パソコンと私(私のパソコン経験)

パソコンと私


パソコンを始めて約2年、ブログを始めて約4月、いずれも初心者だが、この間の経験などからの全くとりとめのない雑感を書いてみたい。


1 私のパソコン歴(古代史)

まだ20代の通産省若手職員だったころ、「コンピューター研修」ということで、たしか富士通の研修所だったかと思うが、1泊で研修を受けた記憶がある。計算ひとつするにも自分でプログラムを組む必要があり、「フォートラン」がどうとか、「コボル」がどうとか、えらくややこしい話だったように記憶している。現在のパソコンとは全く異質なものであり、その研修と現在の私とは、全くつながっていない。
時を経て、20年以上前の福岡通産局長当時、省内幹部の部屋にパソコンが入った。ベテランの職員に教えを乞い、ぼつぼつ手を付けたのだが、利用は専ら文章書きとデータ整理だった。20代のころのコンピューターとは格段の違いがあり、基本的には現在のものとそれほど違わないものだったように記憶しているが、現在ほどカラフルなものではなく、黒い画面に緑色の文字が出て来る、いかにも「機械」という印象のものだった。

自分で買ったのは、18年前に通産省を退官した際にワープロを買ったのが最初である。パソコンにしようかワープロにしようか迷った記憶があるが、当時、ワープロの値段でも20万円近く、パソコンの値段はそれの倍以上していたように思う。「どうせ文章書きかデータ整理にしか使わないのだから」と思い、意を決してワープロを購入し、爾来大いに活用した。
20年くらい前にワープロを一応使いこなしたのは、私の世代の人間としては多少の希少価値があったらしく、たまたまある新聞がゴシップめいた記事で私を取り上げてくれたのを契機に、パソコン関係の雑誌2誌から原稿を頼まれ、いっぱしの「ワープロ評論家」の積りで寄稿したこともある。
 
ワープロやパソコンの功罪はいろいろあるだろうが、私の場合、ワープロに慣れ親しんだせいか、手書きの文章書きがすっかり億劫になってしまった。手書きだと直しも利かないし、少しややこしい文章を書こうという場合など、まずその構成から考えなければならないが、ワープロだと思いつくままに書き出して、後で直したり、前後を入れ換えたりできるのが便利だ。それだけに、ワープロ(現在ではパソコン)が手許にない場合、なかなか筆を執る気にならない。


2  私のパソコン歴(現代史)
 
その後専らワープロ頼りだったのだが、2年余り前に公職から身を引いた際、パソコンを買おうと決心した。最大の理由は、私のワープロが故障勝ちになり、部品の交換などをしようにも「もうワープロは扱っておりません」との回答が返って来ることが多くなったので、1ランク上のものに切り替えざるを得なくなったというのが正直なところである。値段がかつてのワープロより安くなっていたということもある。
 ワープロのフロッピーに入れていたデータも沢山あり、それとの互換性が必要なので、それまで使っていたワープロと同じメーカーの機種にした。
 
  ワープロ操作にはかなり習熟していたので、基本的な操作に困ることはあまりなかったが、ワープロの場合にはかなり詳しいマニュアル本が付いていたのに対し、パソコンには、初期設定の方法などは別として、操作マニュアルのようなものは余りついていない。したがって、初歩的な操作で迷うことも多少はあり、メーカーやソフト会社には何度か電話でお聞きしたりした。最初のうちは無料だが、何度か「権利を行使」すると有料に変わる。まだ有料のところまでは行っていないが、考えてみると、自社の製品の使用方法の質問を有料で受けるというのも、通常の電気製品と比較すると、随分妙なものだと思う。もっとも、相談を受けるには当然コストが掛かるわけだから、それを製品価格に転嫁するか、個別に徴収するかという選択の問題であり、パソコンのように利用者のレベルやニーズに大きな差がある場合には、個別に料金を取るのが筋の通った答なのかも知れないとも思う。しかし、それにしても、テキストがもう少し欲しいという気がしないでもない。
 
