ふるさとでの長い半日(私の綴り方)

 ボリュームばかりが多い在庫整理である。数年前にふるさとの我が家を手放したのだが、その際、何人かの身内や親戚にその経緯等を報告する必要があった。そのため、小説風の長い雑文を書いて送ることで、その説明に代えた。ふるさとの家を手放した際の記録という意味で、ブログに載せておきたい。中身は、一見小説風だが、そんな気持は全くない。まあ、中学生の綴り方といった程度のものだろう。固有名詞がやたら出て来るが、これは「報告」という元来の性格上、しつこく書いたものである。「個人情報保護」の観点から、人名は適当に変更したが、その他の点は、すべて事実通りである。なお、この「我が家」は、私が育った養方の我が家であり、「母」というのは養母のことである。
 こんなやたらに長い私的な感想・記録をブログに載せるのも如何なものかという気がしないでもないが、「私のブログは私の私物だ」とあえて開き直って、記録に留めることにしたい。


          ふるさとでの長い半日

 車は、大島大橋を渡った。北から南に向かう潮の流れが速い。運転しているのは吉田さんの兄さんの方、助手席に坐っているのは弟さんの方である。
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 郷里の家の売却の話が大島警察署から来たのは、去年のはじめだったろうか。私が少年時代を過ごした郷里の家は、二十年以上前に母が死んでからこちら、長年にわたって無住の家である。その上、かなり以前の台風で二階の屋根が一部飛んでしまい、人手不足のせいもあって補修が大幅に遅れたり、何や彼やですっかり荒れ果ててしまった。そんなところに目を付けたのか、駐在所の用地に譲ってくれないかという地元の警察からの話なのである。
 私にとっては懐しいふるさとだし、先祖伝来の家屋敷でもある。それだけに、売却することには随分ためらいもあった。それに、金額も馬鹿々々しいレべルの話である。当初は坪十万円くらいという話もあったのだが、公共機関だけに公示価格等を無視するわけにも行かないらしく、結局坪五万円余りという話に落ち着いてしまった。百坪余の先祖伝来の土地が、わずかに五百万円かそこらの話なのである。おまけに、解体費用は、決まりによってこちら持ちだというし、その費用は百万円を軽く超えるらしい。どう考えてみても割りに合わない話ではある。
 金にこだわる積りもなかったが、年収にも達しない金額で、先祖伝来のわが家を手放すのは、御先祖様にも申訳ないという気持が先に立つ。それやこれやで、随分迷ったのだが、考えようによっては、村の中心地に荒れた家を残しておくのも地元の人にとっては迷惑な話なのかも知れないし、また私自身にとっても、何だか老醜の身を人さまの前にさらけ出しているような後ろめたさを感じないわけでもなかった。
 それやこれやで、結局手放すことに心を決めたのだが、家には古くからの家具や道具類もあったはずである。どれだけの値打ちがあるものかは判らないが、解体の際そのまま廃棄物にしてしまうことにも抵抗がある。
 あらゆる物にそれぞれ神が宿っているのだとすれば、やはり然るべき手順を踏んだ上での処分でないと、御先祖様のみならず、道具類の神様からもお叱りを被るかも知れない。郷里の島にも道具屋さんはいるだろうが、何せ郷里の山口県大島郡東和町は、高齢化率全国ナンバーワンの町であり、我が国有数の過疎の町でもある。とすれば、島の道具屋さんでは、余りあてにできそうにもない。
 思い付いたのが、広島にいる横田である。横田は高校の同級生で、中央の大企業に就職した後、広島にある子会社の社長を長年やっている。きっと道具屋さんなどにも顔が利くだろうと思って、彼に紹介を頼んだ。
 彼の返事によれば、知人の弟さんが建築関係の仕事をしており、その人の知合いに道具屋さんがいるという。早速紹介して貰うことにしたのが、半年余り前のことである。
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 その横田の知人が、いま運転している吉田さんの兄さんの方、建築関係の仕事をしているのが助手席にいる弟さんの方である。兄さんの方は運転手代りということのようで、
「どうせひまですから、ドライブがてらお伴しますよ。大島には時々釣りに行くんで、そう遠方という感じもしませんしね。」
 との弁である。弟さんの方が紹介してくれた道具屋さんとは、島への橋を渡ったところで落ち合う予定とのことである。
 橋を渡って左に曲がったところで車を降りて、海峡の潮の流れを見下ろしていたら、ほどなく道具屋さんの車が着いた。善通寺さんという人である。四国の善通寺とは関係ないそうだ。善通寺さんの車の運転をしているのは若い女性である。善通寺さんの会社の職員だという。実は、島まで同行して貰うのは吉田弟と道具屋さんの二人だと思っていたし、場合によっては、紹介さえして貰えれば道具屋さんだけでも良いと思っていたので、随分大人数になったものだと実は少々戸惑った。忙しい一日を割いて同行して貰うわけだが、たいしたものはない可能性も強いし、そうなるとどうにも気が引ける。そうかと言って、せっかくの御好意に対して、私から人数を減らしてくれとお願いするわけにも行かない。成行きに任せるしかないな、と割り切ることにした。
