短歌と私(短歌的自叙伝と私の短歌観)

短歌と私

 
仕事を離れてから、パソコンで私的な名刺を作った。仕事を離れたわけだから、主たる肩書はない。そこで、「歌人・評論家(いずれも自称)」というのを第1の肩書としている。歌集を2冊刊行したし、市町村の人口推移等をテーマにした本も2冊刊行したから、この肩書は、まんざら嘘とは言えない。もっとも、誇大広告になってもいけないので、照れ隠しも兼ねて「いずれも自称」との括弧付きである。「肩書」とは言っても、いずれも収入には全く結び付かず、金銭的には出版するたびに持出しになる肩書である。
その下に、「年金生活者」という第2の肩書を付けた。これこそ紛れもない事実である。本当は、「金利生活者」という肩書も付けたかったのだが、最近の超低金利とわずかばかりの蓄えでは、金利は小遣い銭にもならないので、これは遠慮した。

名刺をお渡しすると、「歌人」という肩書に興味を持たれる方もおられ、その関係で質問を受けることもたまにはある。別にそれだからというわけではないが、私と短歌とのかかわりについて、この際、私自身の記憶や考え方の整理も兼ねて、思い出話や短歌を巡る感想等を、少し書いてみたい。




短歌をはじめて作ったのは、小学校2年生のときである。そこから計算すると、私の歌歴は、優に60年を超える。長さだけなら人後に落ちない。もっとも、結社に属したこともなく、専ら唯我独尊、無手勝流を自認している。私の歌集のあとがきで、私の短歌のことを「平明愚直」と自評しているのだが、多分当たっているのではないかと思う。
     
     <わが歌はB級グルメの類なると開き直りて還暦を過ぐ>
という短歌を数年前に作ったのだが、これこそ偽らざる心境である。一流ホテルのレストラン狙いではなく、「安いが旨いラーメン屋」を志向するのが、身の丈にあったものだと思っている。これとても、ある意味では横着な思い上がりかも知れないが・・・。

 「代表作を聞かせて下さい」と聞かれたこともある。素人は素人なりに、一番好きな作品があってもおかしくはないが、正直なところ私にも良く判らない。自分が好きな作でも、ほかの方に評価して貰えない場合もあるし、逆の場合もある。そんなわけで、「代表作」を挙げることはむずかしいので、それに代えて、私の短歌にとって節目になったものをいくつか御披露しておこう。
     

     
     <舟下ろさんと浜に出づれば十三日の台風に崩れし石垣の見ゆ>
 はじめて短歌を作ったのは小学校2年生のときだと書いたが、短歌ということを意識して作った最初の作品がこれだったと思う。たしか中学1年生のときで、短歌と呼べるのかどうかよく判らないままに、試しに「中学生の友」に投稿したら採用になり、かなり褒められた。いわば「短歌に目覚めた」最初の作品だと言って良いだろう。いま読み返してみても、素直でちょっとした「万葉調」で、最近の崩れた作品よりも出来が良いような気がしないでもない。

     <母のたきし風呂に入りてしみじみと敗れし試合を振り返りみる>
 中学3年生のとき、「中学時代」に投稿して、ある月の第1席になったものである。

     <写生する子らの姿を水面に映して川は動かずにあり>
 高校1年のとき、毎日歌壇の川田順氏の選で1席に入った。

     <鈴鳴らし馬行く橋を通勤の群れに混じりて一人歩めり>
 大学2年の夏北海道に旅行したときの作だが、角川書店の「短歌」に投稿したところ、四賀光子氏の推薦第1席に入った。このころ少々自信喪失になりかけていたのだが、これでまた多少自信を回復したように記憶している。
 
  社会人になってからも短歌を続けてはいたものの、歌の数も減り、投稿もあまりしていなかったのだが、昭和62年に通産省を退官した際、少年時代のものから退官までのものをまとめて、「歌集・前半生」を刊行した。その前後から、歌の数も多少増え、年1度、現代歌人協会の全国短歌大会に投稿するようになった。次の歌は、平成8年と平成11年に、佳作の2席と1席にそれぞれ入ったものである。選者別に見ると、佳作の上にあるのは「選者賞」だけだから、その選者の選んだ第3位と第2位の作品ということになる。
     <泊り掛けのゴルフのときは碁を打ちし友既に亡し酒呑みて寝る>
     <浴槽に孫のおもちゃの浮きていて我れはひそかに一人遊びす>

  
平成15年、公職から退いた機会に、「歌集・春の道」を刊行した。その春の道所載の

     <覚めてより耳に離れぬ唄のあり そがまた実に下らぬ唄にて>(平成3年作)

