消耗と憧憬(スペース・マガジン1月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


 
      [愚想管見]   消耗と憧憬              西中眞二郎


 「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるが、言葉に関しても誤用がいつの間にか定着してしまったケースもいろいろある。話の種にいくつか列挙してみよう。
 まず「独壇場」。本来は「独擅場(ドクセンジョウ)」だったのだが、今ではすっかり「ドクダンジョウ」に変わってしまった。良く見ると、漢字も変わっている。おそらく「擅」という字に馴染みが薄いので、よりポピュラーな「壇」に変わってしまい、それにつられて読みまで変わってしまったのだろう。
 「病膏肓」も同様である。ご存じの通り病が重いという意味だが、「肓」が「盲」に変わり、読みも「ヤマイコウコウ」から「ヤマイコウモウ」に変わってしまった。もっともこちらの方は、まだ「ヤマイコウコウ」と正しくお使いの方もおられるようではある。
 「消耗」。本来は「ショウコウ」だが、現在では完全に「ショウモウ」になってしまった。おそらく「耗」の中の「毛」に引きずられて「モウ」と誤読したのがはじまりなのだろうが、同じ「耗」でも、法律用語の「心神耗弱」は、現在でも正しく「シンシンコウジャク」と読まれているようだ。
 「早急」。正しくは「サッキュウ」だが、最近では「ソウキュウ」と読んでいる人の方が多いのではないか。「サッキュウ」がいつまで命長らえるのか気になるところではある。
 「一段落」。もとより「イチダンラク」だが、最近では「ヒトダンラク」と読む人も多いようだ。いつだったかNHKの報道番組でも、「ヒトダンラク」と聞いた記憶がある。
 「喧々囂々」と「侃々諤々」。「ケンケンゴウゴウ」と「カンカンガクガク」である。前者は四方八方から非難を受けるといった意味であり、後者は臆せずに正論を吐いて大議論をするといったニュアンスである。ところが、最近、両者を混同して、「昨日は、ケンケンガクガクの大議論をしたよ」などとおっしゃる方が結構多いようだ。
 以上と一味違うのが「憧憬」である。正しくは「ショウケイ」なのだが、私の子ども時分から、「ドウケイ」がすっかり定着していた。もとより「あこがれ」という意味だが、「鐘」の「ショウ」と同様の読みだったはずなのに、おそらく児童の「童」などに引きずられて誤読がはじまったのだろう。ところが最近になって、テレビのテロップなどで「憧憬」という文字が出て来た場合、「ショウケイ」とわざわざルビを振っているケースを何度か目にした。正しい読みに戻ることに全く異論はないのだが、なぜ半世紀以上も経った今になって、定着した誤読に異を唱えて正しい読みを強調するようになったのか、何だか不思議な気がする話でもある。
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 明けましておめでとうございます。早いもので、このコラムを持たせて頂いてから七回目の正月を迎えます。至って勝手気ままなコラムですが、今年もよろしくお願い致します。今年が皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。(スペース・マガジン1月号所収)