年金雑感(スペース・マガジン8月号)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。


[愚想管見] 年金雑感                   西中眞二郎

 年金問題が昨今の最大の話題になっているが、その根底にあるのは、事務処理システムの欠陥と、真摯さを欠いた社会保険庁のこれまでの対応だろう。元来複雑な制度であることに加えて、たび重なる改正により、年金制度の中身は複雑怪奇な様相を呈している。法律のセミプロである積りの私でも、法律を読んだだけではその正確な内容を理解することができず、年金受給の開始前に社会保険事務所に行って、やっと受給額のあらましが判ったというのが正直なところだ。だから、知人などから得た情報を頼りに、「似たような金額だから、多分間違いないのだろう」と思い込んでいるだけで、私の受給額が正しいのかどうか、私には確認する術もない。私よりもっと複雑な職歴を経ている人も多いだろうから、国の査定を信頼するしかないというのが大半の人々の実感だろう。その査定額が間違っているのでは救いがないし、国民の不安が大きくなるのは当然だ。現在のような申請主義ではなく、個々の国民に対し、国の側から判りやすい積算根拠を示してその受給額を知らせるべき性格のものだと思う。当初からそのようなシステムを採っておくべきだったと思うのだが、遅過ぎたとは言え、ぜひそのようなシステムにしてほしいものだ。
 一連の動きの関連で、社会保険庁の職員のボーナスの一部返上ということになったようだが、これには異論がある。社会保険庁の全職員が責任を負うべき性格の問題ではないだろうし、トップの「恰好付け」や衝動的な「世論」の流れに乗って、責任のない職員にまで事実上の給与削減が恣意的になされることは、法治国家の精神に反するものだとすら思う。信賞必罰が必要なことは当然だが、それにはきちんとした法的裏付けや明確な根拠が必要だろう。また、本来責任を負うべき人が、ボーナスの返上で「責任をとった」という免罪符にされても心外だ。責任の有無を無視した「一億総懺悔」は、法的安定性を害するのみならず、責任の所在をかえって曖昧にするものだと思う。
 その関連で腑に落ちないのは、大臣や副大臣の給与返上額が小さいということだ。公職選挙法の関係で「寄付」が禁じられているために、議員歳費に相当する部分は返納できないということのようだが、その考え方は硬直的に過ぎるのではないか。一般の公務員の処遇と関連する一連の流れの中での「返納」の場合には、議員歳費相当部分に手を付けても「寄付」とみなさないような制度運用は、十分可能なのではないか。
 「社会保険庁解体」も、詰めが不十分なままに進んでいるようだが、これも本末転倒だと思う。「社会保険庁解体」自体が正しい方向なのかどうかにも疑問があるが、仮にそれが正しい方向だとしても、現在まず急ぐべきことは年金制度の立て直しであり、まず中身を「きれいな姿」にしてから、組織のあるべき姿を考えるのが正しい方向だろう。

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 参議院選挙は、与党の大敗で終わった。いろいろな見方があり得るところだろうが、戦前の大政翼賛会や翼賛議会を思わせるものがあった昨今の政治の流れに大きなブレーキが掛かったことで、ひとまずホッとしたところだ。
(スペース・マガジン8月号所収)