叙勲式典御報告

 この春の叙勲を受けることは、先日のブログに書いた。その授与式が昨5月9日に行われたので、その御報告をしておこうと思う。関係ない方から御覧になればどうということのない話だろうが、この種のセレモニーに御関心をお持ちの方もおられるかと思うので、順を追って日記風に書いてみようと思う。
 
 
 授与式は、各省庁が主催するものと、各地で知事が主催するものとに分かれるようだが、その区分の基準は良く知らない。中央の場合、官民を問わず、叙勲の推薦をした省庁別に行われる。経済産業省関係の授与式は、昨日9時半から港区芝の東京プリンスホテルで行われた。家内は和服の着付けの関係でホテルの美容室を8時に予約、そのため6時半過ぎに我が家を出て、地下鉄でホテルへ。朝寝坊の私にとっては異例な早起きである。
 家内が美容室に入った後、私は更衣室でモーニングに着替える。


 式典会場はホテルの大ホールで、ステージに経済産業省の局長級がモーニング姿でずらりと勢揃いしている。いずれも旧知の後輩たちだが、こうして見ると、皆さんそれぞれ貫祿のついた立派な幹部振りである。受章者は130名余り、配偶者がそれより少し少ないくらいだったのだが、男性はほとんどモーニングで、羽織袴が少々。女性はほとんどが和服で、ドレス姿はちらほら見える程度だった。ステージの上の幹部も、受賞者もいずれも椅子に着席。
 本来は大臣出席の予定だったのだが、所用のため欠席ということで、国旗拝礼、国歌斉唱の後、事務次官から大臣祝辞の代読があり、勲章授与に移る。受章者の数が多いので、次官から勲章を受けるのは各局ごとの代表ということで、私は産業技術環境局関係の代表の御指名を受け、家内と一緒に登壇して勲章を受領し、代表以外の方は、それに続いて各局の幹部から個別に受領した。
 式典終了が11時過ぎ。皇居への参内の前に、ホテルで軽い昼食を頂く。お子様ランチを小型にしたような盛り合わせの食事で、量が少ないような気がしないでもないが、受章者は原則70歳以上の高齢者だから、年齢相応の健康食なのかも知れない。


 12時過ぎに指定のバスに分乗して皇居へ。経済産業省関係だけでバス9台。坂下門から皇居に入る。時間的に余裕を持っての行動なので、皇居宮殿の前で、バスの中での待機。皇居内は、中庭を含め写真撮影禁止。途中で宮殿前庭のトイレに、見物を兼ねて入ってみたが、一般の観光地の共同トイレと似たりよったりのものだった。
 天皇への拝謁は2時の予定とのことで、その少し前に隊列を組んでゾロゾロと宮殿に入る。バスツァーでの行動と似たようなものだ。皇居の新緑が美しい。


 宮殿に入ると、広いロビー。床は黒御影石で、水面と見紛うばかりにピカピカに磨かれている。もちろん通路には絨毯が敷いてある。そこから広い階段を登る。最近では中国の胡主席も登った階段だというが、一段一段の段差が小さいのは、膝が痛い私にとってはありがたいところだ。登り詰めた正面には、荒海を描いた壁画。たしか東山魁夷さんの作だと聞いた記憶がある。
 拝謁は「春秋の間」という広い部屋。大きな晩餐会等が行われる部屋だという。私は昭和天皇崩御の際の殯宮祇候(注:一般の御通夜のようなもので、崩御後大葬まで、各界の代表者が十数名ずつ交替で1時間くらい棺の前に列席する。その儀式がたしか1ケ月くらい続いた。)に列席した経験があるので、宮殿ははじめてではなかったが、家内にとっては当然はじめての経験である。この点では、少しばかり女房孝行ができたかなと思っている。


 長辺100メートル近い細長い部屋に、叙勲者が3列横隊で並び、少し間隔を置いて、配偶者がうしろに2列横隊で並ぶ。経済産業者関係だけで叙勲者130名余、人事院農林水産省、その他ほかの役所関係の人も一緒だったから、叙勲者だけで200名を超えていただろう。2時に天皇のお出ましである。侍従が先導し、侍従長天皇に従う。
 天皇が横列の中心あたりの低い台に立たれると、一礼の後、まず叙勲者代表から御礼の挨拶。お名前の紹介もなかったので、どこのどなたかは判らないままだ。次いで、天皇から短いお言葉があった。天皇は降壇の後、叙勲者の前を通られて末席から叙勲者と配偶者の間の空間に回られ、そこを部屋の逆の側まで通られた上で退室。この間、天皇は何度も会釈され、参列者は天皇が通られる際に軽い一礼。


