消費者は王様?(スペース・マガジン10月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


      [愚想管見] 消費者は王様?      西中眞二郎


 最近我が家の近くに、スーパーやコンビニが何軒かできた。10分くらいで歩いて行ける範囲に、今では6,7軒の店舗がある。毎朝の新聞には、そのうち何店かのチラシが入っており、家内はそれをフォローするのにおおわらわである。店ごとの値段や特売を選んで買い物をすれば、1日で何百円かの節約になるようであり、家内は消費者の特権を謳歌しているようにも見える。そういった意味では、消費者はまぎれもなく王様である。
 しかし、もし何かの事情で私が買い物の担当になったとしたら、私が果たしてその特権を享受できるのかどうか。何枚かのチラシを毎朝比較検討するという律義さは私にはないし、おそらく一番手近なスーパーで買い物を済ませてしまいそうな気がする。それだけで済めばまだ良いのだが、おそらく、もっと安く買い物ができたのではないかという疑念にとりつかれつつ、そうかといってチラシを真面目に読む気にもならず、無駄遣いをしたような罪悪感(?)を抱きつつ、やや割高な買い物を続けるのではないかという気がする。
 一般論として言えば、この場合消費者の特権を享受できるのは、各店の状況を判断するだけの材料が手近にあり、それを判断する意欲と能力と余裕があるという場合に限られて来るような気もするし、一方でその消費者は、日夜判断を迫られるというストレスに直面しているような気もする。
 以前の電話は電電公社の独占だった。われわれ利用者は、何の選択もできない状況にあったわけだが、同時にどれにしようかという選択を迫られることもなかった。現在では、選択の幅が大きく広がっているのだが、どの会社を選べば良いのか、私には正確な判断基準がない。以前、ある会社の勧誘に応じて切り替えたことがあるのだが、思ったほど安くもならず、また使い勝手の悪いところもあったので、再度別の会社に切り替えた。現状がベストの選択なのかどうか、未だに私には判らない。現在電力の自由化が進められているようであり、正しい方向だとは思うものの、果たしてプロではない一般の消費者が一番適切で賢明な判断ができるのかどうか、私には自信がない。
 パソコンやプリンターにも、当然のことながら寿命があり、何年かに1度は買い替える必要が出て来る。以前のものに比べれば、値段が安くなっているのは間違いないが、性能の方はどうなのだろう。素人の私の目から見れば、性能の向上よりは、むしろ使い馴れたソフトの方がありがたいような気がしてならない。パソコンを本当に有効に活用しているその道のプロから見れば、性能の向上が大事なことは当然だろうが、私にとって余り高級な性能は必要ではない。漢字の変換能力などは、むしろ以前のソフトの方が優れていたような気がするし、以前のソフトより改善された点というのは、余り目に付かない。むしろ、不慣れさから来る使い勝手の悪さの方が気になる。
 消費者が本当に「王様」になるためには、われわれも賢い消費者になることを迫られるのだろうが、それを供給する側も、消費者のニーズがどこにあるのかということを賢明に判断して欲しいものだと思う。(スペース・マガジン10月号所収)