が、朝日新聞大岡信氏が連載しておられた「折々のうた」で取り上げられた。私の短歌にとって、最大のニュースと言ってよかろう。
 <後注>その後、角川書店の月刊誌「短歌」が「なるほど短歌」という特集を組んだ際、その典型として、上記作品が挙げられた。それを契機に、穂村弘さんのエッセイでこの歌を採り上げて頂き、後に「短歌の友人」という穂村さんの単行本にもそのエッセイが掲載された。


  専門家によって選ばれたという意味では、これらが私の代表作ということになるのだろうか。なお、これらのほかにも、「その他大勢」の一員として雑誌や大会で選ばれたものはかなりあるが、ここでは、私にとってエポックメイキングなものに限定した。

 

  「どんなときにどうやって短歌を作るのか」とか「短歌を作るために旅に出るのか」といった質問を受けることもたまにはある。
 人によって違うのだろうが、私の場合は、気ままな「自然発生派」である。短歌を作ろうと身構えることはあまりない。対象はさまざまだが、「私の心の中に湧いた感慨をふっとメモ代わりに短歌にする」というところだろうか。そのときに自然に歌が生れることもあるし、「これは歌になるな」あるいは「歌にしたいな」というイメージだけが湧いて、例えば五七五七七のうち七七の言葉だけが心に浮かんで、あわててメモにしておくという場合もある。イメージが湧けばできたのも同然で、後で3分か5分時間をかけてそれを練って行けば良い。もちろん、更に推敲することもあるが、そういったケースはあまりない。至って不精で怠け者の歌詠みである。
  対象は風景のこともあれば家族のこともあり、更には政治的主張のこともある。

  
以上が私の作歌の原則なのだが、今年から違う手法に手を染めた。それは、「題詠マラソン」というネット短歌の催しである。100の題が出され、それを順次ネットで投稿する。題詠というのははじめての経験だったのだが、その出来栄えはともかくとして、いくつかの「難題」以外は、作ること自体にはそれほど難渋はしなかった。もっとも半分くらいのものは未公表の既存品で間に合わせたのだが、半分あまりははじめての「題詠」だった。私本来の「自然発生」とは全く違うアプローチである。そのうち半分くらいは、題とにらめっこをしているうちに、過去の記憶などから「自然発生」的に歌が湧いて来たが、その残りは、自分の体験等とは無関係に「創作」せざるを得なかった。むしろ、これが本来の「題詠」なのかも知れないが・・・。
  なお、恒例の歌会始めには毎年投稿しているが、もちろん選に入ったことはない。これも題詠ではあるが、「青」とか「笑」とかといった幅の広い題であり、大体既製品で間に合うので、「題詠」という感覚とはかなり違っているように思う。
  正直に言って、本来の「自然発生」の歌を私の「実子」とすれば、「創作による題詠」は出来の善し悪しは別として、私の実体験に伴って生まれたものでないだけに、「後妻の連れ子」のような気がしないでもない。私のその感覚がまともな感覚なのか、ちょっとおかしい感覚なのかは判らないが、そんな気がするのは事実である。

  この辺は、それぞれの人の「短歌観」によるのだろう。平安時代の和歌による求愛は、おそらく自然に湧いたものではなく、作為的に作ったものが多いだろうし、呪術的な意味も含め、雨乞いその他神に祈る歌なども同様だろう。そういった意味では、短歌は、本来は「創作」であり、「言葉の技巧」による技であり、「コミュニケーションの手段」だったのかも知れない。
  しかし、私の場合はそうではない。繰り返しになるが、自分の心にふっと浮かんだ感慨をメモにするというのが、私にとっての本来の短歌だという気がしている。歌集を出した際、ある知人に「もともとの人生と、それを短歌という形にまとめた人生と、いわば人生を2度送っているわけだから羨ましい」と言われたことがあるが、なるほどその通りだという気がした。人生にとっては取るに足りないこと、日記にすら書かない程度のこと、そんな小さな心の動きを残しておけること、そしてそれを読み返すことにより当時の心の動きを「追体験」できることに、私は短歌のありがたみを感じている。そういった意味では、私の短歌は、「創作」ではなく、いわんや「芸術」ではなく、最初に書いた「B級グルメ」に尽きるのかも知れない。

