所得税の累進性の強化を

  久々に「硬派」になろう。税制改正は緊急の課題だと思うが、どうも腰が引けた議論が多いようだ。特に、所得税の累進性は、現状が限界だという議論が幅を利かせているような気がするが、これには大いに疑問がある。そんな問題意識から書いてみた雑文である。党税調か政府税調に投書してみようかという気持もないわけではないが、とりあえずこのブログに載せることにしてみた。

    
    所得税の累進性を強化せよ――――勤労意欲と累進課税

  
  我が国財政は、危機的状況にあり、増税は避けて通れない課題だと思う。
  「まず歳出の削減が肝腎であり、増税はその先の問題だ」という主張は、一般論としては正当だと思うが、事態はそれほど甘いものではあるまい。「納税者」の立場からすれば、「小さな政府」が望ましいことは当然だが、「受益者」の立場からすれば、必ずしもそうではない。「小さな政府、少ない年金」では、問題の解決にはならない。民間企業の効率化を進めれば進めるほど、非効率な部分の受け皿としての公共部門の役割が増大するという面もある。もちろん、歳出削減に努力すべきことは当然だが、それだけで財政危機が回避できるとは考えられず、上記の「正論」は問題の先送りに過ぎないと思う。
  そういった意味では、消費税をはじめとする増税は、その額や率は別として、避けて通れない道だと思う。「消費」は、医療費等の望ましくない消費を除き、「社会からの受益」という一面を持つ。したがって、それが過重なものでない限り、税制の一つの柱になる正当性を持っていると思う。しかし、言うまでもなく、税は、税収の確保のほかに、所得の再配分、社会的公正の確保という機能も持つ。逆累進性を持つ消費税の増税が不可避なら、これと同時に、あるいはそれに先行して、所得税の累進性の強化や相続税課税最低限の引下げも進めるべきだと思う。相続税について見れば、現行の基礎控除は余りにも高過ぎる。1千万円程度の相続資産があれば、相応の課税は当然のことだと思うし、現在の制度は、余りにも「富める者を優遇している」という気がしてならない。
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  以下、所得税に論点を絞ろう。かつて、所得税と住民税を合わせた最高税率は80%を超えていた時期もあったが、現在は合わせて50%に押さえられている。これには大いに異論がある。
  一流企業の社長の年収は、最低でも5千万円を超えているケースが多いようだが、社会として、果たしてこれを是認する必要があるのだろうか。社長がいかに重要であり有能だとしても、若い社員の10倍を超えるような所得を得る正当性が本当にあるのだろうか。私は長年国家公務員として低い給与に甘んじて働き、退官後ある団体の会長の職にあったこともあるが、社長とは比較にならないレベルとは言え、当時、「若い職員の数倍の給料を貰うだけの仕事を自分は本当にしているのだろうか」という後ろめたさを感じたことも事実である。「このくらいは貰って当然だ」という顔をして、5千万円を超えるような給与を平然として受け取っているような感覚は、私には理解できない。自由主義経済下において給与の額を制限することが出来ないことは当然だが、税による調整は十分可能だし、また調整すべきものだと思う。
  所得は、本人の努力や能力だけでなく、運や環境によっても異なって来るものであり、社会からの「授かりもの」という一面を持つものだと思う。自分の所得から税金を持って行かれることは不愉快なことではあるが、それは、「所得は自分のものだ」と考えるところから来る「錯覚」であり、税を払った後の所得こそが社会から認められた「自分のもの」だと考えることも十分可能なのではないか。
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  「税の累進度を高めることは、努力が報われないことになり、社会の活力を削ぐ」という議論があるが、本当にそうなのだろうか。もちろん「勤労意欲」の源泉に「金銭的利益」があることに異論はないが、それはある程度のレベルまでの収入について正当に通用する議論であり、高額所得を是認する論拠にはならないように思う。年収5百万円の人が1千万円欲しいと考えることは当然だろう。しかし、年収5千万円の人が1億円を目指すことを、果たして正当化する必要があるのだろうか。人間には、金銭欲の他に、広い意味での名誉欲や権力欲もある。仮に、社長や重役の税が上がったからと言って、そのことによってサラリーマンの「勤労意欲」や「出世欲」が減少するとは思わないし、あえて言えば、金銭欲で社長を目指すような人には、社長になって貰いたくはない。。
  「これ以上働いても、税金で持って行かれるだけだから、ほどほどにしておこう」と考える人も、たしかに存在するだろうが、それは極めて高い所得を得ている一部の人だけなのではないか。しかも、そのような人の多くは、結果としてほかの人の所得を「収奪」して高い所得を得ている場合が多く、それらの人々の「勤労意欲」がたとえ阻害されたとしても、それが国民経済にとって大きな悪影響を生むとは考えにくい。
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  なお、分離課税により資産所得に対する税率が低くなっていることも大きな問題であり、「課税背番号制」の採用により、総合課税すべきことは当然だと思う。「情報の転用や悪用」を防ぐべきことは当然だが、そのための方策にこそ知恵を絞るべきであり、そのことが「税の公正」を阻害する言い訳に利用されてはならないと思う。
  ついでに蛇足を加えておこう。「官から民へ」というのは口当たりの良い言葉だし、考え方としては基本的には正しい命題だと思うが、実行に当たっては、「耐震偽装」が示すように、十分な検討・配慮が必要だと思う。そういった意味でも、私は「小さな政府」というスローガンには、「本当にそれで良いのか」という疑問を感じている。もう一つ、小泉政権は諮問会議等で「民間」の声を聞くことに熱心だが、その「民間」は必ずしも「国民代表」とは言えず、「経済界」であり、更に言えば「一握りの財界人」である場合が多い。その「財界人」の声を、国民一般も、ジャーナリズムも、「民の声」と錯覚してエールを送っている面が多いのではないか。