経産省部長ブログ「炎上」

 3月8日の朝日新聞夕刊に『経産省部長ブログ「炎上」』とのタイトルで、次のような記事が出ていた。――――「わかりやすい言葉で政策を伝えたい」と経済産業省の現役部長が、役職と氏名を明示して開設したインターネットのブログが、3週間ほどで閉鎖に追い込まれた。反対の声もある電気用品安全法(PSE法)に触れたところ、書き込みが殺到したためだ。その上、ブログの更新が執務中だったことが問題視され、部長は大臣官房から注意を受けた。―――――記事はまだ続くのだが、要点は以上で足りているだろう。
 部長というのは、商務情報政策局消費経済部長の谷みどりさんである。谷さんは、私がまだ通産省に勤務していたころは、しなやかで可憐な若い事務官だった。その谷さんがもう本省部長という要職に就いておられるということに月日の流れを感じたし、自分自身の老いも感じたことではある。


 私的な感慨は別として、谷さんはおそらく一種の挫折感を抱いておられるだろうし、言葉を変えて言えば、「悲しい思い」をしておられるのではないかと思う。「良き行政官」として、誠心誠意問題に取り組んだ結果がこのような結末だとすれば、努力をした者が報われず、ことなかれ主義が無難だというような結果に繋がってしまうのではないかというのが気になる。
 谷さんのブログ自体は目にしていないので、その中に問題のある表現などがあったのかどうかは知らないが、それにしても、消費者行政の第一線の最高責任者が、自分の言葉で消費者と接触しようという意欲は、高く評価したいし、むしろその姿勢は公務員のお手本としてほしいくらいのものだと思う。


 問題は二つあると思う。まず、ブログ読者の反応それ自体である。もちろん反論の書込みなどがあり得ることは当然だが、その記事によれば、「死んでわびろ」、「能無しの税金泥棒」といった書込みもあったという。ブログの匿名性と簡潔性を利用したこの手の書込みはよく耳にするところだが、谷さんはおそらく不快感と虚しさを味わわれたことと思うし、同情の念を禁じ得ない。

 
 以前、私自身の体験(私のブログ自体によるものではないが)をもとにして、あるミニコミ誌のコラムに、次のようなことを書いたことがある。―――(ブログに激しい書き込みをする人は)匿名の激しい一言で相手を傷つけることに快感を味わっているということ、そして、そうせざるを得ない苛立ちを感じているということだろうと思う。意見を発表する場を持たず、また体系立った意見をまとめようともしない人々が、ブログの簡潔性と匿名性を利用して「鬱憤」を晴らしているということに、私はやりきれなさを感じた。彼らはいったいどのような人々なのだろうか、そして、彼らが生まれて来る社会というのは、いったいどのような社会なのだろうか。それがごく一部の人なのだとすれば問題にする必要もないのだろうが、もし現在が、このような思考方式、表現方式の若者を多数生み出している社会なのだとすれば、将来に暗いものを感じざるを得ない。と同時に、これがいわゆるネット社会の必然的な産物なのだとすれば、情報化の進展それ自体、明るいものばかりとは言い切れない不安も感じる。――――

 
 もう一つ気になる問題は、「勤務時間中に私的なブログの更新をしていた」ということで、職務専念義務違反との注意をしたという経済産業省の姿勢である。たしかに形式的にはその通りかもしれない。しかし、公務員であれ会社員であれ、多くの場合、勤務時間内に私的な時間を過すことが皆無とは言えないだろう。まして、谷さんの場合、経済産業省の政策を消費者に伝えるという内容の作業であり、「公式な仕事」ではないにせよ、むしろ最も大事な仕事とも言えるだろう。もっとも、「わかりやすい言葉で」ということであれば、経済産業省の公式見解とニュアンスが異なることもあり得る話だし、それだから「私的」という位置づけにせざるを得なかったのかも知れないが、余りにも狭量な姿勢だという気がしないでもない。

 
 また、谷さんは幹部職員である。幹部職員の場合、純粋な公務とそれ以外のものとの区分が曖昧な場合も多い。私自身の経験を顧みても、自宅にいても仕事のことを考えていることが多かったことは当然だし、逆に、勤務時間中に仕事と直接関係のない来客にお会いするといったケースも少なくなかった。厳密に言えば問題があるのかもしれないが、通常、幹部職員の場合、公務とそれ以外の仕分けがむずかしい場合も多く、また純然たる公務に費やしている時間だけでも、通算すれば1日8時間は大幅に超えるだろうと思う。そんなことを考え併せると、「職務専念義務違反」というのは、かなり無理のある「言いがかり」のような気がしないでもない。

 
 幸い、私の受けた印象では、上記新聞記事は谷さんに比較的好意的なものだった。谷さんが、今回の「事件」により萎縮することなく、持ち前のバイタリティーを生かしてこれからも前向きに活動されることを心から念じたい。


 以上とは全く関係ない話だが、昨年春ブログを開設した直後に、私のブログに以下のような記事を書いた。――――――このブログが多くの方々のお目に留まるかも知れないということを考えると、少し怖いような気もする。考えてみれば、新聞や雑誌に自分が書いたものが載ることには、さほど怖さを感じないのだが、自分のブログとなると、ちょっと感覚が違って来る。喩えて言えば、新聞や雑誌の場合には「よその会場で不特定多数の方に対して勝手なお喋りをしている」という感覚なのに対し、自分のブログの場合には、「見ず知らずの他人が自宅を訪ねて来られて、我が家でお喋りをしている」という感覚なのかも知れない。よその会場でなら、議論になってもそれほど気にならないが、自宅の座敷での議論は余りやりたくない・・・といった感覚なのだろうか。―――――――
 

 その後、かなり激しい政治批判をブログに書いたりもしたので、激しい反論等があることをやや恐れてもいたのだが、目下のところ、幸いそのような「事件」には出くわしていない。そのような政治志向の方のお目にたまたま触れていないということなのかもしれないが・・・。もっとも、短歌の関連で、先日ある方から、ややトゲのあるコメントを頂いた。非常識で乱暴なコメントというわけではなく、気にしなければ気にならない程度の話ではあるが、軽い不快感を味わったのは事実だし、このブログでははじめての経験だった。もっともトゲを感じたのは私の考え過ごしで、単に「親しくない人に対する文章表現」に習熟しておられないというだけのことなのかも知れないが。
 私としては誠意を持って御返事を申し上げた積りだったのだが、それに対する応答が2回ほど続いた。余り長く続くようなら、ブログ管理者の特権で応答を削除しようかとも思ったのだが、どうやらその必要はなさそうである。いくら私のブログだとは言っても、余り一方的に「権利を行使する」のはフェアでないという気もするし、そういった意味では、この記事でそのことに触れるのもフェアでないという気がしないでもないのだが、「誰でも通れる道ではあるが、公道ではなくあくまでも私の私道だ」という開き直りをお許し頂きたいと思う。