公務員に対する誤解

 昨年、ある方にお出しした手紙の写しである。官僚OBの勝手な言い草だとお感じの方もおられるだろうが、一つの見方として頭の片隅に入れておいて頂ければと思い、転載する。

(前略)家内から、昨日のお電話の話聞きました。公務員の待遇等について、世間一般からいろいろ批判がありますが、誤解に基づくものも多いような気がします。折角の機会ですから、私なりに少し釈明(?)しておきたいと思います。「大袈裟な」とお思いかも知れませんが、決して気を悪くしたり立腹したりということでお便りするわけではありませんから、どうかお気になさらないで下さい。おっしゃって頂いたことによって御説明する機会が与えられたわけですから、むしろ感謝しているくらいだというのが正直な気持です。
 御指摘のようなことは、(中略)新聞紙上等でも目にしますし、私自身が知人から言われたこともありますので、○○さんからのお話に限ることなく、日頃考えていることのいくつかを整理してみたいと思います。


天下りは問題だ>
 当たっている面もありますが、問題は内容次第だとも思います。公務員の定年は60歳ですが、いわゆるキャリア組(上級試験採用者)は50歳そこそこで「肩叩き」による退職をすることが多いのです。私自身の場合も含め、これは本人にとっても残念なことです。辞めて行く人間の立場からすれば、定年まで住み慣れた役所にいる方がさまざまな面でずっと良いと思いますし、そうなれば「天下り」の問題も相当解決されるでしょう。
 しかし、その場合は以下のような問題が出て来ます。
 ①高齢の公務員が増え、組織の活力が失われます。どこの世界でもそうだと思いますが、第一線の課長クラスは、40台くらいが一番ふさわしいと思います。それを過ぎると、判断力等は増すにしても、一般的には、行動力や冒険を辞さない意欲は低下して来ます。したがって、50台に入ってやっと課長になれるといった職場は、その活力を失い勝ちです。
 ②そうかと言って、年輩の職員をラインから外して「窓際族」に近い形で雇用を続ける
ことは、コスト高になり、ひいては国民の税金の無駄遣いにつながりますから、これも避けるべきでしょう。
 
 そのように考えると、相当程度の数の職員については、やはり定年前の退職を考えざるを得ないと思います。この点は、企業の場合も同様で、多くの企業が子会社や関係会社への「天下り」で対応しています。役所の場合もこれと同じような性格を持っていると言えるでしょう。
 もちろん、そのために特殊法人を濫造したり、企業や団体に押しつけるような形での天下りは避けるべきだと思いますが、「人材の有効活用」という意味での積極的な評価がされて良い面もあるのではないでしょうか。特に、企業の「透明化」のために「社外役員」を活用するという昨今の流れからすれば、官庁OBの活用ということも一つの方策だと思います。また、見方を変えれば、天下りということは、官庁OBの処遇のコストを企業や団体が負担することによって、納税者のコストを軽減しているという言い方もできると思います。
 
 以上は「天下り」につき少し甘い評価をし過ぎているのかも知れませんし、私もすべての天下りを肯定する積りはありませんが、「行政組織の活力が失われ、あるいは納税者の負担が増えても良いから、天下りは絶対に避けるべきだ」というところまで納税者の意見が徹底すれば別として、行政組織の効率化等の面からすれば「天下り」の弊害面だけを強調すれば済むほど単純な話ではないと思います。いずれにしても、これは大事な問題ですから、単なる感情的な思い付きの議論ではなく、「行政組織はどうあるべきか、公務員制度はどうあるべきか」といった広い観点から掘り下げた検討が必要だと思います。


天下りによる退職金の二重取りは問題だ>
 これは、ほとんどが誤解に基づくものだと思います。「天下りの後にいろんな職場を転々とする『渡り鳥官僚』がその都度退職金を貰う」ということに対する批判だと思いますが、退職金の計算方法は、大雑把に言えば、ほとんどの場合、最終給与に勤務年数を掛けた数字をもとにして算定されています。私自身もそうでしたが、「渡り鳥官僚」の場合、それぞれの職場での勤務年数は比較的短いので、退職の都度貰う退職金はそれに応じて比較的少なく、それを足し算しても、一箇所に勤め通した場合よりは少ない場合が多いと思います。何度か退職金を貰ったとしても、それはそれぞれの職場での勤務年数に応じて受け取っているわけですから、「二重取り」という批判は的外れです。なお、最近では官庁OBには退職金を出さないという関係団体等もあるようですが、これはおかしいと思います。彼らがお荷物になっているという前提なのかも知れませんが、そのような天下りはそれ自体が問題であり、退職金の問題ではないと思います。彼らがそれなりの仕事をしているのだとすれば、「民間OBや生え抜きの役員には退職金を払うが、官庁OBの役員には退職金を払わない」という扱いは全く不合理だと思います。

<年金も公務員年金と厚生年金の二重取りだ>
 これも退職金の話と同様です。それぞれに分けたものを受け取っているわけですから、二重取りにはなりようがありません。現に私の場合、大学時代の仲間や退官後の職場の仲間と比較してみても、長年民間に勤務していた人の年金額よりは、かなり少ないような気がします。


