総選挙と挫折感

 総選挙の結果が徐々に明らかになって来ている。新聞の事前報道等からある程度予想されていたことではあるが、その予想すら上回る「自民圧勝」という結果になりそうである。私の目から見れば一番好ましくない結果になって、挫折感というのか虚脱感というのか、ある種の虚しさを感じているところである。
 小泉さんの口車に簡単に乗せられるほど我が国の人々の意識が低いとは思いたくないのだが、とすれば、私がこのところ感じて来た危機意識は私の思い過ごしであり、私の感覚がおかしかったということになるのだろうか・・・。そういった意味での懐疑であり、虚脱感であり、挫折感でもある。そうは言いつつも、私が間違っていたとは思えないし、他方、国民の選択が間違っているとも思いたくない。かくなる上は、「私が神経過敏だったのであり、国民の選択の方が正しかったのだ」ということが結果として示されることを念願するしかない。少なくとも、気が付いてみたら「『改革』により世の中は悪い方にばかり向かい、弱肉強食の社会となり、アジアの中では孤立し、更には我々が『ヒットラー』を生んでいたのだ」という結果には絶対になって欲しくはないし、そのためには、「私が間違っていた」ということの方が、はるかに好ましい結果だと思う。
 当然のことながら、私はこの国の将来に責任を持たなければならない立場にはない。そんな私が、流れに逆らって苛立ってみたところで、私の精神衛生に良くないだけのことかも知れないし、暫くは文字通り無責任を決め込んで、少なくとも当面は政治や社会から目を逸らせるという安易な道を歩んで行こうかなとも思わないでもない。
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 このブログをこれまで御覧になっておられた皆様、ここ暫くいろいろお耳障りなことをお目に掛けて申し訳ありませんでした。暫くは「硬派」の道を捨てて、「軟派(?)」で行こうかと思っています。とは申しても、すぐまた、気が変わるかも知れませんが。