総選挙についての私見

 またまた「硬派の私」の登場である。あまり硬派になりたくはないが、やむにやまれず硬派になるという心境だ。所詮は「ゴマメの歯軋り」とは思いつつも、黙ってはいられない。
 
 いよいよ選挙戦がはじまった。小泉さんは「郵政選挙」だと言っているようだが、とんでもない話だ。現在の国政の論点は、憲法靖国、外交、社会保障、税制等々山積しており、郵政はせいぜい8番目か10番目程度の問題だと思う。もし、10なら10の課題について自民党の議員に「踏み絵」を踏ませたら、全部が小泉さんと一致する人はほとんどいないだろうし、その人たちを全部切り捨てて自民党を「純化」させれば、おそらく「鉄の規律を持った少数政党」に転落するだろう。郵政よりもっと重要な問題に目をつぶって、郵政に限って踏み絵を踏ませるという小泉さんの手法は、自己の「信念」と「こだわり」にのみ特化し、政策も国民も無視した暴挙としか思えない。
 「小異を捨てて大同に就く」というのがこれまでの自民党の幅広さであり、「国民政党」を標榜できる土台でもあったと思うが、小泉さんは、その幅広さを捨て、「自民党をぶっ壊した」わけであり、「悪い自民党」だけでなく「良い自民党」もぶっ壊してしまって、唯我独尊の「小泉党」に変質させてしまった。小泉さんに追随する自民党首脳も、何とだらしないことかと思う。
 郵政法案に反対した議員に対し「刺客」を向けることも問題だ。すべての議決につきそのような姿勢を示すのなら、それも一つの行き方かも知れないが、これまですべてそうだったとは限らない。そもそも、郵政法案を否決したのは参議院であり、小泉さんの執念と偏狭さ以外の何物でもない。ただ、「郵政賛成の候補者がいないのはまずい」という意味では、全く理解できないわけではない。しかし、それぞれの地元には、政治を志す若い人もたくさんいるだろうから、候補を立てるのなら、そのような人から選別すべきだろう。それを、全く地縁のない有名人を差し向けるということは、選挙民を愚弄した手法であり、まさに「刺客」という名にふさわしい所業だ。
本筋を離れたケチな話をすれば、今回の選挙でいくらのコストが掛かるのかは知らないが、国民の血税から支出される額だけでも、おそらく3億円や5億円では利かないだろう。それだけの金を小泉さんの偏頗な「信念」のために負担しなければならないとは、全く呆れ果てた話である。

 
  今回の選挙は、個々の政策もさることながら、「小泉独裁政権」、あるいはそれに続く「小泉亜流政権」、そして健全な常識と責任感を捨てた「小泉自民党政権」を許すかどうかという選挙だと思う。若い人の間では、小泉さんの歯切れの良さに喝采を送る向きが多いとも聞く。空虚な歯切れの良さは、最も危険なものだと思う。例えば「郵便局員が国家公務員である必要があるのか」というのが小泉さんの常套句であり、それに拍手が沸くと聞くが、これこそ小泉さんお得意の問題のすりかえに他ならない。郵便局員が公務員だろうと会社員だろうと、彼らの給料を彼らが稼がなければならないという意味では、国民にとっては同じことである。本当の問題は、「郵便制度に国が責任を持つ」のかどうかということであり、公務員かどうかというのは枝葉末節の問題に過ぎない。
 このような問題点のすりかえが小泉さんの最もお得意とするところだと思う。もっとも、小泉さんという人は、論理と羞恥心をお持ちでない方のようだから、策略としてではなく、案外真剣にそう思い込んでいるのかも知れないが。

 
  ヒットラーの台頭を決して許してはならない。許した後で後悔しても遅過ぎる。そういった意味では、今回の選挙は、これまでにも比して重要な選挙であり、国民の判断力と良識が試されている選挙だと思う。「郵政」などという次元の低い話にだまされてはいけない。

 
  以前、こんな短歌を作ったことがある。
   獅子吼する総理の顔が傲慢の「傲」という字に次第に似て来る
   「信念」は未熟な思考の裏返しテレビを見つつ世相を思う
   思慮浅き言葉を「肉声」と評価する流れをややに怖れて過ごす
                          (いずれも小著「春の道」所載)
 あまり出来の良い短歌ではないし、今ならもっと激しいものを作りたいのだが、あいにく持合わせがない。

 
  これからの選挙戦とその結果を、多少の期待と大きな不安を抱きながら見守っているところである。