<それにしても役人は恵まれているし、特に70歳近くまで「天下り」で高給を食んでいるのは問題だ>
 70歳近くまで高給を食んでいることは、確かに問題だと思います。
 以下は私の持論です。①60歳の定年前に心ならずも退職せざるを得ない場合には、60歳までは、役所に残った人と同程度の処遇ができるようにする必要がある。そうでないと、みんな退職を拒否するようになってしまうし、また公平の見地からも、「役所の方針に協力して早く辞めた者が損をする」ということは避けるべきだ。②60歳から65歳くらいまでの間は、働く意欲と能力のある人は、何らかの仕事に就くことが望ましい。これからの高齢化社会を考え、人材の有効活用を図るという意味からも、これは官民を問わず必要なことだと思う。ただし、通常なら定年で退職している年齢なのだから、必ずしも「高給」である必要はなく、世間一般の高齢者並みの報酬で良い。もちろん、受け入れ先から高い評価を受け、高い報酬を受けることを拒む理由もないだろうが。③65歳を過ぎた人は、役所で再就職の斡旋をする必要はなく、本人任せで良い。・・・・・・以上が私の持論で、昨年南関東自転車競技会の会長を辞任しましたのも、「自由にものを言い、行動したい」といった理由に加えて、以上の持論を私自身で実行しようという気持もあったことは事実です。
 
 いろいろ申しましたが、細かい点での有利・不利は別として、公務員が他に比べて特に恵まれているとは、私は思いません。最近では公務員の給与もかなり上がったようですが、私の現役時分はかなり低いレベルでした。福岡の通産局長だった頃、私よりずっと若い新聞記者より安い給料だということが判って記者から同情されたこともありましたし、大学同期の仲間たちと比較しても、ひところは年収が彼らの半分くらいの時期もありました。

 もうひとつは、誰と比較するかということです。全体の平均値との比較で言えば、決して悪くない水準なのかも知れませんし、不況の時期はなおさらですが、その比較は私としては不満です。通産省OBとしては言いにくいセリフですが、いやしくもキャリア組として通産省に入った人たちは、一般的に言えば、民間企業に入っていればいずれ役員になれる程度のレベルの人材だということは確かだと思います。もしそうだとすれば、比較の対象は、「世間一般」ではなく、「一流企業の一流社員・役員」との比較をして頂きたいと思います。あるいは身勝手な言い分なのかも知れませんが、その程度の自負がなければ、安い給料、激しい仕事で過してきた公務員当時の人生に対しても言い訳ができません。そのようなレベルとの比較をすれば、なおのこと「公務員は恵まれている」という批判には抵抗を感じます。もちろん、民間のように「会社が潰れる」といったリスクはないわけですから、「悪いケースと比較すれば、恵まれている」ということは事実だと思いますが、同時に「良いケースと比較すれば恵まれていない」ということも事実だと思います。

<公務員住宅の家賃は安すぎる>
 それは言えると思いますし、最近はかなり家賃を上げているようです。ただし、これも比較の対象が問題です。国家公務員の雇用主は「国」ですから、雇用主としての国の相応の負担があることは当然です。民間の社宅について会社が相当程度負担することは当然でしょう。それと同じように考えれば、公務員住宅の家賃は、民間のアパートや公団住宅と比較するのではなく、民間の社宅の家賃のレベルと比較すべきでしょう。いずれにしても、私の場合、早い時期に無理をしてマイハウスを持ったので、公務員住宅に入った経験はなく、このため、経済的には随分損をしたと思います。


<カラ出張等の公金の不正使用が多い>
 たしかに問題で、弁解の余地はありません。しかし、このようなことが行われているのは、ごく一部ではないかと思います。
 弁解の余地がないと申しましたが、ひとつだけコメントしておきたいと思います。役所は、予算に縛られています。企業にあるような「交際費」は基本的には全くありません。他方、役所と言っても人間社会ですから、仕事の面で外部の方のお世話になって、「飯を食う、あるいは一杯飲む」ということが必要になる場合もあります。理屈を言えば、「役所は筋さえ通せば良いので、外部の人に御馳走する必要等はない」ということなのでしょうが、人間社会である以上現実にはそうは行かない場合もあります。ところが交際費がないわけですから、まともに考えれば個人の金を使うしかないわけです。また、残業手当や終電車が終わった後の帰宅のタクシー代等の予算も不十分です。そこでついつい、カラ出張等のゴマカシをやって公金を浮かし、それを流用するというケースが出て来ます。最近の事例を見ても、公金で私腹をこやしたというケースよりも、部や課でプールしてこれらの経費に充てたというケースが多いようです。
 もちろん目に余るケースもありますし、やむを得ない場合でもそのことが公金流用の正当な理由にならないことは当然ですが、「本当に必要な金は、交際費であれ、タクシー代であれ、ちゃんと予算を組んで、正当に使えるようにする」のが本筋だと思います。


 以上、長々と書きました。長年にわたって役所暮しをしていましたから、どうしても役人の身びいきになっているところもあるかも知れません。また、役所を離れて20年近くになりますので、現状と離れている部分もあるかも知れません。それらの点は割り引いてお読み頂ければと存じます。(後略)