「増税」ノススメ(スペース・マガジン)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。同じようなことをこのブログに書いたこともあるので、それとはかなり重複がある。


[愚想管見]   「増税」ノススメ             西中眞二郎

 先日週刊誌をめくっていたら、一流企業の社長の年収の推定値が出ていた。それによると、サラリーマン社長の税込みの年収は5〜7千万円程度が多く、5千万円を切っているのは稀である。アメリカあたりに比べれば日本の社長は収入が低過ぎるという見方もあるようだが、私はこれには同意できない。社長がいかに有能で重要な存在だとしても、若い社員の10倍を超えるような所得を得る正当性が本当にあるとは思えないからだ。
 私自身のことを申せば、世間的には一応恵まれた道を歩んで来たと言って良さそうだが、それでも、通産省に勤務していた間に税込みの年収が1千万円を超えたのは、最後の2〜3年だけだった。退官後も比較的仕事には恵まれたが、年収が2千万円に達したことはほとんどない。長年の貧乏暮しに慣れて来たせいか、50歳前後になって毎月の稼ぎが多少残るようになったときには、給料を貰い過ぎているような気すらしたほどだし、「若い職員の数倍の給料を貰うだけの仕事を自分は本当にしているのだろうか」という後ろめたさを時折感じたことも事実である。
 そんな私の金銭感覚からすれば、5千万円を超えるような年収を得て平然としているという感覚はどうも腑に落ちない。しかし、自由主義経済である以上、給料を制限するわけにも行かないだろう。そこで税制の出番である。言うまでもなく、税は、税収の確保のほかに、所得の再配分、社会的公正の確保という機能も持つ。高齢者に対する過酷かつ非常識とも言うべき大増税が行われ、更に消費税の増税すら不可避なのだとすれば、それに先行して高額所得者の所得税率を上げるべきことは当然だと思う。
 かつて、所得税と住民税を合わせた最高税率は80%を超えていた時期もあったが、現在は合わせて50%に押さえられている。これは余りにも低過ぎる。
 「税の累進度を高めることは、努力が報われないことになり、社会の活力を削ぐ」という議論があるが、本当にそうなのだろうか。所得は、本人の能力や努力の成果であると同時に、運や環境のお蔭という一面も持つ。また、人間には、金銭欲の他に、広い意味での名誉欲や権力欲もある。仮に、社長や重役の税が上がったからと言って、そのことによってサラリーマンの「勤労意欲」や「出世欲」が減少するとは思わない。自分の所得から税金を持って行かれることは不愉快なことではあるが、それは、「所得は自分のものだ」と考えるところから来る「錯覚」であり、税を払った後の所得こそが社会から認められた「自分のもの」だと考えることも十分可能なのではないか。
 「これ以上働いても、税金で持って行かれるだけだから、ほどほどにしておこう」と考える人も存在するだろうが、それは極めて高い所得を得ている一部の人だけだと思うし、それらの人々の「勤労意欲」がたとえ阻害されたとしても、それが国民経済にとって大きな悪影響を生むとは考えにくい。
 なお、分離課税により資産所得に対する税率が低いことも大きな問題であり、「課税背番号制」の採用により、総合課税すべきものだと思う。「情報の転用や悪用」を防ぐべきことは当然だが、そのことが「税の公正」を阻害する言い訳に利用されてはならないと思う。(スペース・マガジン7月号所載)