棄権も欠席も筋通す手段だ(朝日新聞「声」)

 今日の朝日新聞東京本社版の「声」に、私の投稿が載ったので御披露する。文章の一部が簡略化されているが、ここには原文のままで載せておきたい。


  
   棄権・欠席も選択肢
               無職 西中眞二郎 (東京都練馬区 70歳)  


 日銀総裁人事をはじめ、「ねじれ国会」のため、さまざまな点で紛糾が続いている。「ねじれ国会」は決して異常な事態ではなく、一つの正常な形だと思うが、与野党とも、その度量と力量が問われる場でもあると思う。
 民主党も、実は悩んでいるのではないか。少数野党の際には自分なりの筋を通してさえいれば良かった。しかし、参議院で多数を握る野党となってみれば、自分が「筋を通す」ことが、そのまま結果につながって来る。その責任を果たして負えるのか。「ねじれ国会」のむずかしさがそこに現れているのだと思うし、民主党にとっても一つの試練なのだと思う。
 同じ「反対」にしても、「絶対反対」から、「賛成はできない」という反対まで、さまざまな幅のある話だろう。その場合、「棄権」あるいは「欠席」という方策もあるのではないか。党全体でなくても、一部の議員が棄権・欠席すれば、「反対」という筋を通しつつ、議案を成立させることもできる。棄権や欠席という手段はいかにも姑息であり、責任回避のようにも見えるが、「ねじれ国会」という状況の中で、筋を通しつつ、国政の混乱を回避するという「生活の知恵」として、真面目に検討しても良い選択肢ではないだろうか。

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 以下は、上記と関連しての感想である。

 折しも今日で日銀総裁は任期切れ、田波総裁という政府提案も否決は必至らしい。そういった意味では、良いタイミングの掲載のような気がしないでもない。それにしても、田波総裁という提案には首をかしげざるをえない。民主党も言っているように、武藤さんがNOで田波さんがOKという理屈は全く成立しないだろう。武藤さんの場合、副総裁5年という実績もあり、日銀経験者だとも言える。しかし田波さんの場合、そのような実績はなく、まさに「天下り」そのものである。「天下り」の是非についての議論はともかく、これまでの経緯を踏まえて考えれば、「田波さん」という線は、全く考えられない選択だと思う。あえて田波さんを提示した福田さんの真意はどこにあったのか、全く理解できない。田波さんは当て馬で、本当の狙いは民主党の「反対疲れ」にあり、いずれ本命登場という読みがあるのかも知れないとも思うが、それにしても良く判らない。
 良く判らないことがもう一つある。総裁がいずれも否決され、結果として副総裁が2人同意されたわけだが、これも腑に落ちないことだ。人事というものは、組合せの産物でもある。「総裁がAさんなら副総裁はBさん、総裁がXさんなら副総裁はYさん」といったバランス感覚というものも存在するだろう。それを無視して、副総裁としてBさんとYさんを選び、総裁空席というのは一番不自然なような気がしてならない。副総裁が既成事実の与件となり、それを前提として総裁を選ぶというのでは、総裁の人選の選択肢も限られて来るだろうし、どうにもおかしな話だ。
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 最後に内緒話を一つ。実は3月13日のこのブログに、他の話と一緒に、この投稿と似た話を書いた。その後「声」掲載の連絡があったので、13日のブログから、その部分だけ慌てて削除した。(「声」掲載のルールがどうなっているのか、詳細は知らないが、いずれにせよ、このことは朝日新聞には内緒の話だ。)