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 無住のわが家だから、うちで昼食を摂るわけにも行かないし、村に食堂があるという記憶もない。途中のコンビニで弁当とお茶を買って行くこととし、その旨吉田弟に話したところ、橘町に入るとコンビニがあるという。私の記憶には残っていないので少々不安だったが、なるほど土居に入ったところにかなり大きなコンビニがあった。品数も豊富だし、驚いたことに結構若い客が多い。夏休みの日曜日だから、墓参や観光で島に渡った人も多いのだろうか。弁当とお茶と、パック入りの酒を買う。
 酒を買ったのは、酒盛りをしようという積りではない。家を壊す前に帰省するのはこれが最後になるかも知れないので、家に酒を供えようという意図なのである。
 実は、半年くらい前に、こんな短歌を作ったことがある。

  ふるさとの家壊す日の近ければ 部屋部屋に酒供えて回る

 短歌は昔からやっているのだが、原則として、架空のものは作らないということにしている。それがどういう加減か、故郷の家のことを考えているうちに、そんな短歌ができてしまった。架空のものを作らないという私の主義からすれば、これを実体験に直す必要がある。そこで、短歌の後を追ってそれを実行に移そうというのが、今回の帰省の目的の一つでもあった。それに、そのこと自体、故郷の家に対する挽歌にもなりそうだし、私にとっての一つの気安めにもなりそうな気がしたからでもある。
 車は島の道を走る。私の少年時代に比べて道幅は随分広くなった。島の道ではあるが、これでも国道である。道に車に轢かれた狸の死骸が転がっているのが見えた。
「かなり前から、人口が減るにつれて狸が増えましてね。以前、『狸と老人多し 飛び出し注意』という交通看板が出ていて、狸と老人を一緒にするとは何事かと文句が出たりして、結構全国区の話題になったことがありましたよ。」
 と吉田兄弟に説明する。狸の死骸はあるが、話題の看板はもはや見当たらない。
 島には、白い砂浜の海水浴場が点在する。お盆は過ぎたとはいうものの、海水浴客はまだ結構多い。
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 島に渡って一時間弱、我が家に着いた。
「立派な構えですね。この紅殻格子、できた頃は随分お洒落だったんでしょうね。」
 と善通寺さんが言う。お世辞かも知れないが、正直に言ってちょっとほっとした。余りにも荒れた家で、善通寺さん達に見せるのがちょっと気恥ずかしくなっていたところだったからでもある。
 鍵を開けて中に入る。思った以上の荒れようである。ここ何年かの間に何度か入ってはいるので、荒れようの見当は付いているし、それを上回るということはないはずなのだが、離れているうちに記憶が朧ろになり、母や私が住んでいた昔々の記憶と混同して来るせいか、予想以上の荒れように感じるというのが、このところ毎度のパターンである。
 吉田さん兄弟は、思った以上の荒れように恐れをなしたか、玄関あたりでうろうろしている。善通寺さんはさすがに手慣れたもので、女性職員と一緒にさっそく家の中を見て回っている。吉田兄は、結局クーラーの効いた車の中で待っていることにしたようで、吉田弟は、タオルで汗を拭き拭き、私の後に付いて来た。
 一階をざっと案内する。
「あんまり、良い物はないですね。」
 善通寺さんの感想である。
「二階に掛け軸があるはずです。」
 善通寺さんを案内して二階に上がった。この家を引き払う際、気に入った掛け軸は東京に持って行ったのだが、二階の天袋には、かなり残っているものがあったように記憶している。二階の部屋は、屋根を壊した台風以来窓をベニア板でふさいであるので、昼とは言えど暗いし、風も全く入らない。天袋を覗くための足台になるものもない。
 善通寺さんは、私とそう変わらない年令である。
「藤山さん、登ってみてよ。」
 と女性職員に軽業を押し付けた。彼女は、どうやら藤山さんという名前らしい。藤山さんは、窓枠に手をかけたりしながら、天袋の中を覗いていたが、
「何もありませんよ。」
 そう言えば、二階の部屋に飾ってあったはずの書もないし、大きな自然木を利用した火鉢も見当たらない。
 とにかく暑い。もちろんクーラーはないし、水も出ない。お互いに汗を拭くのみである。東京から持って来た手袋も、すぐに真っ黒になる。二階はあきらめて、下に下りるほかない。
 次は、物置二階である。台所の天井から作り付けの階段を下ろして、暗い物置二階に入る。思った以上に狭いし、その割りに荷物が多い。私と善通寺さんがまず登る。私自身、どこに何があるかという記憶は定かでないので、善通寺さんが探すに任せるほかない。食器らしい箱がある。善通寺さんが蓋を開けた。
「からっぽだ。」
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「あった、あった。これはなかなか良い物ですよ。」
 暗がりで、善通寺さんが言う。
「これは、船金庫と言うんです。船主などが、船に持ち込んでいた金庫で、良いものですと、五、六万円はしますよ。」
 五十センチ立方くらいの小さな箪笥のようなものである。正直に言って、ちょっと嬉しかった。金目のものがあったという意味での嬉しさではなく、善通寺さんや紹介者に対して多少顔が立ったという意味での嬉しさである。いろんな人の手を煩らわせたのに、目下のところほとんど成果はない。これでは、私を含め皆さんに無駄働きをさせたという心苦しさだけが残る。しかし、私のそんな気持は、善通寺さんによってたちまち裏切られた。
