石原銀行・イージス艦・日銀総裁人事

新銀行東京、いわゆる石原銀行が、破滅的な局面を迎えているようだ。この銀行については、構想段階から、私は次のような意見を持っていた。
――――この銀行がうまく行くはずがない。健全経営を目指せば、通常の金融機関と同じような経営姿勢にならざるを得ず、それでは貸し渋り防止という本来の目的を達成できない。そうかと言って、甘い貸出しを行えば、当然のことながら貸倒れ等が頻発し、都民の犠牲において大きな赤字を出すことになる。したがって、このような新組織を作ることには問題があり、既存の制度の整備・拡充で対応すべきだ。
 現に信用保証協会という制度がある。これは、金融機関から借り入れる中小企業者に、地方自治体が作る信用保証協会が信用保証を行い、借入れを容易にするための機関である。信用保証協会はこれを国の機関に再保険し、リスクの分散を図っている。もっとも、国の再保険にはさまざまな制約があり、それだけでは対応しきれない部分があることは確かだが、場合によっては再保険を掛けないで、都の信用保証協会がリスクを負うという特別保証を行うことが考えられるのではないか。
 その場合にも制度が目的通り機能すればするほど赤字になる公算は大きいが、新銀行に比較して、既存の機関の活用だから人件費その他の無用な出費を回避できる、その中小企業を熟知している金融機関の貸出しに対する信用保証だからその金融機関とタイアップして円滑な運営が期待できる等々のメリットがあり、新銀行の設立より遥かに効率的だ。―――――
 結果は、私の予想通りになった。私の予想以上におかしなことになっていたのは、新銀行の経営姿勢だ。伝えられるところによれば、営業拡大のために、新規融資先を開拓した職員に200万円という奨励金を出していたということだが、これは明らかにおかしい。新銀行は、困っている中小企業の「駆け込み寺」のはずである。「駆け込み寺」は、広く門戸を開く必要はあるが、強引な客引きをする必要はなく、受け身に徹するべき性格のものだと思う。新しい組織を作れば、その組織は、当然のことながら組織防衛・組織拡大の本能に基づき、手を広げたくなる。これは、その経営者の資質や姿勢にかかわらず、組織というものが持っている宿命的な性格だとも思われる。ましてや設立構想段階からの石原知事の姿勢を考えれば、その経営者の姿勢には無理からぬところもある。
 それを経営者の責任として一方的に責任転嫁し、「自分は独裁者ではない」とうそぶいている石原知事の姿勢には開いた口がふさがらない。そんな言い分が通るのであれば、世の中のトップの責任は誰も問えなくなってしまう。石原知事の責任は、そのような経営者を選んだ責任にとどまらず、そのような構想をゴリ押しした責任、その後のフォローを怠った責任、組織全体のトップとしての結果責任その他極めて重いものがある。「良いことは自分の手柄、悪いことは部下の過ち」という彼の無責任かつ傲慢な体質が、ここにも露骨に現れているように思われてならない。
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 話ははじめに戻る。いま私が後悔していることは、設立当初に私の意見をオープンにしなかったことだ。そうしていれば、「私には先見の明があった」と大きな顔をして威張ることができたのに、今になってもの申してみても、後出しジャンケンのそしりを免れないだろう。そんな意味で、今後「先見の明を誇る」ために、この際ほかのことにもいくつか触れておこう。
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 イージス艦の起こした漁船事故は痛ましいことだ。漁船が多い区域で自動操縦で航行していたという自衛艦の無神経さが最大の原因だろう。しかし、いま一つ腑に落ちないのは、肝腎の漁船がなぜ逃げなかったのかということだ。向こうから暴走ダンプカーが走って来れば、どちらに優先権があるかなどと考えるまでもなく、何はともあれまず逃げるのが先決だろう。漁船はなぜそれをしなかったのか。それによってイージス艦の責任が回避できる話ではないが、事実の糾明のためには、それも重要な要素なのではないか。そのような視点が新聞報道には欠けているような気がする。それが、イージス艦の責任回避に結びつき、あるいは死者を鞭打つことになる結果を恐れているのかも知れないが、読者に公正な情報を提供するという観点からすれば、新聞は当然そのことにも触れるべきだと思う。
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 日銀総裁人事が紛糾している。武藤さんという人については、私は全く面識がないし、日銀総裁として適任なのかどうかを判断する材料も持っていないのだが、野党側の反対理由には、いま一つ腑に落ちないものがある。「超低金利政策の張本人だ」というのが反対理由の一つのようであり、私も「超低金利政策」には以前から反対だったのだが、これまで野党がそれを厳しく指弾したという記憶は全くない。なぜそれが今になって出て来るのか、どうも腑に落ちない。元大蔵次官だというのも大きな反対理由のようだが、それなら日銀の内部登用や民間人、学者なら良いのか。いずれも一長一短があり、決め手のある話ではないだろうし、目下のところ有力な代案も浮かび上がってはいないようだ。(都合により以下削除。削除の理由は、近日中に釈明致します。)
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 「先見の明」をいずれ自慢しようという不純な動機を含め、昨今頭に浮かんだことを書き綴った次第だ。