「不法滞在外国人」の合法化を

  憲法記念日前後は、ついつい「硬派」になってしまう傾向があるようだ。日頃考えていることにつき思い立って書いてはみたものの、私の得意な分野でもないし、あまり出来の良い作文だとも思えないが、書いた以上ボツにする決断もつかないので、出来の悪いのは承知の上で、このまま載せることにしたい。

  
    「不法滞在外国人」の合法化を

  政府の各種施策の中で、理解に苦しむものは多々ある。私の判断や理解が常に正しいとは限らないことは当然だが、余りにも腑に落ちないことも多く、このブログでも、時折小泉政権に対する批判等をしているのだが、今日は、それほど「政治的」でないことがらについて、一つ触れてみたい。それは、外国人に対する政府の姿勢である。
  昨今の国家公務員削減の流れの中で、「警察官と入国管理担当職員は増員する必要がある」という動きもあるように聞く。警察官はさておき、入国管理官の増員というのは、いま一つ理由がよく判らない。担当者の数を増やして、入国管理制度や外国人管理制度の「弾力的運用」を図るという趣旨なら理解できる話だが、どうもそうでなく、「不法滞在外国人」の取締り強化のための増員のようにも思える。だとすれば、それは私には納得できない。
  現在 「不法滞在外国人」の数は10万人を超えると聞く。その半減を図るという方針があるとも聞く。果たしてその必要があるのかどうか、私にはよく判らない。「不法滞在外国人」という言い方をすれば、いかにも「犯罪者」に近い印象を受けるが、その多くは、「滞日期限切れ」の、いわゆるオーバー・ステイの人々であり、「犯罪者」とはほど遠い存在のようだ。何の問題も起こさずに我が国に溶け込み、真面目に働いている「不法滞在外国人」が、子弟の入学のために手続をとろうしした機会に摘発されて、国外退去させられるという話も聞くが、私の目には、それは相手の弱みにつけ込んだ権力側の卑劣な行動にすら見える。もちろん、治安維持は大事だし、「犯罪者」に対して厳しく当たることは当然だが、これは外国人に限った話ではなかろう。
  「不法滞在外国人」は、言うまでもなく不安定な身分に置かれており、不安定な生活を送っている。それだけに、犯罪に走りやすいという面もあるだろうが、それを防ぐ最良の道は、彼らの滞在を一定の要件の下で合法化し、必要最低限のゆるやかな管理の下に置くということではないのか。「合法化」による「不法滞在外国人の半減」なら十分理解できるが、現在の当局の動きは、どうもそうではなさそうである。取締りの強化は、彼らを地下に追いやり、かえって犯罪予備軍を増大させる結果を生むのではないか。
  オーバーステイはたしかに違法には違いあるまい。しかし、それを一律に厳しく取り締まるのではなく、状況に応じて弾力的に対応することが、外国人対策として望ましいもののように思われてならない。「厳格主義」は、たしかに単純で安易な道ではあるが、賢明・最善の道ではあるまい。人道主義的観点は当然のこととして、我が国の利害という面だけで考えても、いま必要な施策は、彼らを地下に潜らせない施策、そして彼らを我が国のために有効に活用する施策ではないのか。人口減少社会を迎えた我が国において、好むと好まざるとにかかわらず、外国人労働者はいまや不可欠な存在になりつつある。社会保障をはじめとする一定の権利も認め、彼らとの共生を図って行くことが、現在の我が国において求められているのだと思う。
  外国人問題の一環として、難民問題がある。難民の認定につき、我が国の扱いが厳し過ぎるということは、国際機関からも指摘されているようだ。認定が厳しいのみならず、その処遇についてもかなり非人道的だという話も耳にする。なぜそこまで厳しくしなければならないのか、私にはよく理解できない。「難民」の場合、その数には自ずから限界があり、また、身元引受人等はしっかりしている場合が多いようであり、そのことにより「外国人対策」の困難さが増大するとも思えない。
  昨日も今日も、「犯罪者」とはほど遠い存在の外国人が強制退去されているのではないかと思うにつけ、権力を持っている人々の開かれた理性と謙虚さを切望したいと思う。もちろん、個々の担当者の行動の幅には限界があるだろう。その根底をなす入国管理政策自体、いまや原点から洗い直すべきところに来ていると思うが、国会等で真剣に議論されているようにも見えないし、国民一般の関心も低いように見えるのは残念なことだと思う。