西中さんと鈴木さん(スペース・マガジン3月号)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。


   [愚想管見] 西中さんと鈴木さん      西中眞二郎

 先日大学同期の友人からメールが届いたのだが、内容がどうもピンと来ない。「どなたかとお間違えではないですか?」というメールをしたら、返事に曰く「娘の友人の西中さんと間違えてメールしてしまいました。ところで、その西中さんの旧姓は中西さんなのです」。私もまたまた返信をして、「これは奇遇ですね。私がお会いした西中さんは、これまでにお一人だけです。今度ぜひその西中さんにお会いしたいものです」。
 私の姓の「西中」は、ありふれた文字の組合せではあるが、比較的珍しい姓である。同姓の親戚もいないので、これまでにお会いしたことのある「西中さん」は、私の家族は別として、メールにも書いたようにお一人だけである。まだ通産省に勤務していたころ、西中清さんという京都出身の国会議員さんと仕事の関係でお付合いがあり、同姓のよしみで一度御馳走になったことがある。西中議員も、親戚以外の「西中さん」に会ったのははじめてだということで、面白がっておられた。
 去年、先祖累代の墓を郷里から東京に移したのだが、新しい我が家の墓の少し手前に、「西中家の墓」というお墓を発見した。墓石に描かれている紋章も、我が家と同じ「丸に橘」である。間違えてこのお墓にお参りする人も出て来るのではないかというのが、ちょっぴり気懸かりでもある。どんな人なのかと思って建立者のお名前を覗いてみたら、見覚えのある姓名である。以前紳士録を見ていたら、私のほかに「西中さん」が載っていた。あるデパートの重役さんである。姓名からすれば、その方御一家のお墓らしい。いずれお便りでもしてみようかと思っているのだが、まだ実行には移していない。
 病院や郵便局で待っているとき、「中西さん」と呼ばれることがある。たいていの場合が「西中さん」の呼び間違いである。もっとも、いつだったか「西中ですが・・・」と窓口に行ったところ、「お呼びしたのは中西さんです」というわけで、呼ばれた「中西さん」がちゃんと窓口嬢と応対していたこともあった。
 一昨年だったか朝日新聞の「声」に私の投稿が載ったところ、反論めいた電話があった。どうして電話番号が判ったのかとお聞きしたら、電話番号帳で調べたとの話である。このことをある方にお話しして、「これがスズキアキラといったありふれた名前だったら調べようがないのでしょうが、私の場合はすぐ判ってしまいますので・・・」と申し上げたところ、相手は「どうしてご存じなんですか。そんなはずはないのに・・・」と不思議そうな顔である。その方の娘婿の名前が、たまたま「スズキアキラ」さんだったというわけで、口から出まかせの名前との偶然の一致にちょっと驚いた。
 以上、全くの個人的なとりとめもない雑談なのだが、「西中さん」と「鈴木さん」を対比してみると、人生観や性格などに、多少の違いが出て来るような気がしないでもない。西中さんは「自分のほかに西中さんはいない」、更に場合によっては「中西さんも西中さんだ」と思い込んでいるし、鈴木さんは「鈴木さんが自分だとは限らない」と思っておられるだろう。そんなところから、西中さんは「自己中心的で自意識過剰な人物」に成長し、鈴木さんは「自分を客観視できる開かれた心の持ち主」に成長するというのは、いささか思い過ごしというものだろうか。(スペース・マガジン3月号所収)

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 追加のコメントを少々。冒頭の「西中夫人」には、その後、音楽会のロビーでの立ち話だったが、お会いする機会を得た。おきれいで気持の良い、素敵な若奥様だった。
 なお、スペース・マガジンの編集者の姓が「鈴木さん」だということに、この原稿を書いた後になって気がついた。手頃なゴマスリだと思って、ちょっとニヤリとしたところだ。