「やっぱり、こりゃだめだ。雨に打たれてすっかり材木が腐っている。この上の屋根の隙間から雨が入ったんでしょうね。もう少し脇に置いてあれば、雨に打たれなかったろうに。こりゃ残念だ。」
 それにしても暑い。物置二階は一応切り上げて、下に降りる。
「どこか、手を洗うところはありませんか。」
 善通寺さんが言う。隣の呉服屋さんの前の道端に水道があるのを、以前帰省したときから知っていた。私物なのか公共のものなのかは判らない。
「すぐ外にありますよ。」
 と善通寺さんに教え、呉服屋の沼田さんに声を掛けた。
「隣の西中ですが、水をちょっと使わせて頂けませんか。」
「どうぞいくらでも。しばらくですね。」
「ええ。今度この土地を警察にお譲りすることにしたものですから、今日は広島から道具屋さんたちを連れて来て。」
 道端の水道で手を洗って、ついでに善通寺さんは顔も洗って、家に入る。
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 善通寺さんは、納戸の箪笥を覗いて見ている。
「これもからっぽだ。不思議ですね。これだけの家で、これだけ物がないというのも珍しい。さっき、食器類の棚を簡単に見たのですが、普通の日用品はあるけれど、客用の伊万里などが全くない。もう整理なさったのじゃありませんか。」
 聞かれて思い出した。
「そう言えば、十年くらい前に泥棒に入られたことがあるんです。田舎から連絡がありましてね。泥棒が入ったらしい、掛け軸の箱などが座敷に散らばっている―――という話を聞いた記憶があります。何を盗られたか確認もしなかったんですが、そのとき持って行かれたのかも知れない。そう言えば、記憶に残っているもので見当たらないものも幾つかあります。」
「それですよ。例えば陶磁器は、ものによっては結構な値段になる。ところが漆器はダメなんです。手入れが悪いと塗りが悪くなって、見た目はきれいでも売り物にならなくなってしまいます。漆器は結構残っているんですが、陶磁器がない。浴衣は残っているけれど、大島や銘仙は全くない。こりゃ結構目先の利いた専門家の泥棒ですよ。」
「やっぱりそうでしたか。泥棒のことはすっかり忘れていました。専門家にやられてしまいましたか。」
 折角の家探しがこれでは―――とがっかりしてしまった。もっとも、道具屋さんを連れて来たは良いけれど、良いものがないのでは恰好が付かないな―――と危惧していたところもあったので、それに、正直なところ良いものがあるという自信もそれほどあったわけでもないので、「良いものがないのは泥棒のせい」ということで、泥棒に責任転嫁した気持もなかったとは言えない。
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 次は納戸の上の物置二階である。ここには作り付けの階段はなく、どこかから梯子を持って来るしかない。庭に梯子があったような気がして庭に出た。出てみて驚いた。庭がすっかり藪になってしまっている。もちろん以前から木が植えてあったところもあるのだが、そうではなく通路になっていたところや、開けていたスペースにまで木や枝が繁って、歩くのも容易ではない。やっとの思いで庭を一巡したが、梯子はない。
「梯子を借りて来ます。」
 善通寺さんに断って外に出た。このところ経験しなかった労働で、膝はガクガクするし、汗は吹き出る。表に出ると、三十度を超える気温だろうが風が涼しい。
「おや、お帰てじゃったんですか。」
 と自転車の女性に声を掛けられた。遠縁に当たり、宿屋をしている浜松屋の奥さんである。
「ええ、今度家を壊すんで、荷物の整理なんかで。とんぼ帰りで。」
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 さて、梯子をどこで借りたものか――思い出したのが、中川のヨシエちゃんである。ヨシエちゃんの家は、私の家の向う三軒両隣とは言えないが、その二軒くらい先の港の入口にある。父が死に、母一人で故郷に残っていたころ、ヨシエちゃんの母親が、よく母のところへ遊びに来ていた。時としてヨシエちゃんも一緒である。ぼくが大学生のころに、彼女が中学生くらいだったろうか。その後大阪に住んでいたのだが、御主人の定年で一緒に実家に戻っているという話を聞いた記憶がある。四十年ぶりに彼女に会ってみるのも悪くないなという気持もあって、彼女の家に梯子を借りに行くことにした。
 表門は閉まっている。裏口はあるのだろうが、ひとまず表門のブザーを押した。返事はない。しばらく押していると、遠くから女の声の返事があった。
「東京の西中ですが。」
 これで通じるかどうかは判らないが、ほかに言いようもない。門扉が開いた。ヨシエちゃんである。相応に歳はとっているが、子供のころの面影はある。
「あら、眞ちゃんですか。お久しぶり。」
 六十過ぎた私が、五才か六才年少のおばさんに「眞ちゃん」と呼ばれる筋合いはないが、さりとて悪い気持でもない。
 あれは大学生の夏休みだったろうか。帰省したら、ヨシエちゃん母娘がいつものようにうちに遊びに来ていた。暫くぶりに会うヨシエちゃんは、随分背が高くなっている。
「随分背が伸びたね。」
