お粗末な小泉総理の年頭所感

年が明けたが、性懲りもなく小泉批判である。私自身も好い加減うんざりしているのだが、小泉さんが続々と問題提起をしてくれるので、心ならずも何か書きたくなってしまう。実は、これは、例によって朝日新聞の「声」に投稿したものなのだが、翌日の社説に似たようなものが載ったし、「声」自体にも同じような投稿が載った。そもそも靖国関連の私の投稿も既に2回載っているので、私自身も載るはずがないとは思いつつも、「一言言いたい」という苛立ちにかられて投稿したものである。もう載るタイミングでもなくなったと思うので、これまで書いたものと重複する部分も多いが、このブログに載せることにしたい。

   呆れ果てた総理年頭所感

 靖国参拝に関する年頭所感で、小泉総理は、内外からの批判を「理解できない」と述べられるとともに、「心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたものだ」と述べられたという。小泉総理の理解力の低さには、いまさらながら呆れるしかない。「心の問題」に限って言えばその通りかも知れないが、それが言動に現された以上、それはもはや単なる「心の問題」ではない。言動に関して批判があり得るのは当然のことだ。国民に対して責任を持つ総理が、その言動を私的な「心の問題」だと理解されているのだとすれば、それは総理としての責任を全く感じていない無責任な言動だとしか言いようがない。
 また、靖国参拝に関する総理の「信念」を仮に認めるとしても、中国や韓国が不快感を示し、その他の国も理解に苦しんでいる靖国参拝に関し、相手の立場や感情を無視し、隣人の顔を逆撫でするような刺激的な発言をあえて繰り返すという総理の言動は、諸国との友好のための内外の多くの人々の努力の成果を踏みにじり、「国益」を無視し、幼稚な「信念」を優先させているとしか言いようがない。
 新年早々、このような総理を持ったことによる悲しい思いで一杯だ。