題詠百首選歌集・その50

 いつのまにか、すっかり秋になってしまった。食事を終えて書斎に入ったら、ひんやりするのでエアコンの消し忘れかと思ったら、何のことはない窓を開けたままで外気が入っていたのだ。暑さ寒さも彼岸までとは、よく言ったものだ。

           

         選歌集・その50


004:キッチン(274〜303)
 (瀧村小奈生)そら豆のにおいの残るキッチンでうすいみどりの決心をする...
 (百田きりん)色あせたキッチンクロスどこまでも優しくなってしまう錯覚
 (まほし)キッチンの湯気に海やら畑やら秒針刻みの蜃気楼みる
014:刻(220〜245)
 (究峰) それぞれの刻(とき)を埋めて奥深き匡を開くべき鍵も失せたり...
 (フワコ) 時刻表の見方も知らなかった子がさくさく電車を乗り継いで来る
025:とんぼ(192〜217)
 (彼方)とんぼ舞う涼しい夏を見上げては躊躇い顔の向日葵と会う
 (内田かおり)被ってる帽子にとんぼが止まっても怖がらなくなる9月のこの子
  (フワコ) 金色のとんぼを確かに見たんだと夕焼け色の兄妹は言う
 (浅井あばり) 風吹けばとんぼの羽の薄さほど骨が剥がれて九月を告げる
059:くちびる(117〜141)
 (今泉洋子) 年ごとに頤(おとがひ)ゆるぶ丸顔のくちびるにさす赤き口紅
 (内田誠)くちびるのおさまりのよい角度から小さくなってゆく空をみる
061:注射(106〜131)
 (幸くみこ)人気ない浜辺に埋まる注射器の陽射しに溶ける哀しい記憶
 (ひぐらしひなつ)注射針腕に沈めて紫陽花を打つ雨音に包まれている
074:水晶(82〜106) 
 (お気楽堂)水晶のお告げ通りに方違えあわわの辻で怨霊に遭う
 (凛)夢話す君の心に水晶を見たような気がしてうつむいた
 (今泉洋子)さびしさを水晶のごとく身につけて銀河鉄道で行く秋の旅
092:滑(50〜76)
 (中村成志)さといもは滑りやすくて塗り箸を刺す手応えよ睦月元日
 (お気楽堂)夕焼けを背に振り向けばだるまさん滑って転んでだあれもいない
094:流行(51〜77)
  (愛観) 呆気無く誰かのココロ踏んでいく流行色のペディキュアの爪
 (花夢) 感情がチョウチョのように放たれる流行り病 に浮かされている
 (はるな 東) 青春の流行り歌など聴きながら与論の恋のひとひを想う
(彼方)流行のメイクも服も宙に浮く魔術が無効の同窓会日
 (佐藤紀子) 幼な児の世界にもある流行に乗りて買ひたり「トーマス」のシャツ
 (野良ゆうき) 周到に作られていく流行物(はやりもの)追いかけられて追いかけている
097:告白(50〜75)
  (愛観) 「あの頃さ」なんて思い出したようにする告白ならずっとしないで
 (はるな 東)誰かが言う好きだったよときっという同窓会で嘘の告白
 (星桔梗) 突き抜ける夏の匂いに惑わされ恋に落ちたと嘘の告白
 (五十嵐きよみ) 告白をしてもむなしい輪郭のおぼろな言葉を解さぬひとに
 (紫峯)ひつじ雲廻り来たりて今は秋 告白すべき風を待つ時...
 (中村成志) 告白をためらうひとの足元に白い花弁をさらす紫陽花
 (野良ゆうき)伝わった手ごたえもなく言の葉を集めて燃やすような告白
 (鈴雨)告白と呼ぶほどのものすでになくただゆるやかに語りはじめん
099:刺(50〜75)
  (愛観) 席を立つこと許されない昼休み捩(よじ)れた刺繍糸の沈黙
 (はるな 東)筆名の名刺ポッケにしのばせて振り向くあなたのチャンスうかがう
 (五十嵐きよみ) 遺された麻のジャケット イニシャルの刺繍に私の涙が落ちる
 (紫峯) 胸を刺す無言のありて危うくもまだ均衡を保ちて歩む...
 (佐藤紀子)名詞にはブルーポピーの絵を入れる 花を愛する女のやうに
 (野良ゆうき)冬の蚊に刺されたような悔しさに奥歯を噛めば奥歯が欠ける
 (鈴雨) うすものに儚く咲けるなでしこの花芯をあわせまち針を刺す