合併の名付け(スペース・マガジンより)

  スペース・マガジン(日立市で発行されているミニコミ誌)からの転載。
  市町村の合併の推移や人口推移を調べるのが私の最大の道楽で、昨年「市町村盛衰記――データが語る日本の姿」という本を、出版文化社から出版した。大正9年の第1回国勢調査から平成12年調査までの人口推移の整理・分析を基軸としたもので、20世紀の我が国の変化を立体的に描き出すという意味では、多少の意味もある本だと自惚れている。
  今年は5年ぶりの国勢調査も行われたし、大規模な市町村合併も進みつつある。そういった意味では、材料は結構あるのだが、昨年の本で蓄積の大部分を吐き出してしまったので、それとの重複を避けるとすれば、当分は新しい本を出すほどの材料も揃いそうにない。
  そういったわけで、これからも、つまみ食い的に、折に触れてその種のことを書いて行きたいと思っている。


[愚想管見] 合併の名付け                   西中眞二郎

  またしても性懲りもなく平成大合併の話である。もっとも今回は少し趣向を変えて、合併によって生まれ、あるいは近く生まれる市町村の名前を眺めてみたい。
  合併によって新しい市や町が生まれれば、当然のことながら新しい名前が必要になる。とは言っても、圧倒的に多いのは、母体となる市町村の中で最も大きな市や町の名前を踏襲するケースであり、新潟市浜松市等々、当然と言えば当然の話である。
  ところで、関係者の御苦労に水を差すようで申し訳ないが、私の目から見るとどうにも気に入らない市名も多い。その代表が御当地茨城県の「かすみがうら市」(旧・千代田町霞ヶ浦町)と「つくばみらい市」(旧・伊奈町谷和原村)である。まず、6文字と長いのが気に入らないし、平仮名なのも気に入らない。かすみがうら市の場合、人口の多い千代田町に気兼ねして旧霞ヶ浦町の継続と見られるのを避けたのだろうが、何もわざわざ長ったらしく読みにくい市名にすることもあるまいと思うし、つくばみらい市に至っては、何を言おうとしているのかさっぱり判らない。6文字の市名はもう一つある。鹿児島県の「いちき串木野市」(旧・串木野市と市来町)である。市来町の顔を立てるのは良いとして、なにも平仮名にする必要もないだろう。6文字の市町村名は、昭和20年代までは長野県に「五郎兵衛新田村」(その後浅科村を経てこのたび佐久市)という村があった。歴史に根付いたこのような名前については、長いということだけでクレームを付ける気持にはならないが、今回の6文字はいずれも気に入らない。
  気に入らない名前はまだまだある。愛媛県の「四国中央市」(旧・伊予三島市川之江市等)、栃木県の「さくら市」(旧・氏家町喜連川町)、山梨県の「中央市」(旧・田富町、玉穂町等)、静岡県の「伊豆の国市」(旧・韮山町、大仁町伊豆長岡町)等である。気に入らない理由はさまざまである。「伊豆の国市」の場合、修善寺町等を母体として先に誕生した新市に「伊豆市」という名前を取られてしまったのでやむを得ない名付けなのかも知れないが、それにしても妙な市名だと思う。その他のものは、地域の特殊性や旧地名とのつながりが全くない。「さくら市」に至っては、桜の名所というわけでもなく、単に「桜の花は日本のシンボルだ」という理由での名付けのようである。
  書き出すときりがない。少し視点を変えよう。潔くこれまでの市の名前を消したケースもある。今市市日光市等が合併する新市は、「日光市」と決まった。今市市の方が都市としては遥かに大きいのだが、世界遺産にもなった「日光」という名前を重視したのだろう。同じく栃木県の黒磯市は、西那須野町塩原町と合併して「那須塩原市」となった。市の名前が消えて、町の名前が二つとも残ったという珍しいケースである。群馬県の「みなかみ町」、福井県の「あわら市」と「永平寺町」等も、人口最大ではない町の名前を引き継いでいる。人口最大の町より全国的に著名だというのが大きな理由だろうが、人口最大の町から見れば複雑な思いがあったのではあるまいか。
  たかが名前、されど名前、関係者の御苦労はさておき、地名は歴史に根付いた公共財である。当事者の気まぐれで後世に禍根を残すことだけは、ぜひ避けて欲しいものだと思う。
               <スペース・マガジン12月号所載>