行列(スペース・マガジン7月号)

例によって、スペース・マガジン(日立市で刊行されているタウン誌)からの転載である。


[愚想管見] 行列                   西中眞二郎


 私は行列を作るのが嫌いだ。時間がないときに行列が嫌いなのは当然だが、時間的余裕があるときでも、行列に並ぶのは何か惨めなような気がする。その点、若い人は平気なようで、むしろ行列に並ぶことを楽しんでいるような気すらする。
 私ども戦中・戦後に幼年・少年期を過ごしたものにとって、行列に並ぶということは、いわば生活のために嫌々ながらやらなければならない苦行だった。それだけに、当時に比べれば物質的には遙かに満ち足りた現在において、「そこまでしなくても」という気持が働くような気がする。その点、若い人々はそのような過去の意識を引きずっていない。彼らにとって行列に並ぶということは、逆に「自分は今、行列ができるほど素晴らしいものに参加しているのだ」という、イベントへの参加意識というか、むしろプラスの評価をしているような気すらする。
 
 銀行のATMやトイレの行列で、最近は「フォーク並び」というのが主流になって来た。まず全員が1列に並んでおいて、空いた機械や個室を順次利用するというシステムである。これは合理的な仕組みだと思う。以前はそれぞれの人が自分の判断で、場所を選んで並んでいた。短い列についた積りが前の人の用件が長く、運・不運が随分出て来たような気がする。逆にこっちがトイレの個室に入っている場合など、外に並んでいる人のことを考えるとついつい焦りがちになったものだが、「フォーク並び」であれば、並んだ人の運・不運の責任を直接負うことにはならないので、随分気楽になった。

 航空機に乗る際、「まず20列より後の座席番号の方から御搭乗の御案内を致します」という類の案内があるのが通例のようだが、あまり意味のない整理のような気がしてならない。そもそも第1列の人と、第40列の人とは、直接のかかわりはないはずだ。それよりも問題なのは、通路側の人が座席を占めた後で窓側の人が乗って来た場合だと思う。通路側の人は、いったん席を離れて、窓側の人を奥に通さなければならないし、その間通路を邪魔することにもなる。混雑を避けるために搭乗を区分するのなら、「窓側の席と中央部の内側の席」の人を優先させる方が、よほど合理的だと思う。A席とB席の人が連れだという場合もあるだろうから、「まずA席・・・の方とそのお連れ様を」としても良かろう。

 「行列」と言えば、数学に「行列」という教科がある。学生時分、私は数学が比較的得意で、いまでも微分積分や確率などの問題なら、時間さえ掛ければ大学入試の問題くらいなら解けるとうぬぼれているのだが、「行列」や「ベクトル」については、全くダメである。私の高校時分には、高校の教科には行列やベクトルは入っていなかったので、出来ないのが当然だとも言えるのだが、実は通産省の若手だったころに経済研修という研修を受けて、「行列」や「ベクトル」も一応ものにしたはずなのである。ところが、その考え方やルールも、いまやすっかり忘れてしまった。やはり高校生の柔軟な頭で理解し、しかも受験という大目的のために私なりにかなり真剣に取り組んだ「勉強」と、成人してからの「研修」とでは、頭脳への浸透の仕方がまるっきり違うということなのだろうか。
(スペース・マガジン7月号所収)