なぜ国連常任理事国か

私の中には、「硬派」の私と「軟派」の私がいる。誰でも同じことなのだとは思うが、時により、日によって、のんびり短歌などを考えたりすることもあれば、現在の政治や世相に悲憤慷慨することもある。特に、仕事という硬派でも軟派でもない「軸」を離れた現在、その傾向が強いようにも思う。このブログにしてもその通りである。もっとも、私は気まぐれでもある。悲憤慷慨した直後には、まったくかかわりのない「軟派」に変身したりしているのだから、あまりあてにはならない。「今日」と言うより「今」の私は、硬派の私である。つい先日、朝日新聞の「声」に投稿してボツになった原稿を転載したい。


なぜ常任理事国

 国連安保理常任理事国になることが現在の外交政策の重要課題の一つのようであり、他方、それに対する近隣諸国の反発も顕在化して来ているようだ。
「国際社会での発言力の増大」それ自体に異論はないし、「国威発揚」も決して悪いことではない。また、わが国の経済力等を考えれば、常任理事国になること自体は決しておかしな話ではないと私も思う。
 しかし、発言力の増大は、多くの場合責任の増大を伴う。国際的な安全保障問題に関する責任の増大が、果たしてわが国の「国益」にとってプラスになるのかどうか、いま一度掘り下げた検討を加える必要があるのではないか。
 ほかから推されてなるのならともかく、資金とエネルギーを用い、理のあるものかどうかは別としても近隣諸国の反発を買ってまで進めなければならないことなのかどうか、基本的な疑問も消えない。戦後の一時期、「東洋のスイスになろう」という論調が強かったように記憶しているが、いたずらに「大国」を志向することなく、その原点に立ち返ってわが国の進むべき道を再考してみることも、意義のあることだと思う。

<今日の注記>私は「国益」というものを大事にしているタイプの人間だと思う(「国益」という言葉自体には違和感もあるが・・・)。そういった意味で、上記の意見が「国益」に叶ったものかどうか、私自身にも迷いがあったのだが、やはり短期的な狭い「国益」より、長期的な国益を大事にしたいと思って、この原稿を書いた。それに、私は「常任理事国入り」自体に反対しているわけではない。ただ、安易にその道を志向するのではなく、原点に立ち返った検討が必要ではないかということを提言してみたかったのだ。
 枚数の関係もあり、あまり書けなかったのだが、私が最も恐れているのは、常任理事国入り→「国際貢献」の必要性の増大→憲法改正と軍事力増大・・・・という図式につながることだ。明言はしていないが、そのような路線を狙って常任理事国入りを希望している向きも結構多いのではないか。
 もう一つ、常任理事国になったとして、わが国が、どのような立場に立とうとしているのか。もちろん、時々の議題の中身次第ではあろうが、「アジアの一員として、原爆被爆国家として、平和国家として」の常任理事国なら積極的な評価ができるが、単なる「アメリカの与党の一員として」ということなら、むしろ常任理事国にならない方がましだとも思う。現在の小泉政権の志向する方向を見ていると、私が評価する前者の路線ではなく、意図してかどうかは別として、後者の路線に押し流されて行く公算が大きいのではないか。
 そういったことを考えると、常任理事国入りは、むしろ危険な路線に繋がるのではないかという危惧の念も持たざるを得ない。