 と言ったら、母だったかヨシエちゃんの母親だったか、
「背比べをしてみたら。」
 と言う。背中合わせに立ったとたん、二人のお尻が触れ合って、思わずドキンとした。それだけの他愛ない話でありすっかり埋もれていた記憶なのだが、そのことを突然思い出した。もちろん彼女は、そんなことを覚えているはずもなかろう。
 家を処分するために道具屋さんを連れて来たことを前置きした上で、梯子を借りたいことなどを手短かに話す。
「去年だったか、息子さんが帰っておられましてね、思わず『眞ちゃん』と呼んでしまったら、『その息子です』と言われちゃって。考えてみれば、眞ちゃんがそんなに若いわけないですよね。自分が歳をとったことを忘れて、何だか錯覚してしまって。」
 とヨシエちゃんは笑う。
 裏に回って梯子を借りた。
「あの、お願いがあるんですけど、もし小母さんが使っておられた三味線がまだあったら、譲って頂けません? 昔小母さんに三味線を少し教えて頂いたことを思い出してしまって。」
「あるかどうか判らないけど、あったらぜひ貰ってやって下さい。ヨシエちゃんに貰ってもらえたら、おふくろも喜ぶでしょう。」
 梯子をかついで家に帰る。
 梯子を掛けて納戸二階に上がってみたら、ここもほとんどカラッポだった。ただ、三味線はあった。皮が破れてはいるけれど、善通寺さんに聞いたら、修理すれば使えるだろうとの話である。もっとも、入っている箱は見覚えのない箱である。あるいは、母の形見ではなく、別の三味線なのかも知れないが、余計な説明はしないでヨシエちゃんに上げた方が彼女も喜ぶだろうと思い、梯子伝いに下に下ろす。
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 新山の恭一さんが現れた。恭一さんは、私より二回りほど若い親戚である。私が大学生だったころ、当時東京に住んでいた恭一さんの両親のところに遊びに行った記憶があるが、そのときはたしか恭一さんが生まれたばかりだった。その御両親も今は亡い。その後恭一さんは父親の転勤につれて各地を転々とし、首都圏の大学を出て東京勤めをしていたが、数年前に村に帰って島の土建会社に勤めている。高齢化の進む島では珍しい存在であり、このところ、私の家や墓の管理等をお願いしている青年である。もっとも、私の感覚からすれば「青年」だが、もう四十に手の届く年頃だろう。
「櫛野さんを呼びましょうか。」
 と恭一さんが言う。
「もう少ししたら、警察の森さんも来るはずだから、その後にしたらどうですか。」
 土地を売る話が村の人々の耳に入ったのはごく最近だと思うが、一軒置いた隣の櫛野さんから恭一さんに、土地を売るのなら一部を分けてくれないかという話が来たのだという。それがつい数日前の話で、恭一さんから横浜の私の勤め先に電話が掛かって来た。
 櫛野さんの裏に綿部さんという家があるのだが、その家を櫛野さんの関係者が買う話が進んでいる。ところが、綿部さんの土地は袋地で、私の家の脇の幅一メートル足らずの通路しかない。今度わが家が土地を手放すのであれば、車が通れる程度の通路を確保したいので、その分を譲ってくれないかという話である。
 私には格別の異存はない。ただ、そうなれば、警察に譲る土地がその分だけ減ってしまうので、警察の方がそれでも良いのかどうか私には判らない。
「今度帰省したとき、警察の人も入れて相談しましょう。」
 というのが、その電話のときの私の返事だった。
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 予定の行動を消化するには、各部屋に酒を供えなければならない。道具探しは善通寺さんに一応任せ、外の水道で湯飲みをざっと洗って、湯飲みに酒を注ぐ。
「お神酒を一杯付き合って下さい。」
 全員に勧め、私がまず一杯呑んだ。空き腹に滲みる。
「部屋に酒を供えようと思って。」
 誰にともなく言うと、
「こうするんですよ。」
 と吉田弟が、湯飲みの中に指を入れて、その指を上の方に向けてパッパッと振った。酒が散る。解体の前に家に酒を振る舞うのは、どうやら私だけのアイデアではなかったようである。いくつかの部屋に行き、吉田さんの真似をして指で酒を振った後、酒の残った湯飲みを部屋の隅に残して回った。これでやっと短歌の後追いができたわけである。
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「どなたかお客さんですよ。」
 玄関に出てみると、がっちりした初老の男が立っている。逆光で、顔は良く見えない。一瞬私の職場の某部長かと思ったが、そんなはずはない。
「馬場ですが、お帰りと聞いたので。」
 馬場も私の親戚である。それも比較的近い親戚である。これまで帰省した際には、大体挨拶に寄っていたのだが、今回は用事を抱えての帰省で、それに連れもいるので、帰省の連絡もしていなかった。それにしても、訪ねて来た男が誰なのか突嗟には判断つかなかったが、年恰好からすれば、私より六、七才年少の建君しかあり得ない。彼ならたしか広島に住んでいるはずである。
「建さんですか。」
「そうです。」
「随分暫く振りですね。」
「いやあ、どうも。実は母からの伝言ですが、今日ちょうど親父の十三回忌の法事をやっていまして、さっき浜松屋さんの奥さんから聞いたら帰っておられるということで、それなら、ぜひ出て頂きたいということで。」
