男はつらいよ

 このところNHKの衛星放送が、寅さんを主人公とした「男はつらいよ」を連日放映している。懐かしさもあり、まだ見ていない作品もあり、ついついテレビの前に座り込んでいる時間が長くなってしまう。もっとも、これから40数回にわたり延々と続くことを考えれば、少々辟易という感がないわけでもないが。
 
寅さん自体のユニークな人物像と作品全体を流れる温かさとユーモア、それに安心して見ていられる偉大なるマンネリズムがシリーズ永続の最大の理由なのだろう。特に登場人物の温かさ、とりわけ兄思いのさくらさんと、その夫のひろしさんの温かさが心に沁みる。妹のさくらさんはともかく、ひろしさんの場合、常識はずれの義兄を通常ならもう少し敬遠しそうなところを、「兄さん」と呼んで温かく接しているところには頭が下がる思いがする。
 もし、寅さんのような人物が自分の身内にいたら、正直に言ってやりきれないだろうなという思いも禁ずることができない。映画の観客は、オイチャンやオバチャン、さくらさんやひろしさんと自分の身とを引き比べ、「寅さんのような人物が自分の身内にいないこと」に安堵する気持を持つような気もするし、その安堵感も、シリーズが長く続いた理由の一つかも知れない。

 
寅さんシリーズは、当然のことながら、当初からあんなに長続きする予定のものではなかったと聞く。そういった意味では予想外だったわけだが、予想外だったということの一つの証拠は、映画自体の中にもある。あるいは周知のことなのかも知れないが、それは映画の冒頭に流れる主題歌「男はつらいよ」の歌詞である。主題歌の一番は、次のような歌詞ではじまる。「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ わかっちゃいるんだ 妹よ・・・・・」
 たしかに寅さんの存在は、さくらちゃんの縁談の支障になるだろう。だからシリーズスタートの時点では、全く的を射た歌詞だったと思う。ところが、皆さん御存じのように、さくらさんはシリーズ開始早々にひろしさんという良い伴侶に恵まれ、その夫婦愛と家族愛もシリーズの柱の一つになっている。そう思ってみると、歌詞のこの部分は、シリーズ全体の流れには全くそぐわない。シリーズのほとんどの作品は、「俺がいたけど お嫁にゃ行けた」はずなのである。だから、これが「計算外」ということの一つの動かぬ証拠だと私は思う。

 
主題歌の作詞は、いまや作詞界の大御所である星野哲郎さんである。実は星野さんは私と同郷で、多少の面識もある。お目に掛かる機会もたまにあるので、一度その辺の事情を伺ってみようと思いながら、まだ果たせずにいる。