福田政権考(スペース・マガジン11月号)

 例によってスペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


    [愚想管見] 福田政権考            西中眞二郎


 福田内閣が誕生した。世論調査の結果によれば支持率は比較的高いようだ。何となく理解できるような気もする。小泉さんや安倍さんの時期は、私にとってイライラすることが多かったのだが、福田政権を支持するかどうかは別として、私のイライラは当面かなり減って来そうな気もする。

 政治に限った話ではないが、「罪」には、大雑把に言って、「やるべきことをやらない罪」と「やるべきでないことをやる罪」の2種類があるように思う。もちろん、「やるべきこと」と「やるべきでないこと」の判断基準は、人によって大きく違うだろう。小泉さんの「靖国参拝」や安倍さんの「戦後レジームからの脱却」は、私の目から見れば「やるべきでないこと」の代表のように見えるのだが、それらは「やるべきこと」だと評価する人がいても不思議ではない。
 福田さんは、小泉さんや安倍さんのような「信念」の人ではないようだ。もっとも、小泉さんや安倍さんの「信念」は、私に言わせれば「未熟な思考の裏返し」に過ぎなかったし、個人的な思い付きの域を出なかったように思われてならないのだが、福田さんの場合、そのような「未熟な信念」をふりかざす可能性は少ないように見えることが、私のイライラが少なくなりそうな大きな理由だろうと思う。世論調査の結果も、そのような印象を持っている人が多いということの表れではないかという気がする。

 福田内閣について、「古い自民党への回帰」だという見方も強いようだ。それは当たっていると思うが、「古い自民党」という言葉には二つの意味がありそうだ。ひとつは旧態依然たる派閥の存在や政財官の癒着というイメージであり、もうひとつは、軽軍備、民生重視、そして野党の主張も柔軟に取り入れる懐の深い国民政党というイメージだと思う。前者はさておき、後者については、戦後の保守政権は、若干の例外を除きそのようなスタンスを採って来たと思うし、それが長期にわたって保守政権を維持できた最大の理由だったように思う。いわば古き良き時代の保守主義の流れと言っても良いだろう。過去の多くの保守政権は、「やるべきこと」をどこまでやったかは別として、「やるべきでないこと」はあまりやらなかったと言えるのではないか。ある意味ではことなかれ主義とも言えるその流れに叛旗を翻した異端児が、小泉・安倍政権だった。そういった意味での「古い自民党への回帰」ということ自体は、決して悪いことではないと私は思っている。

 今回の福田政権の誕生により、民主党は攻めにくくなっただろうなというのが、私の素朴な印象だ。「やるべきでないこと」をやろうとした小泉・安倍政権には、野党の側から見てはっきりした対立軸があった。ところが、現時点で見た限り、福田政権と民主党との間には、それほどはっきりした対立軸が見えて来ない。他方、自民党の中には、「やるべきでないこと」をやりたがっている人も多いようだから、衆参のねじれとも関連して、いずれは政界再編成につながって行くのではないかという気がしないでもない。いずれにしても、しばらくは福田政権のお手並み拝見というのが、目下のところの私の正直な感想だ。(スペース・マガジン11月号所収)

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 この手の話は、月刊誌にはどうも馴染まないような気もする。というのは、書いてから活字になるまでに、かなりの日数が経過してしまうからだ。書いたときにはかなり新鮮なもののような気がしている場合でも、1月近く経過して活字になったときには既に旧聞に属する話になっている場合が多いし、似たような論評や見解がさまざまな場で示されて、書いたものが陳腐化してしまうことも多い。極端な場合には、その前提がすっかり変わってしまうこともあり得る話だ。
 そんなわけで、スペース・マガジンへの寄稿には政治ダネはなるべく避けたいという気持もあるのだが、ついつい気の向くままに寄稿してしまう場合が多い。実は、民主党の小沢代表の辞任話についての小文をこのブログに載せようと思って書いたのだが、ついまた気が変わって、スペース・マガジン用に転用してしまった。そうなると、活字になるのは1月先であり、また同じ繰言を繰り返すことになってしまいそうだ・・・。