犬も歩けば(スペース・マガジン)

引き続いて在庫一掃セール。5月1日に御紹介したスペース・マガジン(日立市ミニコミ誌)2月号のものを転載する。

{愚想管見}   犬も歩けば                  西中眞二郎

 犬も歩けば棒に当たる───ご存じ江戸いろはがるたである。しかし、「棒に当たる」の解釈次第で、その意味は、①いろいろやって見れば、何か良いことがあるだろう。果敢に試行錯誤してみよ。②あれこれ手を出すとろくなことはない。まず自分の本分を尽くせ───この二説に分かれて来るだろう。
 以前、あるご縁があって、東京渋谷のジァン・ジァンで「漫談教養講座・日本語あれこれ」と称して漫談めいたお話をしたことがあるのだが、その際、聴衆の皆様に二つの解釈をお示しした上で、①と②のどちらが正解かと挙手をお願いしたところ、七対三くらいの割合で①の方が優勢だった。別の機会に、あるロータリークラブで卓話をした際に同じ試みをしてみたら、五〇名くらいの聴衆のうち、②はわずか三、四名で、ほかの方はすべて①だった。
 気を持たせずに正解を先に申せば、正解は②である。①と②が大体半々くらいかなと予想していたのだが、結果は私の予想を遙かに超えて①が優勢だったのには、ちょっと驚いた。特にロータリークラブの場合、高年齢・高学歴の方が比較的多いので、むしろ②の方が圧倒的多数かなとも予想していたのだが。
 大きい辞典を見ると、まず第一に②の意味が書いてあり、その次に第二として、最近では①の意味にも使われるという趣旨のことが書いてある。いまや、異端派が多数派になって来ているわけである。
 蛇足を加えれば、この言葉が生まれた江戸時代の感覚で言えば、自分の家業を守るのが正道であり、ほかの道に活路を見出そうとするのは邪道であり戒めるべきことだったのだろう。しかし、今や流動化の時代であり、試行錯誤の時代である。時代によって解釈が変わって来るのも当然のことなのかも知れない。もっとも、一七九七年の「諺苑」という辞典に、既に両説紹介されているそうだから、長い歴史を持つ話ではある。
 英語にも似たような格言がある。A rolling stone gathers no moss.───「転石苔を生ぜず」と訳されて、いまやわが国の格言にもなっているものである。「苔を生じる」ということが良いことなのか悪いことなのかによってこれまた意味が変わって来る。先日大きな英和辞典を引いてみたら、「元来は、職業を転々と変えたりすると何も身に付かないという意味だったが、現在は、いろいろやってみた方が苔が付かなくて良いとの意味にも用いられている───」とある。考えてみれば、人生の指針とでも言うべき格言が全く逆の意味に解釈されるのでは、格言としての機能を失ってしまったと言えなくもなさそうではあるが。
 東西の似たような格言の解釈が、いずれも変化を否定する意味から、変化を肯定する意味に変わりつつあるというのも、面白いことである。言葉は変わる。元来の用法に従っていると、いつの間にか次第に時代遅れになって来そうな予感がしないでもない。
<スペース・マガジン2月号所載>