私の短歌観・題詠マラソン

  短歌をはじめて50年以上になる。どの結社にも属さず、専ら唯我独尊である。若いころは新聞や雑誌に投稿し、それなりの評価を受けたこともあるが、最近はそれもほとんどやっていない。最近やっていることと言えば、新年歌会始に投稿していることと、現代歌人協会主催の全国短歌大会に年一度投稿している程度である。歌会始ではまだ選に入ったことはないし、全国短歌大会はせいぜい佳作に入選する程度である。
     我が歌はB級グルメの類なると開き直りて還暦を過ぐ
数年前に作った歌なのだが、これが私の偽らざる心境である。
  もっとも、歌集は2冊出した。最初は昭和62年、通産省退官を契機に「前半生――自歌自注(ぎょうせい刊)」を刊行、次に一昨年仕事を退いたのを契機に「短歌集・春の道(砂子屋書房刊)」を刊行した。この間、平成13年、南関東自転車競技会の会長をしていた折に、競輪のPRという下心も兼ねて「短歌集・競輪場風景」を私家版で刊行した。なお、「春の道」所載の歌が、大岡信さんが選んでおられる朝日新聞の「折々のうた」に、昨年8月載せて頂けたのは、望外の幸せだった。
   覚めてより耳に離れぬ唄のありそがまた実にくだらぬ唄にて

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  ひとことで短歌と言っても、その内容は千差万別である。例えば、いわゆる「歌」の場合、オペラ、歌曲、童謡、演歌、ポップス、フォーク、ロック、労働歌、民謡等々、書ききれないくらいの種類があるが、短歌とて同様だろう。喩えて言えば、斉藤茂吉が重厚な歌曲だとすれば、北原白秋はしゃれたシャンソンかもしれない。私の場合、自分で歌曲の積りで作ったものが、結局はありきたりの「校歌」になっているものもあるし、シャンソンの積りが出来の悪い演歌になってしまったものもありそうである。
  俵万智さんの「サラダ記念日」が出た際には、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。上記の分類で言えば、ポップス調のしゃれたコマーシャルソングとでも言うべきものなのだろうか。斉藤茂吉の「歌曲」と異質のものであることは言うまでもあるまいが、いずれも優れた歌であることには間違いあるまい。
 「サラダ記念日」以来、同じような傾向の短歌が若い人を中心に作られているようである。どうも馴染めないものもあるし、「なるほど」と感心するものもある。しかし、歌曲を志向しつつ校歌、演歌、更には浪曲になってしまう私には、いくら試行してみても作れない世界ではある。
  違う分類をしてみると、生の素材をドンと投げ出した「お刺身」短歌もあるし、その素材にさまざまな味付けをした「フランス料理」短歌もある。私はどちらかと言えば「お刺身」志向なのだが、最近の若い人の歌は、素材よりむしろその味付けやスパイスに技巧を凝らした「フランス料理」型が多いような気がする。美味しいものもあるが、味付けが濃すぎたり薄すぎたりして、どうにも賞味できないものもある。しかし、いずれも短歌には相違ない。良いものは良いし、不味いものは不味い。

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  「題詠マラソン」というネット上の催しがある。100の御題に1年近くの間に順次投稿するという催しである。新聞で知って今年はじめて参加してみた。なかなか面白い。さまざまな人の短歌を一望することができる。100の御題ともなると、苦吟せざるを得ないテーマも多い。今年の例で言えば、「乾電池」、「アラビア」、「ならずもの」等々、苦し紛れのデッチアゲで間に合わせて、内心忸怩たる作品になったものも多い。この点はほかの作者も同様だろう。他の人の作品を目にすると、それがヒントになる場合もあるだろうから、私は他の人の作品には目を通さず、禁欲主義で半月ばかりの間に投稿を終えた。終えたあとでネットで読んでみたら、「なるほど、こういう捉え方があったか」と「目からウロコ」のケースも多々あった。全体の傾向からみると、若い人が多いせいか(これも私の想像だが)、しゃれたコマーシャルソング風のもの、料理で言えばフランス料理風のものが多く(当然のことながら、美味しいものも不味いものもある)、私の「演歌」はやや異質な気がしないでもない。
  さまざまな方が、自分のブログで、他の人の作品批評などをしておられる。それがまた、なかなか面白い。「ポップス調コマーシャルソング」を書いている方が、他の人の「コマーシャルソング」と並んで、私の「演歌」を評価して下さっていることもある。私もそれをやってみたいと思ったのだが、パソコンをはじめて2年足らずの私は、ブログという言葉すら最近まで知らなかったほどの初心者である。半ば諦めかけていたのだが、書店でブログの入門書を買って読んでみたら、私にもやれそうである。それならということで早速手を出して、このブログ造りに成功した。もっともまだ未熟なので、うまく行かないことも多いのだが、まがりなりにも出来たことに間違いはない。そういった意味では、「題詠マラソン」は私のブログの恩人である。
          
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 「千差万別」という話に戻るが、朝日新聞の朝日歌壇の場合、4人の選者の共選になっているが、複数の選者に選ばれる歌は各選者10首のうち、せいぜい1,2首である。かなり昔の話だが、試みに確率の計算をしてみたら、300から500くらいの母体から無作為に10個のものを何度か抽出した場合のダブり具合と酷似している。乱暴な推論をすれば、もし別の選者がいれば選ばれたかも知れないレベルの歌が、毎週300から500首くらいはあるという推論もできなくはない。乱暴な推論は別としても、選者による好みの要素が予想外に多いということは間違いなく言えそうである。なお、俳句の場合、同じ新聞の朝日俳壇での共選作は、もっと少ない。選者による評価の違いが短歌以上に大きいようである。(この項の大半は、上記「前半生」から抜粋した。)