茶椀(高校生のころの掌編)

在庫一掃大セール、とびきり古い50年前の在庫の登場である。不良在庫なのか掘り出し物なのか私にも判断つかないが。
高校3年のときの国語の授業で、掌編小説を書けという宿題が出た。そのときまず書いたのが、この「茶椀」だった。前年の秋に私の養父が死亡したことがテーマを選ぶきっかけになったのだが、内容的には事実とフィクションとが混在している。提出前にその掌編をある友人に見せたら、「お父さんが亡くなったばかりなので、生々し過ぎる」との感想だった。判ったような判らないような感想だが、私もそのときは何となくそんな気がして、これは提出せずに、もっと「無難な」別のものを提出した記憶がある。  
その後、時折、日の目を見なかったこの掌編を思い出すこともあったのだが、先日家の建替えのために荷物を整理していたら、紛失したと思っていたこの掌編が、古い荷物の片隅から出て来た。諦めていたものだけに、懐かしくもある。当時の養父より遥かに年長になった「老人」の至って幼稚なセンチメンタリズムなのかも知れないが、私にとって幻に近かったその掌編に日の目を見せてやりたい気持もある。なお、漢字や句読点の用法等は、現在の私の用法とは異なる点も多いが、原文のままで手を加えないことにした。

掌編「茶椀」
                3年4組    西中真二郎

彼は死を宣告されていた。若い頃からの不養生の為に、彼の身体はぜんまいのこわれた機械人形の様にもろかった。この調子じゃああと半年もつかもたないかでしょう、と医師は彼の妻に言った。彼は直接それを誰からも聞いたわけではなかったが、不思議な直感でそれと覚っていた。彼は床についていた。自分の体の衰えは、自分が一番よく知っていた。この分じゃあ、あいつが帰ってくるまで、もたないかもしれないなあ、と彼は真顔で妻に言ったりした。妻は口先ではそれを否定したが、妻の心が彼には解っていた。妻はそんなとき、よく物かげに隠れた。出て来たときには、目を赤くはらしていた。彼はそんな妻を、苦々しさのまじった憐れな気持で見つめていた。この妻だけが彼の唯一の頼りだった。東京へ出ている息子は、もう親のものではなかった。
 病は進んだ。彼は葬式用の什器を買う様に妻に命じた。妻はつらい顔をした。それでも彼のその命令に救われたかの様に、妻は町から茶椀や皿の見本をとりよせたりした。
 彼はそれらに一々目を通して、気に入ったのだけ買い揃えさせた。とりわけ、渋い大きな茶椀は気に入った。彼は自分の葬式のことを想像することがあった。それは楽しい想像だった。みんなが生前の彼の陰徳を賛える、僧侶が荘厳なる読経をする、背広を身につけたばかりの息子が位牌を持つ、ただその葬式に、彼自身が参列できないことが、なんといっても心残りだった。彼は宗教を信じなかった。老母が盲目的に信心するのを、軽蔑したりしていた。自分の死期が迫ったとなっても、その点に変りはなかった。ただ死後の世界はある様な気がした。そうあってほしいと思った。自分の葬式を上空から見下している自身の姿を想像したりした。彼の見守る下を葬列が続くのだ。然し、いったん理性にかえって見れば、それは悲しい想像だった。死と共に自分の身体は土の中に消えるのだ。それは耐えられる。然し自分の心が地上から消えることに対しては、どうしても耐えられなかった。
 正月が近づき、息子が帰って来た。息子はつやの良い顔をしていた。死んで行く自分というものを、息子を見ることによって、一層切実に彼は感じた。もうその寂漠に彼は耐えきれなかった。彼は妻と息子の名を呼んだ。二人は緊張した顔をして坐った。
 俺はうっかりしてたよ、と彼は口を開いた。折角葬式の茶椀なんか買ったが、俺がその茶椀で飯が食えないことを、きれいに忘れていたよ、俺は何だか、俺の葬式の御馳走を自分で食える様な気がしてたんだが、無理な話だなあ、彼は殊更に冗談めかしてそう言った。妻は黙って席を立った。息子は黙ってうつむいた。無理な相談か、と彼は又大声で言って、大きく笑った。笑いながらも、涙がこぼれてくるのを彼は意識していた。茶椀が一つ、いつもの様に彼の枕元に置いてあった。