ブログ初心者の感想と字体

ブログをはじめて10日間くらいは、ヤフーのトップページから「西中眞二郎」で検索してもこのブログに行き当らなかったのだが、昨夜から出て来るようになった。やはりタイムラグがあるのか。「これで一人前のブログとして認知された」という気がしないでもない。
 他方、このブログが多くの方々のお目に止まるかも知れないということを考えると、少し怖いような気もする。考えてみれば、新聞や雑誌に自分が書いたものが載ることには、さほど怖さを感じないのだが、自分のブログとなると、ちょっと感覚が違って来る。喩えて言えば、新聞や雑誌の場合には「よその会場で不特定多数の方に対して勝手なお喋りをしている」という感覚なのに対し、自分のブログの場合には、「見ず知らずの他人が自宅を訪ねて来られて、我が家でお喋りをしている」という感覚なのかも知れない。よその会場でなら、議論になってもそれほど気にならないが、自宅の座敷での議論は余りやりたくない・・・といった感覚なのだろうか。
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 私には、名前が二つある。一つは本名の「西中眞二郎」であり、もう一つは、新字体の「西中真二郎」である。、印刷物や手紙の宛名などで、新字体の「西中真二郎」と書かれることも多い。この二つを違うものとして意識したことは、これまでほとんどなかったし、以前旧字体の活字等が少なかったころには、私自身の名刺を「西中真二郎」で済ませていたこともあったし、たまたま出て来た高校時代の作文を見たら、自分自身で「西中真二郎」という標記をしていた。
 パソコンをはじめて間もないころ、インターネットで「西中眞二郎」を検索してみたら、当然出て来るはずのもので出て来ないものがある。思い当ったのが字体の相違である。果たして「西中真二郎」で検索してみたら、かなりのものが出て来た。言うまでもないことだが、人間なら「眞」も「真」も同じ文字として認識できるが、機械の場合はそうも行かないのだろう。「西中眞二郎」と「西中真二郎」は、かかわりのない別人なのである。したがって、パソコンに関する限り、「私には名前が二つある」ということになってしまう。「沢」と「澤」、「渡辺」と「渡邊」と「渡邉」等々、他人の名前の場合には、さほど神経を使わずに使用している場合が多いが、私の場合以上にシリアスなケースもあるだろうと想像している。これだけ技術が進歩したのだから、「眞二郎」で検索したら「真二郎」も出て来るということもそれほど難しい話ではないような気もするのだが。
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 以上は私の素朴な感想なのだが、それをここに書いたということには、隠れた意図もある。それは、「西中真二郎」で検索してもこの日記に行き当るように、この日記の中に「西中真二郎」という単語を入れておこうという狙いである。果たしてそううまく行くのかどうか、それはこの文を閉じて検索してみるまでは判らない。(その後検索してみたのだが、5月4日現在では、まだ出て来ない。・・・・5月6日、出て来るようになりました。)