90%が市民になった(合併と国勢調査)

 以前にも少し書いたことがあるのだが、このところの平成の大合併により、市町村の数は随分減った。昭和29年前後のいわゆる昭和の大合併の結果、全国市町村の数は、いずれも10月1日現在で、昭和25年の10,500から、30年の4,877、平成12年の3,230へと大幅に減少したが(いずれも東京23区は1市として算定。以下も同じ。)、平成の大合併の結果、現状は、1,786市町村(784市、809町、193村)と更に大幅に減少した(確定済みだが未施行のものを一部含む。)。平成の大合併開始前の平成12年10月1日の数字と比較すると、市が16.7%増、町が59.4%減、村が66.0%減、合計で44.7%減という結果になっている。市の増加の理由は、合併特例により市制施行の要件を大幅に緩和したことによるものがほとんどである。(この市制要件の緩和には私は大いに異論があるのだが、この際はそのことには触れない。)


 ところで、市が全国に占めるシェアを見ると、大正9年の市の人口は全国人口の18%に過ぎなかったが、昭和25年には37%、昭和30年には56%に増加し、平成12年が78.7%、現状は89.7%(17年国勢調査の人口により算出)に達している。実に、我が国住民の約90%の人々が「市民」になったわけである。また、面積で見ると、平成12年に全国総面積の28.5%だった市の面積が、合併による市制施行と既存の市の周辺町村の吸収により、現状では実に全国総面積の57.1%に達している。我が国国土の半分以上が「市」に属することになったわけである。


 この数字だけを見ると、我が国の都市化が大幅に進展したように見えるし、また、それも事実には相違ないが、この数字の激増の最大の理由は、市の数の増加と合併等による市の領域の拡大に負うところが大きい。現状の市の領域に固定して、その人口シェアを追ってみると、大正9年でも81.6%という大きな数字であり、昭和25年82.9%、昭和30年84.0%、平成12年89.5%と、現状と余り違わない数字になって来る。
 人々が「町」や「村」から「市」に実質的に移動したのではなく、住んでいる「町」や「村」がいつの間にか「市」になったということが、「90%が市民」ということの最大の理由と言えそうである。もちろん、市と一口に言っても、人口流出に悩む市もあれば、過密に悩む市もある。以上の話は、あくまでも「市」をひと括りにして見ているだけの話だということを補足しておく必要があるだろう。


 大正時代や昭和初期は、「市」というのは地域の中心とも呼ぶべき都会であり、町や村とはさまざまな点で格差があった。しかしいまや、市は人口で90%近く、面積で50%以上を占める存在となり、「市=都会」という方程式は必ずしも成り立たなくなったとも言えそうである。