財界の憲法論議に異議

 現在の御時世、言いたいことはいろいろある。そもそも一昨年、任期を残して仕事を退いた大きな理由は、自由にものを言いたいということだった。小なりと言えども、特別認可法人の会長の職にあると、政治的な発言や政府批判的な発言は、何となく気分的にはばかられる面もある。そんな理由で退任して以来、朝日新聞の声に投稿し、何度か掲載されたこともあるが、以下は、先日投稿して掲載されなかったものである。これからも、掲載されたもの、されなかったもの、別に「声」への投稿に限る積りはないが、ぼちぼちこの「日記」に転載して行きたい。
 実は、もう一つ目的がある。このパソコンのほかの部分に入力・保存している文章が、この「日記」にコピーできるのかどうかのテストしてみようというのが、今日のところの主目的だった。試行錯誤の結果、コピーできることが判ったので、これからも、折を見ながら、保存済みの文章を転載して行こうかと思っている。。これは、その記念すべき(?)第1号というわけだ。

<財界がなぜ憲法か>

経済同友会、商工会議所に続いて、日本経団連改憲の報告書をまとめたようだ。内容の是非はともかく、その論議自体が私には納得できない。
経済団体が政治や法制について口出しすべきではないという積りはない。しかし、それは、あくまでも経済の観点から、企業の総体としての経済団体の立場から必要な事柄に限られるべきである。現行憲法がわが国経済にとって深刻な問題を提起しているとは思えないし、そういう意味では、例えば憲法より総理の靖国参拝の方が、日本経済にとってより直接的な利害を持つ問題だと思う。
経済団体は、文字通り経済団体であり、それ以上でも以下でもない。ましてや、国民をリードし世論形成に影響力を持つべき性格の団体ではない。自己と直接の利害関係を持たず、本来の守備範囲でもないことに口出しすることは、経済団体としての本来の使命を忘れたものとなり、かえってその権威を落とすことにつながると思う。
今回の提言をまとめた人々がどれだけの「見識」を持っている人々なのかは知らないが、それはあくまでも個人としての見識にほかならないし、世間一般の床屋政談と質的に異なるものだとは思えない。また、それが経済界の重大な利害に基づく経済界全体の総意だとも思えない。大きな力を持つ有力な団体だけに、その言動には節度を持って貰いたいし、良く言えば過剰な責任感、悪くいえば過大な自負や思い上がりは是非避けて頂きたい。