強腰と弱腰(スペース・マガジン4月号)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。



  [愚想管見] 強腰と弱腰                西中眞二郎

 
20数年前、通産省の自動車課長をしていたころ、乗用車の対米輸出の自主規制という大きな問題を担当したことがある。当時通商産業審議官だった天谷さんという方が事務方のトップとしてその実施に道を開いたのだが、「ラシャメン天谷」と呼ばれて、あちこちから随分叩かれた。「ラシャメン」というのは、明治初期、在日西洋人の現地妻となった日本女性に対する蔑称で、「売国奴」にかなり近いニュアンスだったと思う。自動車業界の立場を代弁し、同時に自動車業界を説得しなければならない立場にあった私としては、必ずしも「天谷ベッタリ」というわけでもなかったが、「ラシャメン天谷」との罵声を浴びつつ自主規制の必要性を訥々と説く天谷さんには、尊敬の念を禁じ得なかった。
 そのころ、通産省のある大先輩から、「我々が現役だったころは、日本の国益を強く主張し、強く交渉に当たったものだ。それに比べて、いまの君たちは、好んで日本の国益を損なおうとしている。」と叱責されたことがある。そのとき私はこのように答えた。「先輩の現役当時は、日本の経済力はまだ弱く、日本の立場を強く主張することが国益だったし、また、それが国際的に通用した。しかし、日本の経済力がほかの国にも多くの影響を与えるようになった現在は、日本の立場を主張するだけではなく、相手の立場も考えて行動するのが真の国益だと思う。」
 この交渉が妥結した日の記者会見の席で、田中六助通産大臣から、「本日合意が成立しました。しかし、良いことをしたと手放しで喜ぶ心境ではありません。」という趣旨の発言があった。私も全く同じ心境だったし、天谷さんもおそらく同じだったのではないかと思う。
 最近、「反日的」とか「売国奴」といった言葉を時折耳にする。特に、北朝鮮をはじめとするアジア諸国に対する「軟弱姿勢」に対して使われる場合が多いようだ。そんなことから、ことがらの性格は全く違う話だが、日米自動車交渉のころの体験を思い出した。
 これらの言葉、自分と異なる見解を持つ人を問答無用で切り捨てようとする嫌な言葉であり、戦時中を思い出してしまう言葉でもある。強腰論者が弱腰論者を攻撃するのには、最も効果的な一撃なのかも知れない。古くは、日露戦争終結時、講和条約の内容に不満を抱いた大衆の蜂起によって、日比谷焼き打ち事件が発生した。いまにして思えば、当時の我が国の戦力や国力からすれば、ほぼ理想的な解決だったと思うのだが、当時の国民一般の目から見れば、「軟弱外交」そのものだったのだろう。外交交渉であれ、企業経営であれ、強腰と弱腰が両立する場合、とかく強腰の方が恰好良く、筋が通っているように評価されがちである。社長が強気の設備投資計画を提案した場合、弱気論でこれに異を唱えるには、相当の自信と度胸が必要だろう。
 「世論」を尊重することは大事なことではあるが、「世論」というもの、時として十分な情報や総合的な判断力を持たず、感情に流される面も否定できない。「売国奴反日的な」弱腰の発言や行動が、後になって振り返れば正しい選択だったということも大いにあり得る話だということを、忘れてはならないと思う。
(スペース・マガジン4月号所収)