 帰省している以上、本来なら当然出るべきところであるが、今回は用事もある。
「せっかくですが、これから人と会う予定などもあるんで、法要は失礼します。後で時間があれば、お線香でも上げに伺いますよ。」
 そうこうしているうちに、建君の母親である小母さんも現れた。同じような断りを言うと、
「じゃあ、食事だけでも。」
「せっかくですが、連れもいるし、弁当も用意してありますんで。」
 連絡しなかった詫びも含めて事情を話し、小母さんはやっと納得して帰って行った。
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「この仏壇はどうですか。私の爺さんが、大昔にかなり張り込んで買って来たもののようですが。」
 仏間で善通寺さんに聞くと、
「立派な物ですが、仏壇の古いものはみんな扱いたがらないんですよ。」
 というのが善通寺さんの返事である。
「こんなものがありました。」
 横から藤山さんが言う。陶器を手にしている。善通寺さんはその陶器を手に取って暫く見ていたが
「これはなかなか良いもんだよ。でも、少し傷がある。これ一つというはずはないんで、幾つか組みになっているはずなんですが、多分泥棒が傷のないものだけ取って、傷物を残して行ったんでしょう。随分、目の高い泥棒だ。」
 善通寺さんは改めて泥棒に敬意を表している。泥棒にかなりの物をやられたことは、私の記憶に照らしても間違いなさそうだが、それにしても、手当たり次第に持って行かずに、ちゃんと選択して良いものだけを持って行くとは、その目利きの度合いもさることながら、その落ち着きぶりには私も感心した。
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「そろそろ飯にしませんか。コンビニで弁当とお茶を買って来ましたから。」
「そうですね。われわれは、ここで食べます。中じゃ暑過ぎる。」
 善通寺さんは、近くの道端にベンチがあるのに目を付けてそう言った。
「じゃ、持って来ましょう。私は中で食べます。そうでないと家や御先祖様に叱られそうですから。」
 確かに外の方が快適だろうが、行きずりの善通寺さんたちと違って、私は地元の人間でもあり、顔見知りも多い。その私が、よその家の軒先のベンチで飯を食うのには、多少の抵抗がある。
 座敷に入り、畳を上げて重ねてある上に毛布を敷いて、その上に腰掛けて一人で飯を食った。確かに暑い。それに慣れない労働の後遺症と、ひょっとして昨夜横田たちと呑んだ酒の名残りもあってか、食欲は全くない。弁当の半分は残してしまった。残骸をどこに捨てようかちょっと迷ったが、部屋の中に置いたままでも気になるし、さりとて人に頼むほどのことでもない。結局藪になった庭の中に投げ捨てた。
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 ヨシエちゃんの家に梯子を返しに行く。
「三味線ありましたよ。もっとも皮が破れているけど、直せば使えるらしい。ちょっと見てみますか。」
「まあ嬉しい。」
 ヨシエちゃんが付いて来る。家に入ると、彼女にもなにがしかの感慨はあるらしい。
「まあ、懐しいわ。随分よくお邪魔しましたものね。でもすっかり荒れてしまって。」  私にとっては見慣れた荒れ座敷だが、彼女にとっては四十年ぶりにはじめて見る荒れようなのだろう。
 ほこりだらけの三味線の箱を抱えて、ヨシエちゃんの家まで持って行く。
「あとで、ビールでもお届けしますから。まだ、暫くいるんでしょ。」
「まだ、一、二時間はね。」
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 飯も終わって、ひと区切り付いた。
「もっといろいろあるかと思っていたんですが、これでは、せいぜい五万円くらいのもんですね。」
 と善通寺さんが言う。
「どうもせっかくお忙しいところ来て頂いたのに申訳ありません。泥棒が入ったことは聞いてましたが、こんなにごっそり持って行かれたとは知りませんでした。こうなったら、値段はどうでも良いですから、売れるものがあれば何でもお持ち下さい。私がもう一度帰るとなれば、旅費だけでもそのくらいは掛かりますから、もうここで決めて頂いた方がありがたいんですが。」
「今日で大体見当は付きました。今週中くらいに引き取りに来ますから、そのとき泥棒と間違えられないように、どなたかに話を通しておいて下さい。」
「判りました。新山さん、そんなことだからよろしく。」
 と恭一さんに頼む。善通寺さんは重ねて言う。
「それから、お金を送るのは、荷物を引き取った後にさせて下さい。同じような空き家でお金を渡した後に荷物を引き取りに行ったら、その間に泥棒に入られて、ゴタゴタした例があるんですよ。ですから、これは我々の業界の常識にもなってるんです。」
 もちろん私に異存はない。しかも、泥棒に入られたという意味では、私自身が立派な実績を持っている身でもある。
 まだ、正午を少し回ったばかりである。私の心積りでは、もっといろいろな道具があって、選定に時間が掛かるものと思っていた。だから時間に縛られないように、帰りの列車は、夜行の寝台車の予約を取っていた。しかしこの分では、道具関係の用事はもうなさそうである。
