ブログ御無沙汰の弁その他

 今年も8月になった。8月というのは、敗戦の月であり、原爆の月である。私にとっては、昭和19年に実父が戦死した月であり、20年に広島の原爆で祖父が亡くなった月でもある。ついでに言えば、昭和39年、実父の戦死と全く同じ日に長男が生まれた月でもある。そんなわけで、8月という月には格別の思い入れがあり、去年は「8月という月」から発想した雑文を、いくつかこのブログにも書いた。(なお、長男の生年月日は、ドラえもんに出て来る野比のび太君の生年月日と全く同じである。)
 どういうわけか、今年は、去年に比べてその種の感慨が薄い。世の中の流れや、8月の意味合いが変わったわけでもなさそうだから、この1年の間に私の感受性が少し鈍くなって来たということなのか、それとも去年の私の感受性が敏感過ぎたのか・・・・。
 
 話は、少し変わる。このところブログもお休み続きである。このところ一応真面目に書いているのは、題詠百首の「選歌集」と「愚想管見」の転載くらいのものになっている。
 去年、「題詠マラソン」というネット短歌の催しに参加したのだが、かなり多くの方々が、ブログで参加作品の鑑賞サイトを開いておられる。それに触発されて、参加作品の百人一首を作ってみようと思い立ち、重い腰を上げてブログなるものに挑戦してみた。その作業の前提として、「秀歌選」なるものも、このブログでやってみた。その催しに参加しておられる方の中でかなりの数の方に、関心を抱いて頂いたようでもある。今年は、「題詠百首」とタイトルも変わり、運営方法も少し変わったが、乗り掛かった船で、今年も同じようなことをやってみようと思い、甚だ勝手で気まぐれな選歌ではあるが、一応真面目に続けている。それが、前者である。
 後者の「愚想管見」は、日立市で刊行されているタウン誌に私が持たせて頂いているコラムのタイトルである。ある御縁で、月に1度のコラムを執筆することになり、去年の1月からスタートしたものである。当初は肩の凝らない軽評論、雑感めいたものをと思っていたのだが、小泉政権に対する不信が次第に強まり、このところ「小泉批判」を中心とした比較的重いものが中心になってしまった。小泉さんも退陣されるようだから、少し方針を変えようかとも思っているのだが、これからの政治や世相がそれを許してくれるのかどうか・・・・。

 
 去年ブログをはじめた当初は、以上の2種以外の雑文も結構このブログに載せていた。それが、このところあまりない。理由はいくつかありそうである。
 第一に、はじめた頃に比べて、私の張切り具合が少し減って来たということだろう。考えようによっては、やっと正常な状態になったということかも知れない。
 第二に、ブログをはじめたころには、書置きの雑文が結構あったが、それらのあらかたはこのブログに載せてしまったので、在庫が減ったということもある。
 第三に、「愚想管見」との関係がある。「書いてみたい」と思うテーマが出て来た際、「これは愚想管見に使えるかな」とまず考えてしまう。比較的まとまったテーマで、長さもほどほどになりそうなものは、ついつい「愚想管見」優先になってしまい、このブログにはその転載というスタイルをとることが多い。

 考えてみれば、ブログというものを余りむずかしく考える必要はないのだろう。「昨日〇〇で△△を食べた。なかなかおいしかった。」ということだけでも、ブログに書いておかしな話ではないのかも知れないし、また、それが本来の「ブログ」の姿なのかとも思う。
 
 以上、愚にもつかない感想であり、怠け者の弁解である。初心に帰って、余り恰好を付けずに、まとまりのない雑文や感想なども気軽に書くことにしようかなとも思ったりしている。ブログをはじめた去年は、そんなものも結構あったようにも思う。それがいつの間にか「ある程度内容があり、まとまりのあるもの」にしようという欲張り精神が出て来たのかも知れない。ブログとのお付合いを長続きさせるためにも、「もう少し肩の力を抜いた方が良いのかな」などと、漫然と考えたりしているところである。