題詠百首選歌集・その44

 早いもので、もう9月。今日は珍しく涼しい雨。以前「前半生――自歌自注」という歌文集を刊行したことがあるのだが、その中に次のような歌とコメントを載せている。
「――この夏もなすこともなく過ぎたると思えば空の青く澄みたる――
 50歳近くになっても、夏には何となくロマンを感じる。なすこともなく、もとより何のロマンスもなく過ぎた夏は、何となくもの悲しいものである。・・・」
 ・・・この歌から20年以上経ったわけだが、「夏の終りの感慨」は、70歳近くになっても余り変わらない。まだ気持の上での若さを保っていると言うべきか、それとも相変わらず幼稚だと言うべきか・・・・。

 
 それはさておき、選歌集その44
(ときどき書いている注記:題詠百首というネット短歌の催しがあり、私も参加しているのだが、去年に引き続き最終的に「百人一首」を作ろうと思い、その前段階という意味もあって、逐次、気まぐれかつ勝手な選歌を進めている。なお、各歌の頭の位置を揃えたいのだが、私の技倆拙劣のせいか、どうしても揃わないものが出て来る。気になってはいるのだが、諦めるしかなさそうだ。)


011:からっぽ(232〜257)
(ハル) からっぽのドロップ缶をのぞきこみ旅の終わりのような一日
(池田潤)からっぽの夕暮れ そこに見えてても突き抜け何も何もない空
032:上海(162〜186) 
   (yurury**) 帆となりて波に興ずるきみの上海ひたひたと編みたる夏詩(うた)
   (岩井聡)馴染めない俚諺のように縛られた蟹など見ればそこが上海
036:組(147〜171)
(帯一 鐘信) 抜け落ちた音符の場所が多すぎて腕組みをする柔らかい曲
(黒田康之)腕を組む少女らの群れは整然と学びの庭の思春期に立つ
(岩井聡)優しさはつけ込みやすさ腕組みをほどく間合いで冷麺が来る
今泉洋子) 甲子園の土持ち帰る選手らにただ吹き過ぎる風の組曲
ひぐらしひなつ)指を組む仕草を真似て亡き人の机に届くひかりを見てる
038:灯(143〜167) 
(にしまき)街の灯をただひたすらに蹴飛ばしてなかったことにしたクリスマス
(黄菜子)ほのあかき腕持つ人ぞ恋しけり唐人屋敷に灯ともすころは
(たざわよしなお) 「ともだちとして飲んだ夜」の街の灯は、月より明るく終電車出る
今泉洋子)ぐみの実をこびとの提灯など言ひし杳(とほ)き夏の日邃(おくふか)かりき
ひぐらしひなつ)すべてもう海へと還る。灯台に身を打ちつけた鳥の骸も
039:乙女(145〜171)
(帯一 鐘信)額縁の脇にはずした乙女から見透かされてるフレームの隅
(夢眠)遠き日の乙女の頃よりあなたには甘え上手になれた幸せ
(しょうがきえりこ)乙女座ということ以外の共通点さがす会話はつぎはぎだらけ
040:道(143〜167)
(ケビン・スタイン) この町はもうイヤになる 迷おうとしても道の名ぜんぶ知ってる
(内田誠) うっすらと夏やけをした絵はがきに閉じこめられた長い坂道
(彼方)ぴょこぴょことタンポポ頭が歩道橋二列で咲きゆく遠足日和
053:ブログ(104〜130)
(末松さくや)見ていないはずのあなたにしたためたブログも今日で最後の手紙
(田丸まひる)おとうとのブログの底のむきだしの言葉のとげが指先を刺す
(佐田やよい) 伝わらぬ気持ちが文字になっている知らない人のブログの中で
(しょうがきえりこ)午前四時この世にひとりじゃないことを確かめたくてブログを巡る
061:注射(81〜105)
(ぱぴこ)注射器に集まる視線おおげさに顔をゆがめる最初の生徒
島田久輔)使用済み注射針よりなお危険 話そらして本音を避ける
063:オペラ(79〜104)
飛鳥川いるか) 托鉢の禅僧なるらしオペラ歌手のやうなる声が風にちぎれて
(末松さくや)海岸で拾ったオペラグラスからただよう虚像に素潜りをする
064:百合(81〜105)
(田崎うに)純潔を花束にして訪ねれば無鉄砲百合とは気づかれず
(萱野芙蓉) 日本語に置き換へられぬ"Sin"、百合の奥に眠らぬ白夜ありけり