 それで拝謁が終り、外に出て宮殿前でバスの号車ごとに記念撮影。宮殿の前庭には、同じようなバスが50台以上駐車している。手近なところでは、消防庁などの表示が目に付いた。我々の拝謁の終わった後にも、何組かの拝謁が続くのだろう。後で新聞を読んだら、昨日の午前中は中国の胡主席をホテルに訪問されたようだから、天皇もなかなか大変だ。
 写真撮影が終わって、来たバスでホテルに戻り、バスの中で勲章を外して、ホテルで解散。平服に着替えて電車で帰ろうかと思ったりもしたのだが、着替えも面倒なので、そのままタクシーを拾って帰った。


 以上が、時間を追っての簡単な推移である。なお、以下、本筋に関係ないことを、順不同で2、3補足する。


 拝謁の際には皇后も同席されるのかと思っていたのだが、天皇だけだった。そういう恒例らしい。天皇は、会場を回られる間、何度か特定の人に声を掛けられた。中身は聞こえない。後での推測だが、杖を持った人や、車椅子の人、体調不良で椅子に掛けていた人たちに、「大丈夫ですか」といった類のことを言われたらしい。


 拝謁が終わってバスに戻ったら、「御下賜品があります」ということで、各自の椅子に皇室や皇居の紹介パンフレットのような写真集と、お菓子らしい箱が配られていた。昔なら恩賜のタバコといったところか。以前、何かの折に寒梅粉のお菓子を頂いた記憶があるが、それにしてはずっしりと重い。帰宅後早速開けてみたら、菊の御紋の入ったドラ焼き風の半円形のお菓子が3個。とりあえず仏壇に供えた上で、一個を家内と半分ずつ食べてみたら、アンコの詰まったなかなかおいしいものだった。

 
 国旗拝礼、国歌斉唱というのは、私はあまり好きではない。以前はそうでもなかったのだが、国旗国歌の法制化や事実上の強制がはじまって以来、抵抗とは言わないまでも違和感を抱くようになっている。そのため、国歌斉唱の際は、「エチケットとして起立はするが声は出さない」という流儀にしているのだが、昨日の式典はまさに「国家権力」そのものの式典であり、それをお受けする以上、そのマナーに従うのが礼儀だとも思い、久々に国歌を歌った。歌ってみれば、必ずしも悪いものではないとも思う。


 ホテルでの授章式の際、事務次官は祝辞から勲章授与まで1時間以上立ちっぱなしで、結構な重労働だったようだ。
 授与の都度、次官が勲記を読み上げるのだが、その中に「皇居において授与させる」という1節がある。「授与するのはホテルの中なのに、どうして皇居においてとなっているのだろう」と疑問に感じたのだが、今日になって念のため勲記を開いてみたら、「皇居において璽をおさせる」で、私の聞き違いだった。それは良いのだが、当日夜たまたまある会合があり、その席で「皇居において授与させる」はおかしいということを話してしまった。これはいささか軽率だった。次官の発音が不明瞭だったのかも知れないが、勲記自体をまじめに読まずに、私が耳だけで早とちりをしたのは紛れもない事実なので、私の軽率さを後悔しているところだ。


 ホテルと皇居とのバス往復で、バスガイドが少し「観光案内」をした。それ自体少し場違いな印象を持ったのだが、肝腎の経済産業省の前で、「右に見えますのが外務省でございます」との間違いを犯してしまい、官民を問わず経済産業省関係者ばかりのバス内からは「違う」という声が出る。それに続いて、「皆様は東京にお越しになることは多いのですか」、「東京タワーに行かれたことはおありですか」といった「ガイド」も飛び出した。乗客のほとんどは東京近辺の在住者であり、これもシラケ以外の何物でもない。ガイドさんの未熟さもさることながら、「どういう種類のお客をどういう目的で乗せているのか」というバス会社の事前指導が全くなかったのではないかとも思う。ガイドの不手際というよりは、バス会社の準備不十分ということなのだろう。


 受章の公表から昨日までに、60通を超える祝電やお便りを頂いた。電報の用紙に随分立派なものが何種類もあることにあらためて驚いた。
 その都度、先日ブログに書いたような礼状をパソコン打ちでお出ししたのだが、その中で、「瑞宝小綬章受章」を「瑞宝小授章授章」と書くという初歩的なミスプリをしてしまった。短い熟語の中での2箇所のミスであり、我ながら呆れかえったところだ。手書きなら絶対しないようなミスを、ついついパソコンの「変換」に頼ってしまったための産物だ。気付いた後にお出しした礼状は、もちろん直したものにしたのだが、この程度のミスプリを見落としたということはいささか右脳の機能に変調を来たしているのではないかという不安を感じないでもない。
 それより何より、上述の「皇居において授与させる」同様、「早とちり」の産物であることには間違いなく、これからの老後を迎えるに当たり、大いに心しなければならないことだと我が身に言い聞かせているところだ。