便利さへの疑問

 年末に朝日新聞の「声」に投稿したのだが、その後何の反応もないところを見ると、おそらくボツになったのだろう。これまでのところ、ここ数年の間に「声」にはたしか9回掲載されており、比較的打率が高かったのだが、そろそろツキが落ちて来たと言うべきか。それはそれとして、載らなかった投稿を御披露することにしたい。


       便利になるのは良いことか


 整備新幹線の建設、地方空港の整備、リニアカー計画等々、便利になるための計画が目白押しである。人口が減って行くこれからの我が国で、交通その他のインフラ容量をどこまで増やす必要があるのかという問題もあるし、どこまで「便利」さを追求すれば良いのかといった本質的な議論は別としても、便利になることのマイナス面も無視することはできないと思う。携帯電話の普及に伴う公衆電話の減少、マイカーの増加に伴う路線バスの減少といった現象が現に生じていることについては、いまさら言うまでもないだろう。
 また、在来線の切り捨て、騒音等の弊害に合わせて、「便利」になったはずの地域でもさまざまな問題が出て来ているケースも少なくない。東京からの時間距離が短縮されたことによる宿泊客の減少、本土と結ぶ橋が掛かったことによる島からの人口流出、大都市との交通が便利になったことによる近隣中小都市の相対的地位の低下や買い物客の減少等々、「こんなはずではなかった」といった地元のボヤキを耳にすることも多い。
「便利」になることが良いこととは限らないし、その恩恵を受けるはずの地域にとってすら疑問になる場合があるということを、十分念頭に置く必要があるのではないか。