就学援助児童の増大

 正月三日の朝日新聞の記事を読んで愕然とした。文房具代、給食費、修学旅行費用等について「就学援助」を受けている小中学生の数がこの4年間で4割近く増え、全国で12.8%、東京都、大阪府山口県では20%を超えるという。東京都足立区では40%を超えるという。生活保護に近い状態の家庭がその対象のようだ。
 あまりの数字の大きさに、ひょっとしたら誤報ではないかとまで思ったのだが、どうもそうでもないようだ。もう一つ考えられることは、制度の運用が甘くなり、親方日の丸意識により「利用できる制度は遠慮なく利用する」というムードが生まれているということもあるのかとも思う。県によってその率が大きく異なることも、そう推測する一つの理由ではある。
 
 そんなわけで、ある程度割り引いて考える必要がある話だとは思うし、「困窮家庭」がある程度生じることはいつの世でもやむをえないことだとは思うが、それにしてもその比率の高さと増加傾向は、恐るべきものだ。「勝ち組」、「負け組」等と安易に口走っているが、単なる「負け組」どころか、新たな「下層階級」とでも呼ぶべき層が、それだけの高いレベルに達していることをどう考えるべきなのだろうか。一方では、勤労者と地域を切り捨てて進められているリストラにより企業の業績は上向き、マネーゲームによる成果を謳歌している人々もいる。弱肉強食の世界がまさに現実化しつつあるのではないか。
 そのことだけでも恐るべきことなのに、ことは将来この国を担って行くべきこどもたちに直接関連する話である。希望のない「困窮家庭」に育ったこどもたちが、将来どのように成長して行くのだろうか。そして、勝ち組と負け組の格差が、教育やこどもたちの成長環境を通して、更なる格差の拡大につながって行く公算が大きいし、将来のこの国の存立基盤自体が揺らいで来るのではないかという危惧の念も抱かざるを得ない。
 
 これだけの格差が生じて来れば、世の中には怨嗟の声が満ち溢れ、内閣の一つや二つは潰れてもおかしくない状態になっているはずだと思うのだが、奇妙なことに、世の中も政治環境も至って平穏無事であり、危機感らきしもののカケラも見当たらない。「改革」、「小さな政府」、「市場経済」のスローガンを掲げながら、国民の間の格差の拡大を容認する施策を押し進めてこの国の基盤を破壊しつつある為政者に、国民は依然として「改革者」としての幻想を抱いているのだろうか。不思議な話である。