殿ご乱心(スペース・マガジン12月号)

 例によって、スペース・マガジンからの転載である。この1年間の「愚想管見」は、政治ダネが多かったような気がするのだが、来年はもう少し肩の凝らないテーマについて書きたいものだと思っている。そのためにも、来年は、「やむにやまれずもの申す」という衝動に駆られないような年に、ぜひなって欲しいものだ。


       [愚想管見] 殿ご乱心          西中眞二郎

 
 小泉さんの郵政解散、安倍さんの突然の登校拒否、それに小沢さんの辞任騒ぎ、このところ、「殿ご乱心」とでも言うべきトップの衝動的行動が目につく。それにしても理解に苦しむのが、小沢民主党代表の辞意表明とその撤回だ。辞意表明自体も唐突だったが、それにも増して理解できないのが、小沢さんの続投という民主党の結論だ。その理由の詳細や真意は承知する術もないが、想像できる理由は以下のようなことだろう。(1)小沢さんの後を受け継ぐだけの力量と求心力を持った人がいない。(2)小沢さんが辞任すれば、後任の代表選びで党が混乱する。(3) 小沢さんがシンパを引き連れて離党する危険性がある。
(1)はともかく、(2)と(3)は、党としては口に出したくない理由だろうが、真相はこの辺に近いのではないか。いずれにせよ、「プッツン」してしまった人を再度党首に担ぐということは、あまり世間体の良い話ではない。今回の一連の動きにより、小沢さんや民主党政権担当能力に疑問符が付いたことも当然だろう。
 
 それにしても釈然としないのは、一連の動きの発端となった「大連立」構想自体だ。その発案者が誰かといった詮索は別として、その発想は理解に苦しむ。
 二院制を採っている以上、「ねじれ」は当然あり得る話だし、例えばアメリカの場合、大統領の属する政党と議会の多数政党が異なるケースも稀ではない。それでも国政は進んでいる。もちろん与党が多数派である場合に比べて、政府・与党の苦労は多いだろうが、それもまた正常な姿なのであり、これまでのように衆参両院とも与党が多数を占め、与党の案がそのまま国会を通るという状態が、むしろ異例だったという見方もできるだろう。
 このような「ねじれ」の中で国政をどう進めて行くかということが、与野党ともに知恵を絞るべき課題なのだと思う。「この臨時国会での法案の成立数が少ない」という焦りが福田総理の発想の底にあったようだが、これもおかしな話だ。臨時国会というのは、特定の緊急案件の審議が主目的のはずであり、そこに提案されるべき法案は、質量ともに限られて来るのが普通だ。臨時国会で成立した法案が少ないということは、必ずしも異常なことではない。どうしても成立させたい法案があり、それを野党が「頑迷に」拒否しているのだとすれば、衆議院による三分の二再議決という方法も残されている。もっとも、この方法は「禁断の木の実」だから、よほどの場合以外には発動すべきではないだろうし、次の選挙で国民の厳しい審判を受けることは覚悟しなければならないだろうが・・・。
 他方、報道によれば、「このままでは民主党の政策が実現しない」というのが、小沢さんの大連立に向けての理由だったようだが、これまたおかしな話だ。民主党衆議院では依然として少数派なのだから、その政策が簡単には実現されないことに何の不思議もない。その政策の実現を図るためには、政府与党に働き掛けることはもとより、国会での議論を通してその政策を国民に訴えるべきだし、更には衆議院選での勝利を通して政権の座に就くことを目指すべきだ。


 「ねじれ」現象の「まともさ」に目を背け、その「しんどさ」を避けて「大連立」を指向するという安易な発想自体が、「殿ご乱心」の最たるものなのかも知れない。(スペース・マガジン12月号所収)