夕張市の窮状・明日は我が身(朝日新聞「声」)

 今朝の朝日新聞東京版の「声」に、私の投稿が載ったので転載する。細かい表現は多少直っているが、大筋は同様なので、当初の私の原稿のままで掲載する。   

  
夕張市・明日は我が身

 
北海道夕張市財政再建団体に指定され、市当局はもとより、住民にとっても極めて厳しい局面を迎えているようだ。過去の放漫経営の面も否定できないのだろうし、ある程度の厳しさは当然甘受すべきことだとは思う。しかし、コミュニティー自体が崩壊し兼ねないような厳しい措置が本当に適切なのかどうか。
 夕張は、旧産炭地、過疎地という二重苦を負っている地域であり、かつての十万都市から人口も激減し、全国で最も厳しい環境に置かれている自治体の一つである。過去の市政に問題があったにせよ、社会・経済環境の変化の中で、同市の現在の状況を誰が責めることができるのか。また、同市の財政状況をこれまで放置して来た責任は、北海道や国にもあるのではないか。
 今後人口減少社会を迎えるにつけ、夕張市の問題は、決して夕張だけには止まらず、明日は自分の市や町や村にも降りかかって来る問題なのかも知れない。同情や共感による支援だけではなく、公的な制度として、このような地域の救済とあるべき姿への軟着陸の手段を、国土全体という問題意識を持って制度化して行く必要があるのではないか。繰り返して言う。明日は我が身である。

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載った内容は以上なのだが、多少補足しておく。
同欄には、この3年間でこれで7度目の掲載であり、最近では今年9月にも載ったばかりである。だから、今回は多分掲載されないだろうと思っていた。おまけに、投稿の翌日の朝刊に、結論のニュアンスは多少違うものの、同じような問題意識の社説も出ていたので、いよいよ今回は載らないなと思っていたのだが、思わぬ誤算(?)だった。
 文章は多少手直しされており、特に冒頭の「財政再建団体」は、私の表現が不正確だったので、「来年度から指定される」という正確な表現に直されていた。その他の直しは、概ね簡略化と編集部の好みによる細かい直しである。
 
 内容につき、多少補足しておこう。夕張市の過去最大時の人口は、昭和30年の10万7332人である。それが、昨17年の国勢調査の結果では、僅か1万3001人へと激減している。その主因は、言うまでもなく炭鉱の閉山によるものだ。
 その後、夕張においては、夕張メロンゆうばり映画祭、石炭博物館等、地域活性化のためのさまざまな試みがなされて来た。結果論で言えば、それらが地域活性化にうまく繋がらず、財政赤字だけが残るという結果になってしまったのかも知れない。言い方を変えれば、「過去の栄光」にこだわり過ぎて、身の丈に合わない背伸びをしてしまったという面もあるのだろうし、意欲的であり過ぎたと言っても良いのだろう。投資が余りにも安易だったという面は否定できないと思うし、見通しが甘かったという点もあるのだろうが、その「意欲」と「気持」は理解できないでもない。
 本文でも触れたように、我が国はこれから人口減少社会を迎える。しかもその迎え方は一様ではなく、東京をはじめとする大都市部への人口の集中と、過疎地の一層の過疎化の進行が目に見えている。その中で、合併促進のための「合併特例」の影響もあって、各種施設の建設などの自治体の「箱物」作りへの意欲は、必ずしも衰えていないようである。作るときはまだ良い。しかし、それはいずれ維持費その他のお荷物になって来る。そのころには、人口は更に減少し、納税者も減って来る。そのような将来がかなり確実に見えているにもかかわらず、国としての施策の方向はさっぱり見えて来ない。地方のあり方その他、さまざまな議論はされてはいるが、どうもことの本質にまで遡った議論ではなく、上滑りした小手先の議論ばかりが横行しているような気がしてならない。
 この投稿をした私の問題意識の中には、以上のようなものも含まれている。これからの日本をどうすれば良いのか、その答はどこからも出て来ないし、私自身も確たる定見があるわけではない。しかし、それが、今後の我が国の最大の課題だと思う。