宮本常一と星野哲郎(朝日新聞「窓」から)

いささか旧聞に属するが、今年5月19日の朝日新聞夕刊の「窓・論説委員室から」という欄に、越村佳代子さんという方が書かれた次のようなエッセイが載っていた。舞台となっている周防大島の旧東和町は、私のふるさとである。そんなところから、遅ればせながらその記事をそのまま転載して、皆様のお目に掛けようという気になった。



    常一と哲郎


 民俗学者宮本常一のふるさと、周防大島山口県)を初めて訪れた。
車で島の海岸線を縫うように行けば、沖に浮かぶ緑の小島が見え隠れした。明治末から大正にかけての家族や仲間の暮らしを愛情込めて書いた「家郷の訓(かきょうのおしえ)」(岩波文庫)に「この明快なる風光がどれほど島の人の心をやわらげ明るくしたか分からない」とある通りだった。
 島の東部(旧東和町)に周防大島文化交流センターがある。全国を巡って「旅する巨人」ともいわれた宮本常一が生前撮影した10万点の写真や2万冊の参考文献や書籍、多くの民具が保存されている。昭和30年代の各地の暮らしが写真パネルで展示されていた。
 センターのすぐ隣に、鉄筋コンクリート平屋建てのモダンな建物があった。星野哲郎記念館で、昨年7月にできた。
 「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「男はつらいよ」など、だれでも一度は耳にしたことのある多くのヒット曲を送り出した作詞家も、宮本常一と同じ旧東和町の出身で、ふたりとも名誉町民に選ばれている。偶然だろうが、同じように若いころ結核を病んで、島で療養の日々を送っている。
 記念館は開館から今年3月末までに約6万5千人の入場者があった。それにひきかえ、センターの方は昨年度8千人弱といささか寂しい数字だ。
 両方を見学すれば、入場料の割引もある。偉業を2倍堪能する人が増えるといい。<越村佳代子>(西中注:原文のまま)


 以上がその記事だが、補足を兼ねて多少コメントしておきたい。


 このエッセイの舞台となった私のふるさと旧東和町は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島の最東端(したがって山口県の最東端)にある風光明媚な町である。他方、過疎化の著しい町でもある。平成12年の国勢調査によれば、65歳以上の高齢者の率は50%を超え、全国で第1位を占めていた。また、女性の比率の高い町であり、女性の比率も全国第1位だった。高齢者には女性が多いので、両者は大体合致する関係にあるが、両方とも全国第1位というのは相当なものだ。平成の大合併により島の4町が合併して周防大島町となり、我が郷里東和町は、表舞台からは姿を消したので、全国第1位の座からは転落したが、合併後の周防大島町もかなり高い順位にあることに変りはない。
 町自体は表舞台からは消えたとは言え、旧4町にはそれぞれ東京町人会があって合併の後もそのまま残っており、私はここ10年くらい東京東和町人会の会長を務めている。また、島全体を包括した東京大島郡人会もあり、これは明治年代から続く古い歴史を持つ会なのだが、数年前までは、星野哲郎さんがその会長を務めておられた。現在では、4町人会の会長が回り持ちで会長を務めており、多分来年には私にお鉢が回ってくるはずである。
 星野哲郎さんが作られた「東和町の歌」という歌があり、東京東和町人会の総会はその歌の合唱でお開きになるのが恒例だが、その1番に「この美しい景色を見れば 人はだれでもやさしくなれる」という1節がある。上記のエッセイにある岩波文庫の表現と似通った心情を歌っていることがあらためて印象に残った。郷土の誇りである両氏が同じような心情を持たれた我がふるさとの「やさしさ」を、故郷を離れて50年以上になる今、しみじみと思い起こしているところだ。
 宮本常一記念館は、以前訪ねた記憶があるが、星野哲郎記念館にはまだ訪ねていない。なるべく早く帰省の機会を作って、両記念館を訪ねたいものだと思っている。