なぜ安倍さんなのか

 自民党総裁選は、安倍さんが決定的な優位に立っているようだ。自民党という「私党」の総裁が誰になろうと、我々の知った話ではないが、それがほとんど自動的に我が国の総理大臣になるのだから、困ったものだ。困る理由はいくつかある。
 安倍さんの年齢のことはさておき、彼は政治家としての経験も浅く、その知性や蓄積にも大いに疑問が残る。北朝鮮に対する硬直的な強硬姿勢を別とすれば、さしたる実績もお持ちでない。ましてや、帝王学などとは、全く無縁の存在だったと思う。このような人に、我が国の今後を委ねて良いのか、心配の種は尽きない。
 また、その「公約」を見ても、美辞麗句を連ねただけで、何をどうするのかははっきりせず、かろうじて読み取れるのは、戦後の平和主義・民主主義の否定がその原点にあるように思えるということだけである。このような人が、我が国のリーダーとしてふさわしいとは、到底思えない。
 だらしないのは、自民党の議員諸公である。安倍さんの主張(?)とは異なる見解の人も多いと思うし、「あんな若僧が・・・」という不快感を抱き、あるいはヤキモチを焼いている人も多いと思う。その議員諸公が、自己の保身のために、安倍支持に雪崩を打とうとしているということを思うにつけ、今の議員たちの情けなさを痛感せざるを得ない。かつての「三角大福中」の競り合いの時代を振り返ってみると、好き嫌いは別として、それぞれにかなり明確な世界観を持ち、政策をお持ちだった。それに比べて、現在の政治家たちのひ弱さとだらしなさが目に付いてならない。もっとも、「三角大福中」はいずれも私より一世代上の年齢の人たちだった。現在の政治家が頼りなく見えるのは、リーダーが私より若い世代に移り、それだけに「浅薄な若僧」に見えるという面もあるのかも知れないが、それだけの理由だとも思えない。
 もっとも、小泉さんのように、総理としての識見や知性を持たない人が妙に自信を持って,好き勝手な行動をされるのはもっと困るので、それに比べれば「頼りない人」の方が、弊害は少ないのかもしれないが、それにしても困ったことだ。
 雪崩現象の最大の理由の一つとして、安倍さんの「国民的人気」ということがあるようだが、これまた良く判らない話である。実績もなく中身も判らない安倍さんに、なぜ「国民的人気」があるのだろう。悲しい話ではあり、絶対に口にしたくないセリフではあるが、国民のレベルがそこまで低くなっているとは思いたくない。
 支離滅裂な文章になってしまったが、安倍さんの今後の行動を注視し、その結果次第では、次の機会には自民党にきついお灸をすえるしかないというのが、目下のところの至って悲しい私の結論である。