若者今昔――若者の保守化(スペース・マガジン7月号)

 例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。2年半ほど前にコラムの執筆を依頼されたときには、肩の凝らない軽いものを書く積りだったのだが、どうも「悲憤慷慨」の種が尽きず、硬いものが多くなっているようで、いささか不本意な話ではある。


[愚想管見] 若者今昔      西中眞二郎
 

 私が大学生だった昭和31年からの4年間、破防法制定、教育3法改正、そして60年安保と、政治的課題が山積していた。比較的ノンポリに近かった私だが、それでも何度か反対デモに行った記憶はある。それに引き換え、いまの若者はどうなのだろう。当時の岸総理のお孫さんたる安倍総理の「戦後レジームからの脱却」に対し、もっと強い反発が若者から出ても良いような気がするのだが、なぜかそのような気配はあまり見えて来ない。
 まず、若者の一般的属性を列挙してみよう。(1)現状に不満を持ち、変革を好む (2)さまざまな意味での制約を嫌う (3)将来に希望を持ち、上昇志向がある (4)現実社会に対する経験に乏しく、純粋であるとともに衝動的であり未熟である―――もちろん例外はあるだろうが、一般的に言えば、昔も今もそんなところだろう。
 それでは、当時と現在の違いはどこにあるのだろうか。(1)当時のわれわれは戦争と戦後の悲惨さを知る世代であり、平和と民主主義の大切さを身に沁みて感じていた (2)当時は社会主義諸国を「平和勢力」として評価する見方が、かなりの広がりを持っていた (3)当時はまだ貧しかったが、それだけに、将来は良くなるという意識が強かった―――したがって、当時の多くの若者にとって、平和と民主主義は絶対に守るべき砦であり、「右側への改革」即ち戦前回帰は、絶対にあってはならない方向だった。
 それに比して、現在の若者は、物質的には一応満ち足りている。改革を指向するとしても、もはや社会主義は改革の旗印にはならない。もちろん戦中戦後の記憶はなく、その親の世代にしてもその記憶は希薄である。考えてみれば、現在の若者にとっての第二次大戦は、私にとっての日露戦争よりもっと古い過去の歴史的事実に過ぎず、現在を生きる規範としての意味は著しく薄れている。
 われわれの若かった時代は、占領体制からやっと脱却した時代だった。われわれにとってのアメリカは、憧れの対象であったと同時に、占領、それに続く安保と、いわば抑圧者としての一面も持っていた。したがって、われわれの抵抗は、「抑圧者」であるアメリカ、そしてそれに「追随」する「保守反動」勢力に向かっていたのではないか。
 その点いまの若者は、社会主義国家の凋落とともに「左側への変革」は考えにくくなった状況下で、「何か世の中が変わること」を求めている。しかも、当時と違い、「将来はもっと良くなる」という意識は薄く、閉塞感が漂っている。彼らにとって、我が国の進路を制約しているのは、長年の「友人」であるアメリカではなく、「いまだに戦争責任をあげつらい、我が国の行動を制約しようとする」アジア諸国であり、場合によっては「平和憲法」であるようにすら見える。これらの「制約」からの脱却が、小泉さんの「靖国参拝」、安倍さんの「戦後レジームからの脱却」であり、われわれの目には「保守反動」と映るこれらの言動が、現在の若者の目には、むしろ新鮮な「改革」に見えるのではないか。
 昔の若者たちが正しかったと断定する積りはないが、少なくとも為政者たちの危険な衝動に対するブレーキ役の機能は果たしていただろう。それに対し、現在の若者たちは、彼らと同様に未熟な為政者たちの危険な衝動を、むしろ加速させているのではないかという気がしてならない。(スペース・マガジン7月号所載)