  ワープロ当時のマニュアル本にも、随分不満があった。いくら読んでも判らない。試行錯誤でいろいろ試してみてやっと操作方法が判り、判った後で読んでみるとやっと文面が理解できるというケースも少なくなかった。私なりの理解で言えば、マニュアル制作者は余りにも専門家であり過ぎ、初心者にとっての問題点の所在が理解できていないのではないかという気がしないでもない。極論すれば、「その道の専門家ではあるが、日本語の使い方や心理学に関しては全く理解していない、いわば頭脳の柔軟性を欠いた人」がマニュアルを作っているという気がしないでもなかった。その点、パソコンには、その種のメーカー製のマニュアル本すらないわけだから、私がワープロの際に抱いた不満自体抱きようがない。

  何人かの方からお聞きした話によれば、「勤め先のパソコンで、周囲の人に教えて貰いながら、いつのまにか習熟した」という方が多いようだ。私の場合、昔々の手ほどきは別として、勤めを辞めてからパソコンを始めたので、周囲には聞く相手がいない。この点は、結構不便な思いをした。もっとも、以前の勤め先の職員の方に電話して、操作方法などを教えて貰ったことも何度かはある。


3 最近の状況
 
  上述したように、私がこのパソコンに当初期待していたのは、ワープロ機能だった。その後、メールの便利さを聞くにつけ、手掛けてみようかと思い、購入後しばらく経ってからメールをはじめた。やり出すと便利なものだ。毎朝の日課が、どこからかメールが来ていないかというチェックからはじまるのが昨今の状況だ。
  もっとも、とりたててメル友がいるわけでもないし、そもそも私のアドレスを知っている人も多くはないので、通常の場合、そうそうメールが来るわけがない。せいぜい関西にいる娘と兄弟くらいのものだ。もっとも、ある時期から、出会い系サイトらしいメールが盛んに来るようになった。どうかすると1日に、同じメールを含め10本くらい来る。その都度削除しているのだが、その手間は結構馬鹿にならない。別に変なサイトに接触した覚えはないのだが、あるいは意識せずにキーを押してしまい、「エッチなおじさん」としてどこかに登録されてしまったのかも知れない。
 
  メールとともに、インターネットで調べ物をすることも、いつの間にか身に付いて来た。それにしても、パソコンの機能は大変なものだと思うし、そのうちで私が利用しているのは、おそらく1%にも充たないのではないかと思う。先日、かなり専門家に近い方にそんな話をしたら、その方ですらせいぜい数%くらいだろうという返事が返って来た。
話しは戻るが、手紙の場合、受け取ってもすぐ返事を書くとは限らないが、メールの場合、すぐ返信したくなるのも妙なものだ。


4 ブログ
 
  パソコンを利用すると言っても、せいぜいメールかネット止まりで、ブログをやってみようという意志は全くなかった。そもそも、ブログという言葉を知ったこと自体、つい数ヶ月前のことである。
  ところで、今年から、題詠マラソンというネット上の短歌の催しに参加している。なかなか面白いものだと思うが、やってみると、さまざまな方が、自分のホームページやブログで感想などを整理しておられる。それを見ていて、私もその手のことをやってみたくなった。特に、100題という題数だけに、「百人一首」を作ってみたいという気持が湧いて来た。そうなると、ブログを作らなければならない。この4月の後半に、近くの本屋さんで入門書を買って来て手を付けたのだが、試行錯誤の果てに、どうやらブログらしきものを作ることに成功し、目下かなり真面目にやっている。