「せっかく遠くまで来て頂いたんですが、今日のところは、そんなものですかね。それじゃ、もしよろしければ、これでお帰り願っても良いんですが、どうなさいますか。」
 善通寺さんと吉田兄弟との相談となる。吉田さんは、私の帰りの車の便を気にしてくれているようだが、何時間に一本かはバスもあるし、船便もある。新山の恭一さんは、自分の車で本土の駅まで送っても良いと言ってくれる。
 そんなことで、御一行様は私を残して、車二台を連ねて村を去って行った。道具代だけの計算をすれば、私の交通費まで入れれば相当の赤字である。昨晩、横田や吉田兄弟と一緒に一杯呑んだ費用まで入れれば、なおさらである。しかし、これも先祖伝来の家屋敷を手放すための儀式だと考えれば安いものである。やるべきこともやらずに手放せば悔いが残るだろう。いわば、私の自分自身への言訳のためのコストと言えなくもないと思ったりした。
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 大島署の森さんがマイカーを運転して現れた。警察の職員だが警官ではない。会計の責任者であり、以前貰った名刺では、山口県事務吏員とある。年配は恭一さんと一緒くらいだろうか。
「お休みのところすみませんね。」
「いや、せっかくの機会ですし、元はと言えば、こちらから御迷惑な話を持ち出したのが発端ですから。」
 森さんはあくまでも低姿勢である。
「それじゃ、櫛野さんを呼びましょうか」
「お願いします。それにしても、ここじゃ暑過ぎるから、駐在所に行きましょう。あそこなら冷房も効いていますから。」
恭一さんが櫛野さんを呼びに行き、櫛野さんがすぐ出て来た。ずんぐりした中年男である。そう言えば、私が田舎に居たころ、櫛野さんのお宅には「タッちゃん」という幼児がいた。
「櫛野さんというと、あのタッちゃんですか。」
「そうです。」
 という返事だが、当時の記憶とは全く繋がらない。世代が違うこともあって、共通の記憶もあまりなさそうだし、話の種もあまりない。四人黙々と連れ立って、私はさっきヨシエちゃんが届けてくれた缶ビールを提げて、歩いて五分ばかりの駐在所に向かった。
 駐在所は、たしかに手狭である。これなら私の土地に目を付けるのも無理はない。駐在さんに挨拶して、狭い受付に椅子を並べる。駐在さんの奥さんが、冷たいお茶を出してくれる。
「さっき貰ったビールでも皆さんいかがですが。」
「私は車で来ていますので。」
 と森さん。
「いま飲めば、運転されるころには醒めていますよ。もっとも、警察職員が飲酒運転で捕まったら大変ですけどね。ここは新潟県でもないことだし。」
 結局、私一人が缶ビールの蓋を開けた。
「大体の話は伺っていますが、念のために、まず櫛野さんからお話を伺いましょうか。」 私が口火を切り、櫛野のタッちゃんが説明する。恭一さんから電話で聞いた話と概ね同じ話である。
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「判りました。警察からご覧になれば、いまさら変更は迷惑だということでしょうし、私もその点は同感なんですが、櫛野さんの方から見れば、今までは私の家があったわけですから土地を譲れとも言えなかったということでしょうし、今度警察に土地をお譲りすることをお知りになったのがごく最近だというのは、当然のことでもあるんですね。この機会を逃せば、裏の土地はずっと車の入らない袋地のままになってしまうわけですから、私としてはぜひお譲りしたいと思っています。もちろん、値段など御相談しなければならないことはいろいろありますけれど、それは別途お話しするとして、警察の方では、多少の御迷惑程度のことであれば、ぜひ話に乗って頂きたいんですがね。」
 森さんの返事は、何とか考えてみましょうということだった。
「もう県警の本部で決裁も終わっている案件なので、厄介なことは事実なんですが、西中さんのおっしゃることもごもっともなので、本部と話をしてみます。私の判断では、何とかなるんじゃあないかと思います。」
「どうもありがとうございます。よろしくお願いします。ところで櫛野さん、いろいろ二人で御相談しなければならないこともありますが、私もその都度帰省するわけにも行かないんで、今この場で御相談しましょうか。」
「ぜひお願いします。」
「それじゃ、一番大きな問題は値段だと思いますが、正直に言って、警察に売る値段はいろんな制約もありましてね、時価よりかなり安いんです。それに、警察に売る場合と違って税金も掛かる。ですから、警察にお売りする値段よりは高いものにならざるを得ないと思うんです。それに、警察の場合、乱暴に言えばどこの土地でも良いわけですが、櫛野さんの場合は、この土地でなければ意味がないわけですよね。それこれ考えますと、なおさら高いものになるとは思うんですよ。」
 中年のタッちゃんは、うなずきながらも不安そうな表情も交えて私の話を聞いている。「よく判ります。それで、どの程度の値段と考えておけば良いでしょうか。」
 どうしたものか、私はちょっと迷った。今決めなくても良いのかも知れないし、事情からすれば、かなり高い値段でも話は通りそうである。しかし、考えてみれば、警察に売る値段はいずれ表に出ることになるだろうし、タッちゃんにあまり高い値段を要求したのでは、後々悪口を言われる種にもなり兼ねない。それに、分けるのは幅一メートルかそこらの土地だから、総額にすれば大した差はない。それなら、あまり吹っ掛けずにこの場でケリをつけてしまおう───これが私の結論だった。
