先生(スペース・マガジン5月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


[愚想管見] 先生                   西中眞二郎


 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」、うろ覚えだがそんな川柳があった。「先生」の正確な語源は知らないが、元来は「自分に学問などを教えてくれる人」の尊称だったのだと思う。ゴルフスクールや自動車学校の教師の場合も、「自分にものを教えてくれる人」だから、「先生」という尊称もおかしくはないだろう。ところが、最近では、その範囲も随分広がって来た。さまざまな「教師」にはじまり、医師、弁護士、会計士、税理士、更には国会議員から村会議員まで、世の中に「先生」がごろごろ転がっている状況だ。
 これらの人々についての属性を考えてみると、1.自分より何らかの意味で優位に立っており、ある程度ゴマを擂る必要がある相手であること 2.程度の差こそあれ自尊心の強い人種であること 3.多くの場合、世間的にある程度の尊敬を得ていること・・・などが挙げられるのだと思うが、考えて見れば、もう一つ、適当な「尊称」がないという理由もあるだろう。大臣、社長、常務、部長、課長等は、ある程度尊敬を含めた呼称として定着しており、あえて「先生」と呼ぶ必要もないが、議員、委員、弁護士、医師等は呼称としてはあまり定着しておらず、しかもある程度プライドの高い人種だから、「○○さん」とか「○○医師」などとお呼びするのも憚られるという面もありそうであり、そんなところから安易に「先生」が使われるようになったのではないか。
 「議員」に対する尊称としての「先生」はどうだろう。私の官僚時代を振り返ってみると、先方に対するおもねりもあり、やはり「先生」とお呼びする場合が多かったように記憶している。当時の先輩で、「先生とは呼ばない」という主義の人がいた。筋の通った考えだとは思いつつも、「偏屈」だという印象もなかったとは言えないし、「生意気だ、官僚的だ」という類の反応もあったようだ。もっとも、昨今の議員さんを見ていると、「先生」に値する人が、いよいよ少なくなって来たような気がしないでもないが・・・。
 外部の人からの尊称として使われている分にはまだ良いとして、内部の人同士が相互に「先生」と呼び合っているのには、もっと違和感がある。夕方国会の裏手の議員会館あたりを歩いていると、「○○先生のお車」という「お車呼び出し」のアナウンスをよく耳にする。車が待っている議員さんが多いのも驚きだが、この場合は「○○議員のお車」で十分だろう。国会内部のアナウンスでさえ「先生」と呼ばれるようになれば、ちやほやされることが身に付いてしまって、議員さんたちが謙虚さを失ってしまうのも無理はない。
 以前、NHKの囲碁トーナメントで、「○○先生、あと5分です」という類の秒読みが気になったことがあった。若い読み手からすれば「先生」なのだろうが、視聴者からすれば「先生」ではない。数年前から「○○九段、あと5分です」に変わったのは改善と言うべきだろう。テレビのクイズ番組などに大学教授が出演しているとき、司会者が教授にだけ「○○先生」と呼び掛けるのにも違和感がある。タレントさんと一緒に出演している以上、大学教授もこの場では一種のタレントであり、「○○さん」で十分だと思う。
 呼ばれた方は良い気分かも知れないが、安易に「先生」を乱発して、「先生」たちの優越感を誘発することは、あまり好ましいことだとも思えない。
(スペース・マガジン5月号所収)