 
「これからどんな歌を作りたいか」と聞かれたこともある。私のイメージの基本は、淡彩な水彩画のような短歌である。もっとも、江戸時代の文人画のようなちょっとおどけた味も悪くないと思う。更に、たまには人生の深淵を覗き込んだような重厚なものも作りたいと思ってはいるが、おそらくこれは「B級グルメ」にとっては叶わぬ夢だろう。シングルヒット狙いで、それがたまたまホームランになれば好都合だが、ホームランを狙うにはパワー不足だということは十分自覚している。とは言いつつも、「傑作」の一つや二つは残したいという夢を捨て切れずにいることは事実だが・・・。
 
 
 以上は専ら私の歌の話だが、「私の短歌」の話の裏返しとして、私の好きでないタイプの短歌を、いわばカテゴリー別に列挙しておこう。主として、題詠マラソンに投稿された方々の作品を眺めながら受けた印象なのだが、これはあくまでも私の好みの問題であり、短歌としての優劣とは無関係な話であることは言うまでもない。

・「短歌」になっていない短歌
  これは当然のことだと思う。「57577」ではあるが、「短歌」とは言えないような作品も散見される。何が「短歌」で、何が「短歌でない」のかという説明能力は私にはないし、感性の問題だとしか言いようがないのかも知れないが・・・。もっとも、これはあくまでも私の好みの問題なので、人によっては「立派な短歌だ」と評価される場合もあるだろう。
・字足らずや極端な字余りの短歌
  程度問題だとは思うが、短歌を定型詩と理解する以上、余りそれから外れたものは、問題だろう。
・区切りの判りにくい短歌
  全体でおよそ31文字になってはいるが、「57577」では読めないものも散見される。これまた程度問題だとは思うが、やはり言葉自体が「57577」に分かれるのが原則だろう。
・余りにも古風な短歌
  これこそ好みの問題だと思うし、例外がないわけではない。
・余りにも「現代的」な短歌
  不必要にくだけているもの、わざとふざけた表現にしているもの等々は、基本的には好きではない。この辺はまさに好みの問題だろうが・・・。「良いな」と思って読んでいると、最後の「7」で突然変調になり、ずっこけてしまうものも散見される。作者はむしろそれを狙って、わざわざ「ありきたりの表現」を避けているのだろうが、よほど優れた技巧のある場合は別として、突然「短歌でなくなってしまう」という気がするものもある。これまた好みの問題であり、私の独断と偏見の問題だということは重々承知している積りではあるが・・・。
・むずかしい短歌や意味のよく判らない短歌
  「平明愚直」をモットー(?)としている私には、むずかしい短歌や判りにくい短歌はどうも苦手である。本当の名歌は、この種のものの中にあるのかも知れないとは思うが、私の趣向や私の短歌観には合わない。もっとも、「良く判らないが、何となく気分が出ている」という作品もある。この種のものは、自分にないものを持っている作品だけに、一種のコンプレックスを私が持っていると言っても良いのかも知れない。
・通常なら漢字を使うべきところで仮名を使っている短歌
  これは決定的なことではないし、作者はその美的感覚から意識して仮名にされているのだろうが、読みにくく、内容が頭に素直に入って来ない場合が多い。
・推敲の足りない短歌
  発想は魅力的なのだが、推敲不足のせいか、どうも言葉がこなれていないという気がするものもある。もっとも、これは作者と私の感覚の違いで、作者は練りに練った結果選んだ表現なのかも知れないが・・・。
・余りにも技巧的な短歌
  これも決定的なことではないし、優れた技を持っている場合には評価できるが、技巧が伎倆を伴わず、技巧らしきもののみが目につく作は好きになれない。特に、必然性のない空白を入れたり、句読点を入れたり、わざと言葉を崩したり・・・作者の美的感覚から生れたものなのだろうが、私には共感できない場合が多い。短歌は、目で見るものであると同時に、耳で聞くものでもあると思っている。したがって、音読する際に参考になる空白や句読点は意味があるのかも知れないが、専ら視覚に訴えるのみの技巧には違和感を感じる。
・単純過ぎて、何に心が動いているのか判らない短歌
  「平明愚直」を売り物にしている私自身の作品にもこの種のものがあり、私自身の「駄作」にはこの種の欠陥品が多い。ひとりよがりの短歌と言っても良いのかも知れない。
・「主義・主張」のみがあって「歌心」のない論文短歌・観念過剰な短歌
  新聞短歌等に結構多いような気がする。私の「駄作」にもこの種のものが結構あると思う。

 
 なお、このブログのほかの部分で、短歌論めいたことに触れているものもあるので、今日のメモと関連のありそうなものを以下に記しておく。
・私の短歌論 5月6日
題詠マラソン参加の弁と自作の御披露 5月15日
・短歌における仮名遣い・私説 7月25日