「こんなところでどうでしょうか。正直に申して、警察に売る値段は、坪六万円くらいです。」
 横で警察の森さんはうなずいている。
「それをベースにして、さっき申した要素も入れて、坪十万円ということでどうでしょう。それと、土地の分筆の費用とか、契約の費用とか、いろいろ雑費も掛かるでしょうから、その方は櫛野さんの方で負担して頂くということで。」
「結構です。よろしくお願いします。」
 タッちゃんはほっとした様子である。
「どのようにお分けするかは、もう私の方は直接の関係はありませんから、警察の方との話合いで決めて下さい。分筆などの手続の点は、警察の方でもよろしくお力添え下さい。そのために私が帰って来るというんじゃ大変ですので。もちろん必要書類にハンコを押すなんてことは当然やりますけれど、その前の準備などは櫛野さんと警察の方とに全てお任せしたいんですが。」
 森さんもタッちゃんもその点には異論はない。これで今回の帰省の目的のあらかたは片付いたわけである。
「奥さん、お邪魔しました。場所の借り賃に、缶ビールの残り二本置いて行きます。」
「まあ、お持ちなさいませ。お帰りの電車ででもお飲みになれば。」
「いや、電車に乗るまでにはぬるくなってしまいますし、電車の中では、冷えたのを買いますよ。」
 帰りは、警察の森さんが、駅まで送ってくれると言う。一応は遠慮してみたが、
「どうせ私も家に車で帰るんで、帰り道ですから。」
「それじゃ、よろしくお願いします。そうと決まれば、勝手ですがこれからちょっと墓参りもして来たいんで、一時間くらい後に、駐在所の方に伺いますから。」
 これで時間に追われずに墓参もできるとちょっと安心した。
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 駐在所を後にして、わが家に帰る。
 花の準備はないが、せめて墓に水でも注いでおこうと思い、古いヤカンを台所から持ち出して道端の水道で水を入れる。どうやらヤカンは漏ってはいないようである。
 水を入れたヤカンを提げていざ出掛けようとしたら、どうもあたりの様子がおかしい。櫛野さんの先の路上に、人が一杯いる。浜松屋の若主人の大吉君が、太いホースを抱えて何か叫んでいる。若主人といっても、年は私とそう違わない。もう六十近いはずだが、私自身が若かった頃の感覚のままで、いまだに彼は浜松屋の息子という感じしかしないし、したがって、いつまで経っても『主人』ではなく『若主人』である。その彼が、興奮気味に何か叫んでいる。
 どうやら火事らしい。しかし、その割りには緊迫感がなく、消火訓練のようにも見える。後で聞いた話だが、消防団関係の寄合いがあって、団員一同、多少お神酒が入っていたらしい。
 本物の火事だと判って、一瞬わが家ではないかという不安を感じた。家の中で煙草を吸った記憶がある。灰皿が見当たらないので、コップの中に吸殻を入れた記憶である。家の解体準備のために久々に帰省して、それで火事を出したのでは、笑い話にもならない。
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 火元は、私の家のすぐ裏の、末田さんの離れだった。消火隊の後について火元に近付く。気が付いてみたら、私はヤカンを提げたままである。ヤカンの水で消火に向かったというのでは、笑い話の種にされるのがオチである。慌てて家に戻り、玄関の脇の敷石の上にヤカンを置いて、火元の近くに行った。
 盛んに燃えている。まだ正規の消防車は来ていないようで、目下のところは地元の消防団だけのホース消火である。ふと見ると、馬場の誠二郎さんがいる。鎌倉の住民で、東京で年に何度かは会う顔である。私より少し若い。
「やあ、しばらく。哲さんの法事ですか。」
 哲さんというのは十三回忌に当たる故人であり、誠二郎さんは彼の甥である。
「そうです。火事大変ですね。お宅のすぐ裏で。」
「ええ。それにしても、こんなところでお会いするとは奇遇だ。」
 東京で会っている人に村で会うと、それも予告なしに突然会うと、何か時間と空間がゴチャゴチャに乱れてしまったような不思議な感じがする。
「ガラスを割って中から水を掛けろ。」
 と誰かが叫んだ。ポンプの水勢が弱く、それだけではガラスが割れないらしい。私は手近にあったコンクリート・ブロックを掴んでガラスに投げ付けようとしたが、投げるには少し重すぎる。もう少し軽い物をと思って探しているうちに、ほかの人が材木を探して来てそれでガラスが割れた。
 火勢は依然として強い。火元のすぐ表はわが家である。間にわが家の庭はあるが、延焼の危険がないわけではない。どうせ解体する家だから、焼けてしまえば解体費用が助かるくらいのものではあるが、やはり火事で焼けるのは嫌である。それに、私が持ち込んだ今度の帰省の手荷物もある。それに気が付いて、いったん家に入った。
 手荷物を取りに奥の座敷に入る。裏の火が、座敷から見える。かなり激しく燃えている。荷物を玄関に置く。これなら、たとえ延焼しても、すぐ持ち出せるだろう。
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 ホースを運ぶ手伝いをしたり、火事場をうろうろしたりしているうちに、火はやっと下火になった。
