経済界の思い上がり(スペース・マガジン2月号)

 例によってのスペース・マガジンからの転載である。年頭に予告編めいたものを書いたのだが、やっと2月号が発行されたので転載する次第。今年はあまり堅苦しいものを書かずに済ませたいと思っているのだが、どうしても言いたいということがやはり出て来るようで、心ならずも堅い話になってしまった。



[愚想管見] 経済界の思い上がり                西中眞二郎

 
この年頭、日本経団連がいわゆる「御手洗ビジョン」を発表した。なかなかの力作だとは思うが、納得できない部分も多い。経済に関連する部分については、賛否の別はともかく、経済界の主張としては理解できないわけではない。私にとってどうしても容認できないのは、憲法改正の推進、愛国心の昂揚、国旗・国歌の尊重などの提言だ。内容の賛否は別としても、その論議自体が私には納得できない。
 経済団体が政治や法制について口出しすべきではないという積りはないが、それは、あくまでも経済団体の立場から必要な事柄に限られるべきだと思う。経済団体は、国民をリードし世論形成に影響力を持つべき性格の団体ではない。国論が分かれている政治的課題につき一方に加担し、自己と直接の利害関係を持たず本来の守備範囲でもないことに口出しすることは、経済団体としての本来の使命を忘れたものであり、かえってその権威を落とすことにもつながると思う。特に、昨今の偏狭な国粋化傾向を助長するような今回のビジョンは、我が国企業の対外経済活動にとってすらプラスになるものとは思われない。換言すれば、この提言は、切実な利害に基づく経済界の総意とは到底言えないものであり、一部の関係者の偏った個人的独断に過ぎないものと思われてならない。
 今回の提言に関係した人々は、有能な企業経営者ではあるのだろう。しかし、有能な経営者が、我が国の進路についての優れた見識を持っているとは限らないし、また、それはあくまでも個人としての見識にほかならず、世間一般の床屋政談と質的に異なるものだとも思えない。大きな力を持つ有力な団体だけに、その言動には節度を持って貰いたいし、良く言えば過剰な責任感、悪くいえば過大な自負や思い上がりは是非避けて欲しいものだ。
 小泉内閣以来、各種の「諮問会議」が続出し、「経済界代表」が重きをなしているケースも多い。経済関連の問題について、経済界の代表が相応のウェイトを占めるのは当然だろうが、そうでない問題についても経済界の発言のウェイトが大きくなり過ぎているような気がする。また、経済界に直接関連する規制緩和その他の問題についても、利害関係者の一員である経済界の代表者が会長その他の責任ある地位に就くことは、検討の公正さという意味では問題だ。そのこと自体は、「経済界」の責任ではなく、そのような人選、運営を行っている政府の責任だろうが、それが経済界の「思い上がり」を助長している面も否定できないと思う。「経済界代表」は、必ずしも「民間代表」だとは言えないし、ましてや「国民代表」ではない。ところが、「官」対「民」という単純化された図式の中で、国民一般も、それを「民の声」だと錯覚している面があるのではないだろうか。
 今回の御手洗ビジョンを目にして、経団連の会長会社や副会長会社の製品の不買運動でも起こしたいという心境なのだが、それだけのエネルギーの持合せもないので、せめて私自身がこれから買い物をするときは、そのことも念頭に置いて行動したいと思っている。そうは言っても、東京電力の電気を買わないわけには行かないし、本誌の「協賛事業所」である日立製作所の足を引っ張るのも本意ではない。せめて、会長会社であるキャノンの製品を買わないというあたりが、私にできる抵抗の限界なのかも知れない。(スペース・マガジン2月号所収)