里ごころ(歌の回想)

里ごころ


4年余り前、朝日新聞の夕刊で、脚本家の市川森一さんの書かれたエッセイを読んでびっくりした。その市川さんのエッセイの要旨は、うろ覚えだが以下のようなものである。
――――ラジオのなつメロ関係の対談で、自分の思い出の歌をリクエストした。ところがその題名を覚えていない。いろいろ調べて貰った結果、北原白秋作詞の「里ごころ」という歌だということが判った。―――

 
それ自体は、別に驚くようなことではない。私が驚いたのは、私にも、市川さんより大分前に全く同じ経験があり、しかも、それが全く同じ歌だったからである。

「笛や太鼓に誘われて 山の祭に来てみたが 日暮れはいやいや里恋し 風吹きゃ木の葉の音ばかり」幼時のノスタルジーを誘うようなこの歌は、北原白秋の母方のふるさとである熊本県南関町というところでの幼時の記憶を辿って、大正年代に作られたもののようである。


終戦の後、小学校2年生の私は、朝鮮の京城から、母の郷里である瀬戸内海の周防大島に引き揚げたのだが、新しく入った島の小学校でのみんなの愛唱歌のひとつがこの歌だった。ところが、私はその歌を知らない。全く未知の世界に入り、知らない子ばかりの中で、知らない歌、しかも哀調を帯びたこの歌を聞くのは、いかにも孤独感をそそられるものだった。それだけに、私の心に残り、私が出たラジオ番組で「題名は忘れたのですが」ということでリクエストしたわけだ。
市川さんの場合には、たしか御母上の記憶と繋がっているものだというお話だったように記憶している。


話は戻る。市川さんとの全く同じ体験に感激した私は、早速市川さんにお便りした。その控えが残っているので、これを載せることで細かい内容の説明に代えよう。



―――(前略)先日の朝日新聞にて、市川様の「里ごころ」についての記事を拝読させて頂き、まことに感慨深いものがありました。と申しますのは、私にも、この歌に関し全く同じ経験があったからです。昭和60年に福岡に勤務致しておりました頃、地元のラジオ局KBCラジオの「なつメロとあなた」との番組に出る機会を得ました折、市川様と同様に題名も判らないままにこの歌を所望し、めでたく巡り会えたという次第なのです。
 時期的には市川様の場合とはかなりの開きがありますし、私が巡り会えたのはまだ40歳代の後半でしたからこれまたかなりの開きがありますが、私の場合と全く同じ曲について、同じような心境、同じような経過等々にお触れになった記事を読ませて頂き、奇遇と申しましょうか、何かの御縁と申しましょうか、まことに感慨深いものを感じ、失礼を省みずお便り申し上げた次第です。


その際の録音テープがありましたので、関連部分のみダビングしてお送りさせて頂きます。後半の方で、ダークダックスが歌っております「里ごころ」も出て参りますし、あるいは市川様が御存じない話も入っているかも知れませんので、お時間がおありの節にでもお聞き頂ければ幸甚に存じます。
 この歌についての私の心境などはテープの中に入っておりますので、このお便りでは省略させて頂きますが、放送全体の概略だけをコメント致しておきますと、全部で5日間放送致しました中で、私がこの歌のことに触れたのが2日目、その後聴取者の方からお電話があったようで、翌3日目の冒頭で「里ごころ」の御紹介がありました。ついでに楽屋裏のお話を致しておきますと、実は私の出番は1度にまとめての録音でしたので、「里ごころ」の御紹介の後の私の反応は全く放送されておりません。更についでのお話を致しておきますと、お教示賜った方の御住所をラジオ局に教えて頂き、御礼状をお出しするとともに、しばらくの間は年賀状の交換などもさせて頂いておりました。


以上、失礼を省みず長々とお便りさせて頂きました。思いもよらぬ奇遇(?)に感動してお便り申し上げました私の気持をお汲み取り頂ければ幸甚に存じます。それに致しましても、ややオーバーに申せば、大の男二人を同じように振り回すとは、この歌に何かの魔力があるのではないかといった気がしないでもありません。(後略)―――

 
その後、市川さんから御丁寧な御礼状を頂いた。市川さんも、奇遇にびっくりしておられたようである。それにしても、全く同じような場面で、全く同じ歌について同じような体験をした人がいるということは、単なる「奇遇」以上の、いわばこの歌の「魔力」とでもいったものを感じざるを得ない。
最後にちょっと補足すると、私の場合、ラジオ局の調べでも曲名が判らず、「どんな歌なんですか」と聞かれて1番だけ私が歌ったところ、聴取者の方から連絡があったのだそうだ。市川さんからの御礼状によれば、市川さんも同様にその歌を「アカペラで」歌われて、同様に聴取者の方から連絡があったのだそうである。