「学園祭内閣」の誕生(スペース・マガジンより)

 10月末が「題詠百首」の締切りだったので、10月下旬から今月はじめに掛けては、専らその関係の記事ばかりが続いてしまった。それもひと区切り付いたので、暫くは「短歌」とはお別れになりそうだ。6日から3日間、郷里の中学の同窓会に行き、そのついでに西の方の山間部の温泉場に寄り道などしていたので、ブログも暫くお休みになった。


 例によって、「スペース・マガジン」(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。実は、この記事は少々「いわくつき」である・・・・と言うほど仰々しい話ではないが、9月末にこのブログにいったん載せたものを、「スペース・マガジンに流用しよう」と気が変わって、ブログから削除したものである。だから、あるいは9月末に御覧になった方がおられるかも知れない。今月はじめ、同誌11月号も刊行されたので、あらためて同誌から転載する次第だ。



[愚想管見]  「学園祭内閣」の誕生      西中眞二郎

 高校2年生の後半に生徒会長をやった。大きな仕事は、いずれも年1回の運動会の運営と生徒会雑誌の発行である。生徒会雑誌の編集長は、私の信頼する友人に依頼した。編集委員は、彼と相談して、センスの良さそうな友人等を中心として選んだ。ついでに、密かな片思いの相手だった女生徒もメンバーに加えた。私も編集会議に顔を出し口も出して、楽しい思いをしながら、まずまずの雑誌ができたと思っている。人選に関し幸い批判は出なかったが、編集委員の私物化と批判されてもやむを得ないことだったのかも知れない。

 今回の安倍内閣の閣僚メンバーを見て、そのときの「編集委員」の人選を思い出した。「学園祭内閣」との評価を新聞で見たが、言い得て妙だと思う。
 編集委員や学園祭ならそれでも許されようが、内閣もそれで良いのだろうか。たしかに、総理が自分の施策を実行して行くためには、気心の知れたメンバーを集めた方がやりやすいことは当然だし、それも一つの行き方だとは思う。しかし、この際強調しておきたいことは、その内閣が国民から白紙委任を受けた内閣だと錯覚しないことだ。

 国会で正規の手続を経て選任された総理大臣が重みを持つことは当然だし、また、内閣が重みを持つこともこれまた当然のことだ。しかし、国民の過半の支持を得れば与党になることができるわけだし、その与党の中で過半の支持を得れば、総裁に選ばれることができる。したがって、算術的に言えば、国民の4分の1の支持を得れば総理大臣になれるという計算も成り立つ。個別の政策をとってみれば、国民の支持がそれより低い場合も当然あり得るだろう。
 
 与党が総理を選び、その総理が内閣を組織した以上、与党がその内閣を支持するのは当然だが、与党とても、内閣に白紙委任をしたわけではない。郵政民営化で見たように内閣の方針がそのまま与党の方針となり、反逆を許さないということになれば、極論すれば「学園祭内閣」が「独裁者」になってしまう虞れもないわけではなく、現に郵政についての小泉内閣がそうだった。これは怖いことだ。
 
 政策の中身については、与党も一枚岩でないことは当然だし、その与党の中で十分な議論を尽くし、内閣の独走を許さないシステムを作り上げて行くことが肝要だろう。そういった意味では、現在原則となっている「党議拘束」というシステムは、個々の議員の見識、更には選挙民の意向を無視したものともなり兼ねないし、政党のあり方として疑問なしとしない。「それでは改革はできない」という主張もあり得るだろうが、議論を尽くさない思い付きの改革は、改革の名に値しないとも思うし、場合によってはまどろっこしい思いも避けられないのが、議院内閣制の長所でもあり限界でもあるのだと思う。
 
 はじめての「戦後生まれの総理」だということが安倍さんの売り物のようだが、そのことは同時に、戦中・戦後の体験を全く持たないという弱みでもある。戦中・戦後体験を持たないことを、「強み」ではなく「泣きどころ」として十分に認識して、謙虚に国政に当たって欲しいものだと思うし、「歴史の重みと戦争の悲惨さ」を十分に自覚して、野党はもとより、与党にも十分チェック機能を果たして欲しいものだと思う。(スペース・マガジン11月号所収)