き、偏った性格形成をして来た面があるような気がするのだが、これは私の偏見なのだろうか。
 

 いずれにせよ、小泉・安倍・福田、いずれも宰相の座を狙って長年修練を積んで来たという面はほとんど見えず、時の流れに押されて、宰相の座が転がり込んで来たという面は否定できないだろう。帝王学を心得ないままに宰相になった人の末路と言えなくもないような気もする。(スペース・マガジン10月号所収)


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 掲載された文章は以上で終りだが、多少補足したい。
 
 この手のものは、月刊誌ではついつい「月遅れ」の原稿になってしまい勝ちである。そんなこともあって、1月くらい前に、多少似たようなものをこのブログにも載せた。いまの時点で書くとすれば「麻生総理論」なのだろうが、本文後半の三世政治家論(?)は、実は麻生さんのことも念頭に置いて、先取りして書いた積りだ。
 それにしても、二世、三世議員の跋扈は目に余るものがあるが、それだけに単なる二世くらいでは驚かなくなった。いまや政治家は、麻生さん、安倍さん、小泉さん、新大臣に抜擢(?)された小渕さん等々、三世の時代に移りつつあるのかも知れない。。鳩山兄弟に至っては、三世どころか四世だし、小泉ジュニアが当選すればこれまた四世ということになる。
 二世の場合、政治の世界に入るバリアが極めて低いという大きなメリットはあるだろうし、それはそれで大きな問題だが、本文にも書いたように、彼らの場合、人格形成期にはある程度の庶民感覚は持っていたはずだ。ところが、三世の場合はそうではない。政治が庶民の世界からますます遠ざかっているような気がしないでもない。