  もっとも、ブログ本来の趣旨は「日記」ということらしいし、体裁もそうなっているが、別に内容まで「日記」にする必要はあるまいと思い、各種の雑文を書いたりしている。
おおまかに言えば、政治を中心とする感想が多いが、短歌関係、特に題詠マラソン関係も結構多い。その上でのとりとめもない雑感を、順不同で以下いくつか書いておきたい。
①どれだけできるのかも判らなかったので、現在やっているのは、「はてなダイアリー」の無料ブログである。他の方のブログを見ていると、私のものよりかなり洒落ているものが多いが、これは、私のレベルが低いせいではなく、有料と無料の差なのだろうと勝手に解釈している。
②それにしても、無料でこのような便宜を供与して頂けるのはありがたい。ところで、「はてなダイアリー」さんは、どなたが経営して、どうやって収支を償っているのだろう。単なるサービスとは思えないし、広告も掲載されているので、広告収入によって賄っているのかとも思うが、広告だけでこれだけの便宜を供与して頂けるということは、まことにありがたいことだ。
③他の方のブログを見ていると、特定の内容に特化したものが多い。私が見ている他のブログは、ほとんど題詠マラソン関係なのだが、ほとんどと言って良いほど、短歌に特化したブログであり、私のような「雑食ブログ」は見当たらない。「短歌関係のブログを作っている方は他のテーマには関心がない」ということでもないだろうから、皆様は、ジャンル別に複数のブログを持っておられるのだろうか。誰かに聞いてみようにも聞く相手がいないので、良く判らないままに、雑食ブログを続けている。そういった意味では、私のブログに関心があるのはごく一部分で、ほかの部分には関心なしという方も多いのだと思うし、そのような方から御覧になれば、わけのわからないことばかり多い、随分妙なブログだという印象をお持ちかも知れないと思う。
④先日ある方からの書込みがあったが、その中に「余り長く書いても御迷惑と思い・・・」という類のことが書かれていた。本当にそうなのか。むしろ聞くところによれば、皆さんの対話の場を提供することがブログの本旨だという考えもあるようで、この点も私には基礎的な知識がないので良く判らないが、少なくとも私に関する限り、書き込みが多数ある方が嬉しい。「下宿屋の親父」として、雑談の場を提供できれば嬉しいという心境である。
④−2 ブログに書いた後で、直したいこともある。典型的なのは、誤字・脱字の訂正だし、その後の知識や判断で、内容に手を入れたい場合もある。私の文章を私が直すのだから、どなたからも苦情を言われる筋合いではないとは思うが、問題がないわけではない。読者からすれば、「このブログはもう読んだ」と思って目を通さないものが、実は大幅に変わっているということは、かなり問題だと思う。しかしそれだからと言って、直しを自粛するのもやりすぎのような気がする。結局、私の場合、あまり気にせずに直しを入れることもあるのだが、それで良いのかどうか、迷いがないわけではない。実は、この項も、8月16日になっての追加である。せめて、番号だけは枝番にしておこう。
④−3 書込み歓迎ということは前に書いたが、大分前に書いたブログに書き込まれた場合、それに気が付かない場合も多い。「関連部分に書込み」という原則からすれば、その書込みは当然のことだろうが、ブログ管理人たる私の側からみれば、最近のブログに書き込んで頂いた方が、見落としの可能性が減る。この辺はどう考えるべきなのだろう。もっとも、これは専ら私の怠慢と我侭のせいだとは思うが。この項も8月16日の追加である。
⑤ブログに実名を書く人は少ないということを聞いた記憶がある。「匿名性」がブログの強みだというのだ。その点私のブログは、自己紹介込みの実名ブログであり、しかも政治的意見なども多いので、「匿名性」とは全く縁がない。それがブログとして常識外れなのかどうかも良く判らないが、私自身は、それで良いのだと思っている。しかし、考えてみれば、不特定多数の方のお目に留まって、私だけが氏素性を明らかにして裸になっているという「不公平さ」を感じないわけでもないが、これは、ブログに限らず、出版物に意見を公表したりすれば、全く同じことだろう。
⑥そもそも、ブログというもの、公共のものなのか、私の私物と思っていて良いのか。私の答は、公にされた私の私物だということであり、譬えて言えば、「誰でも通れる私道のようなものだ」と思っているのだが、それで良いのかどうかは誰も教えてくれない。
⑦私のブログとは関係ない話だが、罵詈雑言専門のようなブログも存在するようだ。その良し悪しは別として、「駅の掲示板」あるいは「便所の落書き」のようなブログも、ひとつのブログの属性なのかという気もしないでもない。
⑧以上とも関連するが、読者の方の書込みは、誰でも読むことができる。したがって、「書込みをしたいけれど、公になるのは嫌だ」という方もおられるのではないかと思う。特に、匿名なら良いが、氏素性を公にするのは嫌だという方は多いのではないか。そこで、これは読者の方へのお願いなのだが、私のブログに関し「あることを書きたいが、書込みで公になるのは嫌だ」という方は、私あて(nisinak001@@ybb.ne.jp)(@を一つ消して下さい)にメールを頂きたいと思う。

  以上とりとめもないことを長々と書いたのだが、そもそも基礎知識不十分のままで走り出したので、以上の感想にピント外れの部分があることは、大いにあり得ることだ。そのような点も御指摘頂ければありがたい。長々と書いた駄文をお読み下さった方(そういう御奇特な方がおられると仮定しての話だが)に、厚く御礼申し上げます。