政治家の資質(スペース・マガジンより)

 重陽節句も昨日過ぎたが、今日は久々に夏らしい日になった。東京の気温は32度以上とのこと。外を歩いたら、日の当たるところは、真夏に負けない暑さだった。明日からは、少し気温も下がるようだ。ホッとすると同時に、夏の終りの寂しさを感じないでもない。そういった意味も含めて、引き続き「残暑お見舞い」申し上げます。

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


      [愚想管見] 政治家の資質         西中眞二郎


 政治家と言ってもさまざまだろうから、一言で決めつけるわけにも行くまいが、少なくとも以下のようなことは政治家共通の資質として言えるのではないか。
 ①正義感が強い――――正義は人の数だけあるから、その中身はさまざまだろうし、また、その強弱もさまざまだろうが、少なくとも自分が正義だと思っていることを実現したいという意欲の持ち主ではあるだろう。②自己顕示欲、権力欲が強い――――程度の差こそあれ、これに乏しい政治家はいないだろう。③他人より自分の方が優れていると思っている―――これまた程度問題だろうし、中には自信のない人もいるのかも知れないが、少なくとも選挙のときに、「自分を選んだ方が、日本にとって(あるいはあなたにとって)お得ですよ」と言うだけの図々しさを持った人でなければ、そもそも選挙演説にならないだろう。
 実は、私も政治家志向だった時期があり、上記の資質も多かれ少なかれ持っていたような気もする。しかし、結局のところ、「自分の方が優れている」と人前で公言する「厚かましさ」がなかったというのが、その世界に向かうことができなかった一つの理由だったようにも思う。考えてみれば「自分は見識、力量ともに優れている」と公言する人は、普通の社会では、どちらかと言えば嫌われるタイプの人だろう。それを平然と行うことが入門の前提になるわけだから、政治家という人種は、スタートからして特別の資質を持っている人々と言えなくもなさそうである。
 かつての政治家は、他の社会である程度の実績を積んだ人が転身するケースが多かった。したがって、「偉さや実績」を誇示してもそれほどの違和感がなかったとも言えるが、最近は必ずしもそうではない。父母の遺産を相続した二世議員が典型だが、実績よりむしろ若さや将来性を強調する向きが多いようだ。また選挙民から見ても、「実績のある偉い人」より、「自分と同程度の友達感覚の人」を選ぶ傾向もあるようだが、それにしても上記の資質が前提であることは変わっていないと思うし、それに値する実力がないにもかかわらず、上記の資質と厚かましさだけで「政治家という職業」を選ぶケースが増えて来ているような気がしてならない。
 めでたく当選して政治の世界に入った後、従来は、さまざまな経験を積んで手練手管を身につけ、泥にまみれ、良くも悪くもしたたかになり、その上でカリスマ性を身に付けた人が最終ゴールに到達するという場合が多かったと思うが、最近では、「社長」の意向次第で、知性や経験が十分でない人がスターとして作り上げられるケースもあるようだ。自分には見識があるという錯覚とうぬぼれだけを基盤として、テレビタレントと同じ程度の「軽さ」で時流に乗ってスター街道を上って行くというのは、いかにも苦々しい思いがする。
 その最大の原因は、選挙民の側にあると私は思う。われわれの運命を託する政治家は、知性とバランス感覚を持ち、責任感を持った人でないと困る。ところが、現在の選挙民はタレントと同じ物差しで政治家を評価し、若さと歯切れの良さだけが売り物の政治家にスターの座を与えようとする傾向があるようだ。だからどうすれば良いのかという答の持合せはないが、「スターたちの顔」を思い浮かべるたびに、苛立ちが募らざるを得ない。(スペース・マガジン9月号所収)