 やっと本来の予定に戻って、墓参に行くことにする。火事見物で、随分人が出ている。中には懐しい顔もある。村中総出という気すらする。警察署の森さんも、駐在所の奥さんもその中にいる。
「いやあ、西中さんが駐在を出られてすぐ火事だということで、それも西中さんのお宅じゃないかということで、びっくりして飛んで来たんですよ。」
 森さんと駐在所の奥さんが、口を揃えて言う。
「私も、私の煙草の火の不始末じゃないかと、ちょっと慌てましたよ。それじゃ、これから墓参りに行って来ますので、すみませんがもう少しお待ち頂けませんか。この騒ぎですっかり予定が狂ってしまって。」
 これでやっと墓参に行けることとなった。
 ふと見ると、馬場の敏子ちゃんがいる。何だか、本日は関係者オールスターキャストである。敏子ちゃんと言っても、もう五十を過ぎた中年のおばさんである。さっきの建さんの妹で、建さん同様広島に住んでいるのだが、夏などには帰省していることが多い。だから、建さんの場合と違って、私も何年かに一度は会っている。
「やあ、しばらく。ちょっと墓参りをして、その後小父さんにお線香でも上げにお邪魔しようと思って。」
 ごく最近会った相手のような挨拶を交わし、墓への道を途中まで一緒に行く。
「じゃあ、私、お線香を用意して来ます。」
 敏子ちゃんは途中で別れて家に帰って行った。
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 墓はきれいに掃除されており、花入れには水もあり、緑のものも差してある。すぐ隣が馬場さんの墓なので、法事のための掃除のついでにやってくれたのかと思う。私が提げて来た水を、気持だけ花入れに追加した。敏子ちゃんが、線香を渡してくれる。
 家を手放しても、墓参はちゃんとしますから―――と心の中でつぶやいてはみたものの、これまでも何年間か御無沙汰ということがなかったわけではない。これから歳をとれば、もっと間遠になるのかもしれないし、逆に、ひまになればもっと帰省できるのかも知れないなどと考えたりした。
 墓地を離れて、馬場さんの家の前まで来ると、十人近くの人が路上にいる。どうも、法事のために遠方から来た馬場一族が、これから帰るところらしい。小母さんにあらためて挨拶し、仏壇に向かう。御仏前をどうしようかちょっと迷った。当然のことながら、今日法事だということは知らなかったので、その用意はない。半紙を一枚貰って、それで五千円包んで仏前に供えて手を合わせた。
 冷たいお茶を一杯御馳走になる。
「まあ、お供えまで頂いて。そんな気持で声を掛けたんじゃなかったのに。」
 と小母さんは恐縮している。
 家路に向かうはずの一族も、また戻って私を囲む恰好になった。良く知った顔もあれば、見知らぬ若い顔もある。高校生くらいの女の子が三人いる。いずれも美人である。それぞれ紹介を受けた。
「美人揃いですね。やっぱり小母さんが美人だから。」
「いやですよ、こんなバアサンをからかっちゃ。孫たちが美人なのは、嫁さんが美人だからよ。」
 と小母さんは言いつつも、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
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 わが家の前まで帰ると、火事はすっかり収まったようである。まだ人は多い。本署から来たらしい警察官や消防署員もたくさんいる。新山の恭一さんもいる。
「収まって良かったですよ。でも、末田のお爺さんが、火に巻かれて亡くなりました。」 何でも、私が墓参に行っている間に遺体が発見されて、車で運ばれたのだという。どんな人だったか私には記憶がないのだが、かなりの間寝たきりだったらしい。
「道具屋さんが荷物を持ち出した後、何か欲しいものがあれば、お持ちになって下さい。新山さんはもちろんですが、馬場さんや親戚、近所の人にもお願いします。それが済んだら、張り紙でも用意して送りますから、関係ない人でも良いから、どんどん入って貰って、持ち出して貰えればありがたい。その方が、道具も浮かばれるでしょう。」
 恭一さんに、今後の段取りのお願いをする。
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 わが家にいったん帰り、荷物を持ち簡単な戸締りをして出た。
 もう一度家を振り返る。ふるさとのわが家を手放すことには依然として未練は残るが、この土地にしてみれば、上に無住のあばら家が乗っているより、人々が出入りする新しい駐在所が乗っている方が気持が良いのかも知れないな―――そんな考えが、ふと頭の中をよぎった。その瞬間まで予想していなかった感想である。
 森さんの車は、船着場の近くに止めてあった。港に出る途中でヨシエちゃんにビールのお礼を兼ねて声を掛けたので、彼女と恭一さんが送ってくれた。
 森さんの車の助手席に乗って、島の道を帰る。
 予約してあった切符は夜行列車だが、この時間ならまだ新幹線に間に合うだろう。夏休みの季節だから、指定席が取れるかどうかは怪しいが、いざとなればグリーン車なら何とかなるだろう。慣れない仕事で少々疲れたし、それに、どうせ赤字の家具売却の旅だった。長い長い半日で、予想外の出来事や出会いも随分あった。そう考えれば、グリーン車くらい安いもんだ――――そんなことを漫然と考えながら、車に揺られていた