時間の速度(スペース・マガジン1月号より)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


[愚想管見] 時間の速度               西中眞二郎

 
 「名士劇がなくなったのは残念ですね。」昭和59年のはじめに福岡通産局長に就任した際、挨拶回り先の何人かの人からそんなセリフを聞かされた。福岡には、毎年1月に官民の「名士」が歌舞伎を演ずる「名士劇」という伝統行事があり、地元企業の社長、重役や、出先の支店長、局長等がその出演者だったのだが、さまざまな事情でその年から廃止になったのだという。例年、12月から1月に掛けては、出演者はその練習やセリフを覚えるのに夢中で、本来の仕事は手につかなかったという話だ。名士劇に限らず、東京から福岡に赴任した際、時間がゆっくり流れているという印象を受けた。例えば、年頭の正月気分も、東京よりずっと長く味わえたような気がする。
 そのこと自体の是非はともかく、それでも九州経済は順調に推移していたし、中央に比べて格別立ち遅れているという印象は受けなかった。「これだけゆったりしたペースでやっていても何とかなるのに、東京ではなぜ皆あんなにあくせくしているのだろう」という印象を受けたことを記憶している。
 話は変わる。戦後間もない頃、私は瀬戸内海の島で少年時代を送った。物もない時代でみんな貧しかったが、村には若者も大勢いて活気があった。村はその後の合併により町になり、更に最近の合併により島全体が一つの町になった。若い者は都会に流出し、こどもの数も激減して、村の中学校は離れた町への統合の動きもあると聞く。島を彩っていた段々畑の姿も消え、いまでは放置されたままで森に変わっている。
 当時に比べて、われわれの生活水準は格段の上昇を示している。しかし、同時にゆとりのない世相になり、一部の大都市だけが栄え、こどもは少なく、自殺者は増え、拝金思想が横行する世の中になって来た。あんなに貧しかった頃に、どうしてわれわれは、明るい表情で日を送ることができたのだろうか。
 市町村合併、企業合併、リストラ等々世の中は効率化に向かって一直線に走っているように見える。しかし、これだけの蓄積ができて豊かになった現在、20年前の福岡、半世紀前の郷里で流れていた時間がなぜ持てないのか。経済の国際化、グローバルスタンダード等々、言葉の上では理解できるにせよ、いま一つ釈然としないものが残る。もっと古く、江戸時代はもっと貧しい時代だったのだろう。しかし、四季の移り変りに目を向けるゆとりは、貧しい長屋の住人にもあったのではないか。
 もっとゆったりした速度で時間が流れ、村でも子供の声が聞こえるという社会は、もはやわれわれとは無縁のものになったのだろうか。現在の我が国が成熟社会を迎えているのだとすれば、考え方次第では時間がゆったり流れる社会を指向することもできるのではないかと思うのだが、私の発想もそれ以上には進展しない。
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明けましておめでとうございます。早いもので、このコラムを持たせて頂いて3年目に入りました。肩の凝らないものをと思いつつ、ついつい辛口のものが多くなったことをお許し下さい。できることなら、今年は「悲憤慷慨」しなくても済むような年になって欲しいものだと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。(スペース・マガジン1月号所収)