都知事選と私の頭の中のモヤモヤ

 このところ私の頭の中の一部に、モヤモヤしたものが巣食って離れない。ある意味では軽いモヤモヤであり、別の意味ではかなり重いモヤモヤである。それは、東京都知事選に出馬しようかという気持と、バカなことはやめようという気持のせめぎあいである。

 石原都知事については、石原さんの就任直後から、私は大きな不信感を抱いている。昨今、公私混同や公費の乱費などの批判を受けているようだが、私に言わせればこれらはマイナーな問題で、その底辺にあるのは、石原さんの体質そのものだと思っている。

 列挙すればキリもないが、思いつくまま、順不同に列挙することにしよう。
戦後民主主義を否定する体質の持ち主であり、平和、自由といったものを軽視している。また国内外を問わず、協調といった意識を欠いている。
・余りにも自己中心的で、唯我独尊であり過ぎる。
・東京至上主義であり、日本の中の東京という視点を欠いている。
・新銀行の設立、カジノ構想、都立大学の衣替え等々、独りよがりの思いつきが多過ぎる。
・思慮や思いやりを欠いた発言が多く、言葉というものを大切にしていない。しかもそれらについての反省がない。
・非常勤都知事と揶揄されるように、都知事の職務を軽視しており、私的な活動が多過ぎる。しかもそれを、自己の有能さの証明のように錯覚している。

 まだまだ挙げればキリがないが、この辺に留めておこう。
 
 
 実は、私が都知事選を意識したのは、4年前のことである。当時私は南関東自転車競技会の会長という職にあった。当時の石原都知事の言動を目にし、耳にするにつけ、「蟷螂の斧」は承知の上で「反石原」の一石を投じたいという気持を消し去ることができなかったのだが、そのためには公職を退く必要がある。そんなこともあって、経済産業省にお願いして辞職させて頂いたのだが、私の決断が遅れたこともあって、結果として、辞職したのは知事選の終わった後になってしまった。もちろん辞職した理由はそれだけではなく、65歳になって、いつまでも私の古巣である経済産業省の傘の下にいるのは潔しとしないといった気持、自由の身になって自由にものが言いたいといった気持などの方がより基本的な理由ではあったが、辞職をかなり急いだ理由として知事選を意識していたことは事実である。

 そのときに抱いていたモヤモヤが、4年後の現在になって、またぶり返している。さまざまな候補者が取り沙汰されているし、良い人が出て来れば、いまさら私などがモヤモヤを抱く必要もないとは思うのだが、目下のところその辺もはっきりせず、私のモヤモヤを消し去ることができないのが、このところの心境だ。

 
 「69歳の元官僚」で、しかも世間的には「名もなき市民」というのは、選挙の候補者としては最も魅力のない存在だろうということは、私にも良く判っている積りである。しかし、あえて反論すれば、以下のようなことが言えるのではないかとも思っている。
・69歳という年齢は、たしかに若くはない。しかし、石原さんよりは数歳若いし、若い人が持っていない経験や思慮もあると思っている。また、この年齢であれば、仮に都知事になったとしても、長期政権になる気遣いはない。せいぜい2期が良いところだろう。
・最近、世間一般では官僚の評価が低いようだが、少なくとも私に関して言えば、この職業を選んだ最大の理由は「社会のために役立ちたい」という気持だったし、役所での生活を通じて、そのことが私の基本的なスタンスだったと自負している。一般論として言えば、官僚という職業を選んだ人の多くは、そのような気持を抱いていたはずであり、またその仕事を通して、政策の立案その他の修練を積んで来たことも事実だ。そういった意味で、「元官僚」ということは、世間の評価がどうであれ、決してマイナスの要素になるべきものだとは私は思わない。
・「名もなき市民」だというのはその通りであり、「泡沫候補」だと思われてもやむを得ない存在だとも思う。しかし、役所で生活をともにした私の後輩で各地の知事や大臣、国会議員を務めている人も多く、これらの人と比較して、私が「小物」だとは私は思っていない。思い上がりだと言われればそれまでだが、都知事が務まる程度の知識、経験、判断力、それに「顔」は、十分持っていると自負しているのも正直なところだ。なお、通産省在職当時、「地域経済」という視点を重視せよというのが私の持論だったし、20年ほど前、福岡通商産業局長として九州経済の振興の任に当たった際には、ある程度それを実行できたのではないかとも思っている。ついでに言えば、我が国の市町村の人口の推移等を調べるのが私の道楽の一つであり、その関係の著書も2冊刊行しており、「地域」というものに対する関心は若いころから抱いていたということも言っても良かろう。
 
 
 肝腎なことが後回しになってしまった。もし私が都知事選に出馬するとして、私のスローガンは何なのだろう。まだこなれていないものではあるが、基本的なものをいくつか列挙すれば、以下のようなことになろう。

・世界の中の日本であり、日本の中の東京である。人口減少社会を迎えた現在であるにもかかわらず、首都圏一極集中の傾向は、今後いよいよ強まるものと思われるが、これは、我が国国土政策の観点からは大問題であり、東京にとっても大問題だと思う。言い換えれば、東京のこれ以上の肥大化は避けるべき課題であり、少なくともその肥大化を助長するような政策は採るべきではない。そういった意味では、東京へのオリンピックの誘致には基本的な疑問があり、原点に立ち返った再検討が必要だと思う。また、本当に必要なものは別として、ハコモノの建設は極力抑制すべきだと思う。
・行政であれ、教育であれ、権力によって抑圧されることは好ましい姿ではない。特に教育に関して言えば、自由でのびのびとした教育を進めるのが教育の理想だと思うが、現在の都政は、国旗国歌の強制に見るごとく、あまりにも権力的な姿勢が強すぎる。少なくとも、国旗国歌の強制は避けるべきだし、為政者の意のままに教育を進めるという方向から、転換を図る必要がある。
格差是正を政策の柱とし、すべての都民の共生を図ることを基本とする。外国人も例外ではなく、同じ仲間として彼らに接することを基本姿勢とすべきだと思う。もちろん、治安の維持は大事だが、外国人問題を治安問題と見るような見方は採るべきではない。
・東京を支えているのは、中小企業である。商店街を含め、中小企業が希望を持ってその力を高めて行くことが肝要である。また、子育ての支援として、地方自治体ができる仕事も多いのではないか。

 
 以上、思いつくままに、いろいろなことを、こなれていないままに書き連ねてしまった。私の頭の中は、依然としてモヤモヤしている。現在の自由で勝手気ままな生活を壊したくないという気持も強いし、出馬によって残り少ない老後の資産が減ることも避けたいし、結局は踏ん切りがつかないままに時間切れになってしまうということになるのだろうとは思いつつも、この際何か言っておきたいという気持が先に立って、このような駄文を書いてしまったというのが正直なところだ。